(14)ブロンクス准将
島に火の手が上がっている事に気付き、リネットとエリコがエネルギーパックをホバーバイクに突っ込んで、慌てて始動完了させたのは、午前四時二分のことだった。乗り込もうとした直前、エリコは左の袖に吸血ヒルがついていたため大声を出しかけ、リネットに口を塞がれながら、アーミーナイフで鮮やかに駆除されるのを見守っていた。
「ヒルなんかにビビって軍人は務まらない。私は血を吸われた事もあるよ」
ブラスターで焼き殺すのはコツがいるのよ、と淡々と説明され、エリコはそれまでのリネットへの認識が、まだまだ『憧れのお姉さん』の域を出ていなかった事を思い知らされた。
周囲の状況を確認しなくてはならないため、ホバーバイクは半潜航状態で移動した。島の火の手を見たエリコは、「厄介だな」と舌打ちして、白んできた東の水平線を睨む。
「どうやら、海賊が夜襲をかけているらしい」
「どうして!?」
「そんなの知らないよ。ただ、僕らがますます身動きが取れなくなったのは確かだ」
二人が乗ったホバーバイクは、軍の装備である。軍と敵対している海賊がこちらを見つけたら、ただで済むはずがない。エリコはいつものように策を練ろうとしたが、どうにも状況が混沌としていた。混乱に乗じてこの海域を抜け出す手も考えたものの、そもそも海賊がどれくらいの戦力を、どういう範囲で展開しているのかがわからない以上、うかつに動けない。リネットは舌打ちした。
「こんなことするのは、海軍の天敵『黒旗海賊』に違いないわね」
「ねえ、ネットワークは無理でも無線なら繋げないの、これ。周囲で飛び交ってる通信を傍受すれば、状況がわかるかも」
エリコがホバーのキャノピーを指で叩くと、リネットは試みに無線のスイッチを入れてみた。だが二一四八年現在の無線は、特殊なパルスに暗号化されたデジタル信号を重畳させたハイブリッドパルス方式と呼ばれるもので、もし強固な暗号化設定がされていれば、容易な傍受は不可能である。
「だめね。黒旗が、無線を軍に傍受されるようなヘマをするはずもない。同じ海軍の無線ならともかく」
にべもなくリネットは肩をすくめた。だがそこでエリコは、突然ケタケタと笑い始めた。リネットは、これはもうダメかなと思いつつも、つとめて冷静に振る舞った。
「エリコ、落ち着いて。むしろ、混乱に乗じて逃げる方法もある」
「それもいいけどね、もうちょっと派手にいこう。カトーの奴が言ってた、東洋の諺だ」
エリコいわく、それは『毒を喰らわば皿まで』という諺だった。
「どうせ混乱してるなら、徹底すればいい」
◇
その、軍の無線を通じた電報が、テレーズ・ファイアストン大佐の哨戒艦に届いたのは、午前四時二三分のことだった。
「我、エリコ・シュレーディンガーの生存を確認するも、行方を見失う。至急、捜索部隊の投入を要請する。ポイントは……」
それは、寝ぼけ眼の通信担当少尉アトキンソンに衝撃をもたらした。電報の正確な発信源は不明である。アトキンソンはテレーズを起こしたことで怒鳴られ、さらに通信内容で再び怒鳴られた。
「どういうことだい!」
「わかりません!」
その清々しいまでの返答に、周囲の隊員達は心で喝采を送った。テレーズにそれを言ってのけられる、豪胆な人間はそうそういない。テレーズは自ら通信コンソールに向かって、海軍本部に問いただした。
すると、返ってきたのは待っていたかのような内容だった。エリコ・シュレーディンガー捜索のため、すでに海軍本部から駆逐艦と護衛艦、哨戒機数機が発進したあとだったのだ。
そこで現在、電報で指定されたポイントに近いテレーズが先に哨戒艦で向かい、おって本部からの艦隊が海域を包囲するかたちで合流することになった。
だが、テレーズには引っかかる点がひとつあった。
――あの電報を送ってきた兵士は誰だ?
一六分後、哨戒艦に先んじて、高速艇で電報が指示する島に上陸したテレーズやマーカスを待っていたのは、全く予想外の事態だった。港町には火の手が上がっており、黒い旗を掲げた旧式の水素陸上車が走り回っている。海賊、それもSPF軍の厄介な敵、『黒旗海賊』だった。
「どういうことだい!」
無線に従って島に上陸してみれば、エリコ・シュレーディンガーは影も見えず、物資を強奪して狂気の笑いを浮かべる、海賊と鉢合わせたのだ。
向かってきた陸上車から、助けをもとめる女性の声がした。テレーズは、即座にレーザーアサルトライフルを放ち、正確に駆動部分を撃ち抜いた。動力をホイールに伝達できなくなった車体が、勢いを失ってふらついた所へ、テレーズとマーカスが躍りかかる。
マーカスは運転席にいた、紫の髪の若い海賊の眉間と心臓を、一瞬で射抜いた。テレーズはその体躯を跳躍させて荷台に上がると、若い女を後ろから抱えている、スキンヘッドの海賊の頭をガラスに叩きつけた。望まない接吻を強いられた強化ガラスと頭蓋骨が、血に塗れながら運命を共にし、テレーズは黄色いワンピースを着た年若い女性を片腕で抱えると、荷台から飛び降りる。
「大丈夫かい」
「あっ、ありがとうございます!」
女性は半泣きで、まだ動揺していたが、テレーズが肩を握るといくらか落ち着いたようだった。
「何があったんだい」
「くっ、黒旗の奴らが、夜襲を……」
「またあいつらか! だから、さっさと叩いておけば良かったものを!」
軍上層部の怠慢に悪態をつきながら、テレーズは一人の兵士に女性の保護を任せると、黒旗海賊団の掃討と、島民保護のため町に向かった。
だが、アサルトライフルを構えて走りながら、テレーズはひとつの推測に身震いしていた。それは、あの奇妙な電報のことだった。
エリコ・シュレーディンガーを目撃した、と言いながら、黒旗の海賊が夜襲をかけている事に関しては、ひと言も伝えていない。だが、来てみればこの有り様だ。軍人である以上、海賊から島民を保護し、海賊を討伐しなくてはならない。だが、エリコ・シュレーディンガーの姿はどこにも見えない。
「……してやられたね」
テレーズは、青ざめた笑みを浮かべながら、結論に辿り着いた。
あの電報を送ってきたのは、エリコ・シュレーディンガー本人だ。それ以外、考えられなかった。エリコは、軍の追っ手を黒旗とぶつけるために、自分の名前を出して誘い込んだのだ。
だが、テレーズにはひとつ疑問があった。なぜ、エリコはわざわざ、自分の名前を用いたのか? かりに誰かがエリコの存在をでっち上げたとしても、何のメリットもない。
そこで、テレーズは苦笑して呟いた。
「優しい子じゃないか」
エリコは、確実に軍をこの島に向けさせるために、自分の生存が明らかになるリスクを承知で、あえて自分の名を出したのだ。そうすれば、軍は必ずこの島に来るし、そこで海賊の蛮行に遭遇すれば、嫌でも島民を救わざるを得ない。島民を軍に護らせるために、エリコは自らを危険に晒したのだ。
テレーズは、エリコ・シュレーディンガーという少年、いや人間が、尊敬に値する何かを持った人物だと確信したが、同時にリアリスティックな軍人でもある彼女は、もうひとつの結論にも到達していた。どうやらこの赤毛の坊やには軍の協力者がいる、間違いない。暗号化された無線が通じるということは、軍の無線機を所有した何者か、おそらくは、矯正センター島にいた軍人の誰かが、エリコ・シュレーディンガーの逃亡を助けているということだ。ろくに軍事訓練も受けていないような少年が、どれほど頭が切れるとしても、ひとりで数百キロ単位の距離を自在に移動できるはずもない。
「いいかい、マーカス」
「なんですか」
「じき、アーノルド少将肝いりの部隊が、あの赤毛の坊やの名前に群がるハイエナみたいに集まってくる。そうしたら、あたしはエリコ・シュレーディンガーの保護に動く。お前は、うちのチームの指揮を取って、島民保護と海賊討伐に当たってくれ。いいね。それと、高速艇を一隻借りるよ」
海賊との戦闘で、本部から来た部隊はエリコ捜索どころではなくなる。どのみちテレーズのチームの装備は限られているし、ひとり抜けたくらいでは大勢に影響はない……そこまで言ったところで、マーカスは手のひらを向けて言葉を遮った。
「隊長の好きなようにしてください。本部には、大佐は海に逃げた海賊を追って単独でいなくなった、とか言っておきますよ」
「持つべきものは、話のわかる上司と部下だね。頼んだよ!」
背中にテレーズの強烈な張り手を受けながら、おれたちは話がわかるというより、大佐の剣幕には逆らわない方がいいと学んだだけかも知れんがな、とマーカスは心でつぶやいた。
◇
テレーズからの情報に基づいて、港町のある島に到着したSPF海軍部隊は、駆逐艦で島に接近した段階で、黒旗海賊からの砲撃を受けて異変を悟った。
「どういうことだ!」
旗艦の艦橋で、二九歳のブロンクス准将は明けてゆく空に怒鳴った。
「なぜ黒旗どもがこの海域にいる!? エリコ・シュレーディンガーはどこだ!?」
「どうなさいますか、准将」
准将は、グリーンがかった自慢のスタイリングの髪をかきむしった。二〇代で少将に栄達するという記録を打ち立てる予定で、エリコ・シュレーディンガー確保の任を受けたのだ。それなりの実力といくらかの処世術で地位を手にしてきたブロンクスは、すぐに頭の中で計算を始めた。黒旗に襲われている島民を見殺しにしてエリコ・シュレーディンガーを確保するのと、黒旗を『駆除』して島民を救うのとでは、上の覚えがめでたい、もしくは自身の立場にダメージが少ないのはどちらか。准将は、後続の艦に連絡を入れた。
「カーソン大佐!」
「はっ!」
「貴官が指揮をとり、黒旗の連中を駆逐しつつ島民を保護せよ! 私は捜索隊を編成し、エリコ・シュレーディンガー確保に向かう! なお、戦闘中にエリコ・シュレーディンガーを発見した場合、すみやかに護衛艦に収容し本国に移送せよ!」
それが、いまブロンクスにできる最善の選択だった。二つの腰掛けに同時に座ることはできない、と諺は言うが、それなら一人が二人に分かれればいいのだ。ブロンクス准将は即座に信頼できる兵士一二名を選定し、自分を入れると一三人で縁起が悪いということで一人を外して、水陸両用ホバービークル三台で島内に展開した。
他方、テレーズ・ファイアストンは、途中で黒旗の団員数名と遭遇して射殺しながら、高速艇で島周辺を移動していた。
「モスキートは使い切っちまったか。電池が保たなくて困るよ」
小型飛行探査機が使えないことに苛立ちながら、それなら別な手段で捜すまでだ、とテレーズは高速艇のコンソールパネルとモニターに目を走らせた。やや旧式の量子レーダーが、島の周辺で戦闘を繰り広げる艦艇や船舶の反応を捉える。黒旗海賊は予想外に兵力を投入していたらしく、どうやらこの島のみならず、周辺の島も襲う戦略だったのだろう、とテレーズは見た。
そうなると、もしエリコが自分の名前を晒して軍をおびき寄せていなければ、この島を軍が素通りして、さらに黒旗の被害が拡大していた可能性もある。たった一人の少年が、たったひとつの電報で、多くの人間の生命を救った――救わせた、ということになるのだ。
「無自覚の司令官、ってとこか」
この少年が敵だったら、と考えて、テレーズはその巨体に悪寒が走るのを感じた。そのエリコはどこだ、とレーダーを確認すると、気付かないほど小さな移動体が、戦闘海域の外側に押し出されてきた黒旗の艦艇から逃れて、浅瀬の多い海域に向かっているのがわかった。
地元の漁師か何かだろうか? だが、漁師の船にしては小さすぎる。そこでテレーズは、一瞬で全てを理解した。
「なるほど、こいつがエリコ・シュレーディンガーだ」
この小さな船舶は、軍用の水陸両用ホバーバイクだとテレーズは看破した。高速艇のような機銃などの装備はないが、移動の汎用性に限っていえば、あらゆる船舶の中でトップである。陸も海上も、そして水中にも潜れる。昨日張っていた網にかからなかったのは、おそらく潜航してやり過ごしていたためだ。本来は小範囲運用が想定のホバーバイクで長距離を移動するはずがない、という固定観念が、その予測を阻んだ。もし海中に潜んでいる可能性を考えてソナー探査していれば、発見できたかも知れないのだ。
もっともエリコにしてみれば、ギリギリの状況で用意できた逃走手段がそれ以外になかった、というだけの事なのだが、過程はどうあれ、テレーズはようやくエリコ・シュレーディンガーの尻尾の跡を見つけた。
だが、問題はある。高速艇で追いつくことはできるが、エリコが向かっている一帯の海域に、テレーズは感嘆の口笛を吹いた。
「やるじゃあないか! あたしの部下に欲しいくらいだね!」
エリコが向かう先の浅瀬の多い一帯は、マップ上に航行警戒表示が出ていた。少し大きな船舶は航行できないし、高速艇であっても油断すると座礁しかねない。ホバーバイクなら、そんなものは関係なく移動できる。案の定、エリコを追っていたらしい黒旗海賊の船は、航行不可能とみてすぐに引き返している。
だが、エリコが設定した条件さえわかれば、彼がここからどういうルートを通るか、テレーズにとって予測はさほど困難ではない。テレーズは高速艇のステアリングを切って、アクセルを踏んだ。
同じ頃、ブロンクス准将が率いる水陸両用ホバービークルのチームが、三方に展開してエリコ・シュレーディンガー捕捉に動いていた。だが、エリコがいた、という情報だけで追跡するのは容易ではない。しかも、海賊たちがどういう動きを見せるかわからない中で、それを行わなくてはならないのだ。
だがそこでブロンクスは、先行してエリコを追跡している、テレーズ・ファイアストン大佐を思い出した。もし大佐がエリコ追跡を継続しているのなら、大佐の位置を確認できれば、その先にエリコがいるはずだ。都合が良すぎるかも知れないが、可能性はある。
はたして、その予測は奇跡ないし冗談のように的中したかも知れない、と助手席でモニターを見るブロンクスは笑みを浮かべ、運転手に指示をした。
「この、戦闘海域から離脱するように移動している高速艇が、あの巨体のテレーズ・ファイアストンだ」
「確かなのでありますか」
「間違いない。俺と同じ行動を取っている。海賊の相手は部下に任せてエリコ確保に動いた、ということだ。つまり、奴が追う先にエリコ・シュレーディンガーはいる」
ブロンクスは、テレーズの高速艇が移動する五キロメートル西に、ネットワーク接続していない所属不明の小さな船舶ないし機体を確認した。明らかに戦闘海域から離脱する動きを見せている。
「ファイアストン大佐には気の毒だが、奴は浅瀬を迂回して回るしかない。浅瀬を突っ切ることができる、こちらの方が有利だ。スピードを優先して高速艇で出たのが仇になったな。エリコを確保するのは、このブロンクスということだ」
ブロンクスはコンソールを操作して、散っている他の二機のホバービークルに連絡を入れた。
「こちらブロンクス。ポイントAD一六五の二八一で合流する。所属不明の、おそらくホバーバイクを捕捉して、搭乗員を確保せよ」
「了解」
返ってきた返信が二号機だけだった事を、ブロンクスは訝った。
「三号機、返事はどうした」
聞き逃したか、と思ったが、そうではなかった。返ってきたのは、三号機の搭乗員の絶叫と悲鳴だったのだ。
「こっ、こちら三号機、正体不明のホバーバイクと交戦中!」
「なんだと? そいつはエリコ・シュレーディンガーか!?」
「違います! メイド姿の……うわあああぁぁ―――!」
破壊音と盛大なノイズが走って、無線はそれきり途絶えてしまった。一瞬、機内に沈黙が走ったが、ブロンクスはすぐに問い返した。
「三号機! 応答せよ!」
「だめです。通信が途絶しています。黒旗どもでしょうか?」
部下の質問に、ブロンクスはどうするべきか一瞬思案したが、とにかく優先事項は変えないことにした。現状で、SPF海軍に攻撃してくるのは、この島を襲っている黒旗海賊以外いない。
「構わん、このまま進め」
「三号機は?」
「ここはすでに戦場だ。不測の事態も、死も、職務のうちだ!」
まだ全滅したかわからない三号機の搭乗員を見捨てることに、多少の後ろめたさはあったが、それよりもブロンクス以下四名は、三号機の断末魔に含まれていた、奇妙な情報が気になった。『メイド姿の』とは、敵の姿をさしているのか。黒旗海賊に、そのような奇態な構成員がいるのか。筋骨隆々たるメイド姿の変態海賊に殺されるなど、ジョークにしてはたちが悪すぎるし、人生の最期としても受け入れがたいものがある、とブロンクスは考えた。




