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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第二部
13/57

(13)海賊フェンリル

 テレーズ・ファイアストン大佐は、長年の目標追跡のノウハウをもって網を張っていたのに、その網にいっこうに目標が引っかかってこない事に首を傾げた。飛行式の情報収集マシン、通称『モスキート』を小さな島々に放ってもみたが、不審な船舶や人影は全く見当たらなかったのだ。熱センサーにあった反応は、まばらな島民たちだけだった。すでに陽は傾いており、その日は海上を探索することは不可能だった。

「参ったね。ひょっとしてあたしは、最初から存在しない相手を追跡していたんじゃないのか」

 コンピューター端末に表示されたエリコ・シュレーディンガーの不敵な顔を見ていると、テレーズは奇妙な不安感が湧いてくるのを感じた。この赤毛の、まだ幼さがのぞくが、生きているならばいずれ秀麗な青年に成長するであろう少年には、言い知れない何かがあるように思えてならないのだ。

 それは、軍が何やらこそこそと、この少年に関して動きを見せていることと、無関係ではないだろう。中でも不気味なのは、少年の身柄は遺体であっても構わない、という指令内容だった。ただし速やかに保冷し、頭部を傷つけてはならないという部分は、薄気味悪さと苛立ちが同時に湧いてくる。そう考えながら、テレーズが率いる三隻の高速艇が哨戒艦に向けて帰投していると、その艦から通信が入った。

「ファイアストン大佐、こちらアトキンソンです。アーノルド少将より、大佐からの定期連絡が入っていないのはなぜか、と」

「うるさいオヤジだね! 捜索に集中していたからだ、とでも答えておきな」

「は、はあ……」

「何だい」

 言い淀んでいた無線の向こうの通信担当は、恐る恐る答えた。

「大佐が網を張っているエリアはどこなのかと質問されたので、大まかに伝えてしまったのですが」

「それはやむを得ないだろう。別に命令に背いてるわけじゃないんだ。いちいち上の奴らにびびる必要はないよ」

 テレーズの横で聞いていたマーカスは、この人と他の人間の心臓を一緒にされても困るな、と心の中で苦笑した。艦の黒い影が見えてきて、三隻の高速艇は速度を落とした。



 嵐が去ったその日の夜、ゆっくりと浮上したホバーバイクのキャノピーを通してエリコとリネットを出迎えたのは、満点の星空だった。

「僕らの不安なんて知らないよ、っていうような星空だな」

 いくぶん恨めしそうに、エリコは海上に浮かぶ南十字星を睨んだ。これがデートだったらな、などと考えてみるのは妄想を兼ねた、不安を振り払うための精神的活動だった。

 だが、方角を確かめるという意味において、星空そのものは救いだった。最初から、このために夜を待つ事にしたのだ。エリコは星座の配置を確認すると、小さく頷いて南西の方角を指した。

「こっちに進む。ホバーでなく、ボートモードでエネルギーをセーブしつつ直進だ」

「何があるの?」

「運が良ければ……もとい推測が合っていれば、小さな港町のある島があるはずだ。たぶん」

 運とか、たぶんとか言われても、リネットは白い目を向けざるを得ない。結局エリコは、たんに勘が鋭いだけの、一五歳の少年かも知れないのだ。リネットはホバーバイクをボート航行モードにセッティング変更しながら、ひとつの危惧を述べた。

「エリコ、この海域には海賊が出るわ。万が一、あなたが軍に狙われていると海賊に知られたら、今度は彼らがあなたを、金になると思って捕らえようとするかも知れない」

「やれやれ、引っ張りダコだ!」

 エリコは笑ったが、文字通り洒落にならない事態ではあった。とはいえ今はどうする事もできないので、まずは物資を補給しなくてはならない。


 ほどなくして、エリコの計算が合っていたのか、単なる偶然か、出不精の幸運の女神がようやく重い腰を上げてくれたのかは不明だが、静まりかえった小さな町が月明かりの下に見えてきた。木造の頼りない桟橋が二本突き出しているだけで、港というほどのものではない、漁師町というところだ。

 エリコの指示でリネットは、町から外れた小さな浜辺にホバーモードで乗り上げた。アーミーナイフで枝葉を切り集めて機体を隠すと、二人は息を殺して、弱い灯りが見える町の一角へと歩いてみた。

「リネット、今さらだけどお金持ってる?」

「……現金と銀行口座、どっちの意味」

「前者」

「ウォレットカードが一枚だけ」

 リネットは、内ポケットから一枚の銀色の、ほぼ全ての国でキャッシュとして機能するプリペイドカードを取り出した。

 よほど僻地でもない限り、リネットはどんな商業施設、店舗からでも、手の甲の認証チップと生体認証により、銀行口座から直接の支払いができる。だが現在リネットはおそらく、矯正センター島で津波によって死亡ないし行方不明と見なされているはずで、リネットの口座から一Pドルでも引き落とされれば、生きていることがバレてしまう。使えるのは独立した現金として機能する、ウォレットカードだけだった。

「ウォレットにある、一二〇〇Pドルが今使える全財産」

「とりあえず、餓死だけはしないで済みそうだね」

「私の口座を当てにする前提で話を進めないでちょうだい」

 一二〇〇Pドルなど、状況しだいであっという間に吹き飛ぶだろう。どこかで、リネットの預金をウォレットカードに移す必要があるが、逃亡中の口座へのアクセスはリスクがあった。


 百年前からやっているのではないか、というような古い木造の酒場のカウンターには、浅黒い肌の地元民らしい太った中年女将が、退屈そうに肘をついていた。左肩には、左を向いたドクロと稲妻のタトゥーがある。

 女将は、今夜はもう締めるかと思い始めたころ、突然入って来た客に、思わずカウンター下にある、中距離レーザー銃を取り出しかけた。なぜなら、二人のうち金髪の若い女は、軍の制服をまとっていたからだ。

「驚かせてごめんなさい」

 リネットの階級章を女将はすぐに確認した。そして、一緒に連れている赤毛の少年、エリコにも不審の目を向ける。リネットはカウンターに近付いて、女将が警戒したのを見てとると立ち止まった。

「事情は話せないけれど、部屋があればひと晩だけ泊めてほしいの。支払いはこれで」

 リネットがウォレットカードを示すと、女将は多少不審には思ったが、仕方なく頷いた。

「面倒事かい」

「……迷惑をかけないとは言い切れない。だから、泊めてもらえるのが無理であれば、食料と飲み水だけでも構わないわ。私達はすぐに立ち去る」

 抜き差しならない事情があるらしい事を女将はすぐに読み取り、リネットの目を見て言った。

「港町で酒場なんかやってると、訳ありの流れ者なんか珍しくもない。泊まっていきな」

「ありがとう。できれば食事と、エネルギーパックのチャージもさせてもらえるかしら。二百Pドルで足りる?」

「お釣りがくるよ」

 女将は旧式の鉄製の鍵をカウンターに置くと、階段を示した。

「いちばん奥の部屋だ」

「ありがとう。それと、軍を名乗る奴らが来ても、絶対に私のことは言わないで欲しい」

「あんたの事情なんか、あたしは知らない。だから誰が来ようと、あんたを含めて誰にも関知しないよ」

 突き放した口調が、逆にリネットとエリコには有難かった。


 日数にすればほんの二日程度だが、ずっと狭いコックピットで波に揺られていた身としては、部屋で腰を下ろせるだけで心が落ち着いた。状況としてはまったく落ち着けるはずはないのだが。エリコは、ふたつのエネルギーパックが非接触コンセントに接続され、インジケーターが点滅するのを見つめながら思案した。

「現状を整理しよう。目撃した高速艇の動きから、SPF=南パシフィック連邦海軍が、僕が生きて逃亡したと見ているのは間違いない」

「問題は追っ手の規模ね」

「大々的に動けば、僕に察知されるのは向こうも考えているかも知れない。そうなると、少数の追跡チームを送ってくるかもね」

 だが、とエリコは思う。少なくとも敵が送り込んだ追跡者は、エリコのいる位置をかなり近いところまで推測できていた。油断すればすぐに見つかるかも知れない。

 エリコがどれほど頭が切れようが、逃走手段とルートの両方が限られている以上、追跡する方は楽である。エリコのいる範囲さえ絞り込めれば、夜のうちに一帯を包囲してしまう事も可能なのではないか。

「リネット。エネルギー充填が完了しだい、すぐに動こう」

「忙しないわね」

「それまで寝てていいよ。僕が見張ってる」

 すると、リネットはいきなりエリコを組み伏せるように、ベッドに押し倒した。まさか、という妙な期待の色がエリコの目に浮かんだが、リネットのセリフがすぐに現実に引き戻した。

「体力の消耗を甘く見るな。私は鍛えた軍人、あなたは大して鍛えていない、ただの少年。いま睡眠を取らなきゃいけないのは、あなたの方」

 自分は仮眠態勢を取ってるから、あなたはしっかり眠りなさい、と言われ、エリコは従わざるを得なかった。リネットはエリコにブラスターを一丁手渡し、自らもグリップを握ったまま壁にもたれると、片膝を立てて目を閉じた。

 今さら、リネットの頼もしさをエリコは実感していた。もし単独で島を脱出していたら、ここまで来られたかどうか怪しいだろう。作戦はともかく、実行レベルではリネットに任せるべきかも知れない、と考えながら、エリコは目を閉じた。


 それは、何日ぶりにか見る夢だったが、それを見ているあいだ、夢である認識はエリコにはなかった。

 真っ白な空間だった。屋外なのか、屋内なのかはわからない。エリコの目の前には、四人の女性が立っていた。右の二人はおぼろげでよくわからない。左の二人は、ショートミディアムの黒い髪をしていた。

 二人はそれぞれ名前を名乗ったあと、エリコに何事かを告げた。だが、目覚めた時にエリコはその内容を忘れてしまっていた。


 エリコが目覚めたとき、部屋に備え付けの古いデジタル時計は、深夜三時五二分を表示していた。リネットは眠っているように見えたが、呼吸は寝息ではなく、意識して仮眠状態を保っているらしい。さすが軍人というべきなのか、リネットが凄いのかはわからなかった。

 エリコはふと、今しがた見た奇妙な夢を思い出していた。四人の女性と、そのうち二人の名前と、話した内容。

 あの黒髪の、顔は思い出せないがよく似た二人の女性は、何を語っていたか。それを思い出した次の瞬間、エリコが飛び跳ねるようにベッドから起き上がると、リネットは背筋に電流が走ったように身構えた。

「なっ、なに!?」

 驚きながらも、即座にブラスターを構えて警戒する。エリコはチャージ完了したホバーバイクのエネルギーパックを掴むと、叫ぶように言った。

「リネット、ここにいると危ない!」

「えっ!?」

「逃げるんだ! おばさんにも、逃げるように言わないと!」


 どういう事なのか説明されてもいなければ、とうぜん理解してもいないが、リネットの行動は迅速だった。酒場の女将の寝ている部屋を確認すると、女将を叩き起こして、身を隠せる場所を確認した。

「どこか、安全な場所があったら、すぐにそこに隠れて、じっとしていて」

「何なんだい、いったい!?」

 ぼさぼさの髪の女将は部屋の明りを灯そうとしたが、リネットはそれを制した。

「私にもわからないけれど、あの子が危険だと言っている以上、いますぐ身を隠して!地下室とかはないの?」

「な、なら地下の酒倉に……」

「いい? 何が起こるかわからない。安全だと思う時まで、絶対に出てこないで」


 建物は古いが、酒倉だけは真新しい冷蔵庫で、きちんと温度管理がされているものだった。化学合成酒に混じって、どこから入手したのか本物の果実酒や穀物酒が並ぶ中に女将を押し込めると、リネットはブラスターを構えて階段に足をかけた。

「食べ物、ありがとう。助かったわ」

「あ、ああ……」

 それじゃ、とリネットが立ち去り、階段のハッチが閉じられたのとほぼ同時に、女将の懐にある通信端末が鳴った。

「なんだいもう、夜も明ける前から……」

 通話コールに出ると、よく知った低い、ぶっきらぼうな男の声が聞こえた。

「マリーか、どこにいる」

「エドモンドかい。それがね、いきなり酒倉に押し込められちまったんだ」

「なに!?『黒旗』の奴らか!」

 その名に、マリーは一瞬きょとんとして返した。

「違うよ、ふらっと現れた泊まり客が、いきなり隠れてろってここに押し込めやがったのさ」

「なんだと? 何者だ……まあいい、とにかく地下にいるなら、そのまま動くなよ!」

「ちょっと待ちな。ひょっとして、『黒旗』が動きを見せたのかい」

 マリーはハッチ扉を跳ね上げようとして、リネットに出るなと言われたことを思い出し、内鍵をかけた。端末の向こうのエドモンドの声は、焦ってはいないが憤りを含んでいた。

「間違いない。黒旗の奴らが、俺たちの島に夜襲をかけてきたんだ。ここ最近、軍が黒旗の取り締まりに動いているからな、逃亡か、抗戦のための物資や武器を確保するつもりだろう」

「軍?」

 マリーは眉をひそめた。マリーが属する漁師町の組織『フェンリル』は、北寄りの島にアジトを持つ海賊『黒旗』と敵対関係にある。だが、フェンリルは元々、純然たる商業組織である。歴史的には新興海賊である、黒旗の脅威のために武力を身につけたのだ。

 黒旗は悪どい商人と組んで、地域の漁業を独占し、富裕層に売りつけて利益を得ている。その横暴な振る舞いは軍にもマークされており、しばしば戦闘に及ぶこともあった。

 マリーはあの金髪の女少尉と、胡散臭い赤毛の少年が関わっているのかも知れない、とごく単純に考えてから、すぐに考えを改めた。軍人なら、軍の本隊に連絡を入れればすぐに救援が駆けつけるだろう。酒場に身を潜めなくてはならないということは、つまり軍に連絡を入れられない事情がある、ということだ。

「エドモンド、それで状況は?」

「女子供を逃がすか、匿うので手一杯だ。すまない、また連絡する」

「ちょっと待った! ひとつだけ頼みがある」

 なんだ、早くしろと急かされ、マリーは答えた。

「くたびれた軍服の金髪の女少尉と、赤毛の小僧の二人連れは、どうやらあたしの命の恩人らしい。見つけたら助けてやってくれ」

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