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エリコの方舟  作者: 塚原春海
第二部
11/52

(11)大佐と監察官

 太平洋上に浮かぶ異常才覚者矯正施設島、コードP7。ここを収容者エリコ・シュレーディンガーとリネット・アンドルー少尉が脱出してから、すでに三六時間が経過した。島にはすでに本国ダーウィン海軍基地から、まず先に飛行艇による救助隊、その後艦艇による調査および救援隊が到着していた。

 矯正センターは津波によって地上部分はほぼ破壊されており、逃げ遅れたと見られる兵士、男女計七三名の遺体が屋内外で発見された。死因は溺死ないし轢死でほぼ占められる。状況からみて、海に流された兵士も多数と見られる、と調査隊は報告していた。

 ぼろぼろになった矯正センターの管理責任者だったウィルソン少将は、北岸の潜水艇脱出口の出口付近の岩場に、遺体となって浮かんでいるのが発見された。銃撃の跡が認められたため、溺死ではなく、地下のドックにおいて何らかのトラブルがあったものと推測されたが、ドックは岩盤と内部構造が崩壊しているらしく、調査もままならない状況だった。

「大変なことになったものだね」

 慌ただしく兵士たちが行き交う中、津波被害の調査の指揮を任された、テレーズ・ファイアストン大佐三八歳は、真空保冷ケースに収められたウィルソン少将の遺体を睨んだ。

 大佐は身長一九七センチメートル、体重一〇四キログラム、黒い頑強な肉体の持ち主で、「儚げな少女」という概念のちょうど対極にあるような存在だった。大佐の隣でコンピューター端末のホログラムスクリーンを展開する若い兵士が、小学生か子鹿ていどにしか見えない。美男子で通る大佐の夫は、大佐が占領地から首を掴んで結婚式場まで連行してきた、とまことしやかに言われる人物である。

「軍属は無事なんだね」

「はっ、軍属一三八名は全員、多少の精神不安などを抱えた者が数名いる以外、死傷者は出ておりません」

「収容者の若い子たちは?」

「現在、一名の安否が不明ですが、それ以外は」

「なにぃ?」

 それを聞いた大佐の、厚いまぶたの下から閃いた眼光に、若い兵士は一瞬、死を覚悟した。

「なぜその子はシェルターに避難していないの」

「まだ未確認なのですが、一部収容者の話では津波が到達した時刻に、慈善活動のために折悪しく屋外に出ていたらしく、おそらく津波にさらわれたのだろう、と」

 全身全霊で平静を保ち、兵士は答えた。

「氏名は?」

「ええと……管理番号331、エリコ・シュレーディンガー十五歳」

 空中に浮かぶスクリーンには、赤毛の不敵に笑みを浮かべた少年の写真が表示されていた。

「ふうん。死にそうにない顔してるけどね」

「顔、でありますか」

「あたしの故郷じゃ、占い師が顔を見れば、そいつが長生きするかどうかわかるんだ。あたしは一〇〇まで生きると言われた。こいつは死ぬ奴には見えないね!きっと生きてるよ」

 希望的観測なのか冗談なのかわからない事を言うと、大佐は巨体を揺すって港湾部に向かった。だいぶ巨体のオペラ歌手のマネージャーといった様子で、兵士があとに続く。

「脱出中、波にさらわれた艦艇は何隻だって?」

「五隻です。いずれも横転ないし転覆」

「生存者は?」

「全体で一八名。うち意識不明が一三名、残りは負傷して加療中です」

 要するに、島にいた軍人のほとんどが死亡した、ということである。

「若い兵士達には気の毒だったね。まだ人生、先は長かっただろうに」

 立ち止まった大佐は、十字を切って目を閉じた。慌てて兵士もそれに倣う。湿った海風が強く吹き付けて沈黙を破ると、大型の通信機を手にした士官がひとり、駆け足ぎみに走ってきた。

「大佐、基地のケント・アーノルド少将より通信が入っています」

「あたしにかい」

「直接、通話でとの事でした」

 通話端末を手渡すと、士官は敬礼をしてその場を立ち去った。テレーズが隣の兵士に目線を送ると、兵士もそそくさとその場を走り去る。


「こちらファイアストン大佐」

「ご苦労。被害状況は聞いている」

 アーノルド少将独特の格式ばったイントネーションに、大佐は聞こえないように苦笑した。

「わざわざ労いの電話ってわけでもないんだろうね」

「周囲には誰もいないな」

「いませんよ。いるのはあたしが若い頃さんざん撃ち殺してきた、名も知らない兵士たちの亡霊だけさ」

 笑えない冗談に、少将はひと呼吸置いて返信した。

「周辺の海底の潜水艇探索は進んでいるかね」

「やってるさ。もう何人か、溺れ死んだ兵士の遺体も回収している」

 まだ膨張してないからまともな姿で棺桶に入れられるのがせめてもの救いだよ、冗談ぬきでね、と大佐は悲痛さをにじませたが、アーノルド少将の返信は散文的なものだった。

「海中の死体は兵士だけか?」

「ああ?」

 苛立たしげに、テレーズは返した。少将は繰り返して訊ねる。

「海中で発見されたのは、兵士だけか、と訊いている」

「そんなこと、現場に訊けばいいだろう。今のところ、収容者は一人をのぞいて全員助かってると聞いたよ」

 そこまで言って、テレーズは何か引っかかるものを感じ、少将の返答を待った。少将が確認を求めてきたのは、何となく予想したものと一致した。

「その一人とは、エリコ・シュレーディンガーだな?」

「そうだよ」

「確認するぞ。エリコ・シュレーディンガーの死体は揚がっていないんだな?」

「同じ事を何度も聞くんじゃないよ! あの目立ちそうな赤毛の坊やが捜しても見つからないんだ、かわいそうだけど、サメのエサか、遠くまで流されちまったって事だろう。こんな島まで、わけのわからない法律のせいで連行されて、あげく波にさらわれるなんてね」

 うちの息子と変わらないくらいの歳でかわいそうに、とテレーズは切々と訴えたが、すぐに気持ちを切り替えて少将に問いかけた。

「やけに、その子を気にかけてるじゃないか。どうして本国が、そんなに一人の子供の安否を確かめるんだい。軍はひとの命なんか、空になったブラスターのエネルギーパックほどにも思ってないくせにさ」

「ファイアストン大佐、発言に気をつけたまえ。私の一存で聞かなかったことにしておくが、軍や国家への侮辱は軍法会議ものだぞ」

「ふん!」

 テレーズは息巻いたが、アーノルド少将の関心は、テレーズの態度になど向けられていないのは明白だった。

「話はそれだけかい」

「テレーズ・ファイアストン大佐、略式になるが、命令を伝える」

 何だ、とテレーズは眉をしかめた。少将は声をひそめるように、しかし明瞭に指令内容を伝えた。

「P7島の処理指揮には、代わりの佐官をすぐに送る。貴官は捜索班を編成し、エリコ・シュレーディンガーの行方を追え。状況は逐次報告させるように。できるだけ生かして身柄を確保せよ。万が一死亡していた場合、遺体は速やかに保冷ケースに収め、本国へ移送すること。なお、頭部は特に注意し、凍結させず、損傷しないように扱うように。以上だ」


 ダーウィン海軍基地の執務室で、ケント・アーノルド少将は白髪まじりの髪をかいた。

「跳ねっ返りめ。あれでよく大佐まで……」

 ぼやくようにデスクにつくと、来客用のソファーに座っている、銀色の髪を真っすぐに垂らした黒いスーツの女性が、微笑とも無表情ともつかない、冷ややかな視線を向けた。

「彼女に任せて大丈夫なのですか」

 ほっそりとした外見どおりの、クールで透明な声に、アーノルド少将は背筋がわずかに寒くなったような気がした。少将は精一杯姿勢をただし、自信をもって答えた。

「ファイアストン大佐は諜報部隊出身で、実績は確かなものです。いかんせん、普段の言動や態度が八方破れなもので、誤解されがちですが」

 少将の言葉に偽りはない。テレーズ・ファイアストンは諜報部隊所属時代から、その優れた記憶力と行動力で数々の実績を挙げてきた人物である。

「わかりました。では、例の少年を確保できた場合、ラボではなく、我々に連絡をお願いします」

「了解しました。ラマ……ええと」

 そこで少将の言葉が途切れた。申し訳無さそうに、女性に視線を向ける。女性はここで初めて、それまでよりは多少なりとも感情がありそうな笑みを見せた。

「申し訳ありません、呼びづらい名前で。わたくし、ヴィジャヤラクシュミ・ラマヌジャンと申します」

「失敬しました、ラマヌジャン監察官」

 あらためて少将が敬礼すると、ラマヌジャン監察官は両手を合わせて礼をし、静かに執務室をあとにした。監察官が出て行った執務室は、下がっていた気温が元に戻ったような錯覚を覚えた。



 エリコとリネットはそれぞれ用を足すなどしたあと、洗って干しておいた服に着替えると、島の中央にある岩場に登った。リネットは内ポケットから取り出した、ナノフォトニクス式双眼鏡で周囲の海を観察する。

「特に艦影だとかは見えないわね」

「かりに僕の捜索隊が動いているなら、哨戒機が飛んでくる可能性もある」

「それなら、とっくに飛んできていても良さそうなものだけど」

 リネットの意見ももっともだ、とエリコは考えた。推定する島の位置からすると、仮に本国の基地から哨戒機を飛ばしたとしても、一〇分も要さず飛んで来られるだろう。それに、数は激減したとはいえ、まだ軍事衛星もいくつかは稼働している。

「もう、僕らが島を出て一日以上経つ。移動中、僕が眠ってた時間にも、何もなかったんだよね」

「あったら起こしてるわよ」

 それもそうだ、とエリコは頷いた。

「お得意の予知能力を使えばいいじゃない。何が起きるかわかるんでしょ」

「あのね、僕は超能力者でも何でもないの。ウサギはカメより速いだろうけど、脚で地面を蹴って進んでる事に変わりはない。予知能力なんて便利なものはない」

「なーんだ、あんたの力もその程度か」

 そう言われると頭にくるのが、しょせん十五歳の少年ではあった。エリコはリネットから双眼鏡をふんだくると、北西の空を見た。

「よし、移動しよう、リネット」

「今出るの?」

「いや。出るのは明け方、そうだな……たぶん四時半くらいだ。それまで、浅瀬にホバーで潜水して、睡眠を取っておこう」

 

 夕暮れになるとエリコの指示でリネットは、ホバーバイクを島の西側、浅瀬の窪んだ地形に沈めた。クリスタルモールドと呼ばれる、強化ガラスに匹敵する透明度と強度、樹脂の靭性を併せ持つ素材のキャノピーではあるが、潜って空気と隔絶されると、やはり不安はある。

 潜水モードでは圧縮酸素の供給により、搭乗者は最大で六時間ていど水中にいられる。あまり喋ると酸素を無駄に消費するので、口を開くことは多少憚られた。水面下は、すでに暗闇だった。それまで、まとまった睡眠は取っていなかった二人は、すぐに眠りに落ちていった。


 翌朝四時すぎ、浮上したホバーから北西の空を睨んだエリコは、ゆうべ保存しておいた魚の肉の残りをかじりながら、脳内で素早く計算を開始した。

「リネット。四時三八分にこの島を出る。僕らがいた痕跡は、できる限り消して行く」

「その細かい数字には意味があるんでしょうね、例によって」

 感心というよりは若干怪訝そうな視線をリネットは向けた。エリコは笑う。

 二人は改めて物資を確認した。携行食糧は残り、どうにか切り詰めて一日半ぶん。エリコの計算だと、経由予定地の西パプア周辺海域まで、一四時間程度で到達できる計算なので、どうにかなる筈だった。

 予定時刻が近付くにつれ、北西の空はどんどん暗くなってきた。風も強くなってきている。

「エリコ、大丈夫なの、こんな天候で」

「こんな天候だから、いいんだよ」

 どういうことだ、とリネットは訝ったが、若干破れかぶれでエリコを信用することにして、おとなしくホバーのパワーを入れた。一瞬甲高いイオンエンジンの音がして、コンソールに機体コンディションが表示される。

「オールグリーン」

「それじゃ、島をはさんで今いる位置の反対方向へ、真っすぐに進むよ」

「了解!」

 一瞬で『軍人モード』になるリネットが、こういう状況では頼もしかった。ホバーバイクは勢いよく、小さな孤島から弧を描いて発進した。


 

 テレーズ・ファイアストン大佐が指揮を執る哨戒艦が、エリコ達のいた孤島の北東七〇〇キロメートル付近を航行していた。大佐が艦橋で合成コーヒーを不味そうに飲んでいると、モニターを睨んでいたマーカスが振り向いた。

「大佐、天候が不安定です。すぐに嵐になります」

「そうか。なら、今日のところは捜索は終わりだね」

「えらくあっさりしてますね」

 マーカスは怪訝そうにテレーズの顔をうかがった。迫力、という言葉を体現しているような顔が、あからさまにやる気のない色を見せている。

「どうにかしてあの坊やが海に出たとして、どのみち、あの津波に流されて生きてはいないよ」

「生きてる、ってさっき大佐が言いませんでしたか」

 テレーズは答えない。どうやらさっきのは気休めだったらしい。励ますのとは違うが、マーカスはフォローを入れることにした。

「島を調査した報告では、津波のあとで島の西側の砂浜から、小型の船舶が海に出た跡があったらしいですよ。誰かが脱出したとすれば、水陸両用ホバーかビークルですかね」

 その情報はむろんテレーズも確認していたが、そもそも調査チームが島じゅうでホバーを走らせていたのだから、それが脱出した人間によるものなのかどうか、判断は難しかった。

「そんなものの運転の訓練、島に連行してきた子たちに、させちゃいないだろう」

 不味いコーヒーの残りを近くの兵士に「捨てて」と預けると、大佐は波が高くなりつつある海を睨んだ。

「大佐、連行ってのはやばいですよ。俺達は聞かなかった事にしますけど」

「何がやばいんだい、連行だろう! ちっとばかり頭が切れたり、人並み外れた技術を持ってる子供たちを、まるで精神病か何かみたいに扱って、あんな島に隔離して。国の奴らは何を考えてるんだ」

 あいつらこそ頭の検査を受けてこい、なんならあたしが脳みそのチェックをしてやろうか、とテレーズは息巻いた。テレーズに頭を殴られて、軍や政府のトップが脳震盪を起こすところを、艦橋にいた一二名の兵士達は想像した。

 大佐のぼやきが始まるかと思えたとき、イオンエンジン小型哨戒機が戻ってきて、話が終わるのにほっとしながら管制クルーが通信を確認した。

「こちら一号機、南東の島を確認。人間および船舶等のレーダー反応はなし」

「人がいた痕跡はあるかい」

「低空飛行で目視した限りでは確認できません」

「ふうん。わかった、着艦しな」

「了解」

 通信を終えたテレーズが、左手で右の肘を支え、太い鼻の頭に指をあてる仕草を見せた。これは、何か思案しているときの癖である。

「マーカス、あんたが例えば、P7島からボートか何かで海上ルートで脱出するとしたら、どういうルートで、どこに行く?」

「ええ?」

 マーカスと呼ばれた、ボリュームのあるブラウンの髪の三〇代の大尉が、腕を組んで唸った。

「そうですね、かりに本国からの救援隊や、我々のような偵察部隊の動きまで含めて考えるなら、やはりここに来る前にチェックした、パラオあたりを目指すかと思います。いちばん、軍の警戒が薄いでしょうから」

「そうだ。それならもし、その裏をかくとすれば、どういうルートを取る?」

「えっ?」

 マーカスのみならず、他の面々も「まさか」という顔をした。

「あたしが、もしこの哨戒艦の目を欺く、ないし時間を稼ぐとしたら、今哨戒機が確認してきたような小島の海域を辿るルートで…いっそ西パプアあたりに行くかも知れないね」

「それはないでしょう。西パプアは我々SPF海軍の縄張りだ」

「そうだ。けれど西パプアは比較的、基地の規模はそう大きくない。あるいは付近のワイゲオ島や、バタンタ島あたりに潜伏することもできるだろう。あえて相手の懐の、盲点に潜むことを考えるかも知れない。頭のいい奴ならね」

 灯台下暗し、との諺のとおりだ、とテレーズはニヤリと笑った。

「もっとも、あのシュレーディンガーとかいう坊やが本当に、逃げたとしたらの話だがね」

「けれど、哨戒機が見た島には、何もなかったんだろ?中尉」

 マーカスが、艦橋に戻って来た哨戒機の搭乗員に確認すると、黒髪で顎が張った中尉はうなずいた。

「何もいた様子はありませんでした」

「もし、あたしがその小島にいったん滞在したのなら、そこにいた痕跡は消すだろうね。少なくとも哨戒機から見た程度では気付かないレベルで」

 つまり、痕跡がない事が逆に痕跡になるのだ、とテレーズは言ったものの、いまいち他の面子は半信半疑だった。

 テレーズは、天候の予測マップを確認した。低気圧は北西の大陸から、弧を描くように海上を南下する予測だ。するとテレーズは突然ぽんと膝を叩いて、艦長に指示した。

「艦長、本艦はこれより南西方向、西パプア補給基地へ向けて進む」

「まるで、わざわざ低気圧の前を進むようなルートだ」

「それでいいんだよ。哨戒機も、悪いがいつでも飛び立てるように準備しておいてくれ。他の奴らも、レーダーその他あやしい反応や艦影がないか、チェックを怠るんじゃないよ!」

 指揮官の命令にノーとは言えないので、偵察部隊の面々は「アイアイサー」と応え、それぞれの職務に専念した。

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