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地方公演

フローライト第四十六話

「奏楽!」と明希はさっきまで庭で遊んでいた奏空を呼んだ。ちょっと目を離すとすぐにどこかに行ってしまうのだ。奏空は5歳になっていた。


「奏空!」と更に大きな声を出したが、奏空の答える声は聞こえてこない


(どこ行っちゃったの?まさか道路に出ちゃった?)


明希は家の門から表に出た。すると少し離れたところに奏空がしゃがみこんでいるのが見えた。


(え?)


明希が近づくとしゃがみこんだ奏空のまえにカラスが一羽いるのだ。しかも何かくわえている。それが何かわかると明希は声をだした。


「やだ!奏空!おいで!」


大きめのカラスがなんと鼠の死骸を咥えているのだ。奏空が明希に気がついてこっちを見た。


「奏空、おいで」と何となく声を潜めた。カラスが明希の方を見る。


(怖い・・・)


でもそんなことも言ってられない。奏空がそのカラスの真ん前でしゃがみこんでカラスを見つめているのだ。


「おいで、奏空」


「明希、見て。カラスさんが鼠さんを食べるのかな?」


「そ、そうだよ。お食事の邪魔しちゃだめだよ。おいで」と明希は一歩足をすすめた。するとカラスも一歩奏空の方に足をすすめたので、びっくりして明希は急いで奏空を抱きかかえて走った。


「あ、カラスさんと話してたのに」と奏空が不満そうに言う。


「いいの!カラスさんはご飯の時間だからね!」と家の門まで奏空を抱えてから降ろす。


振り返るとカラスがこっちをじっと見ていた。


(もう、怖い)と奏空の手をひっぱって門の中に入ろうとすると、奏空が「バイバイ」とカラスに手を振った。


こんな風に奏空は明希の思いを遥か超えたところで突拍子もないことばかりした。中でも一番困ったのは、買いものなどに行くと、店の物を勝手に持ってきてしまうところだ。もちろんそれは何度も教えていた。


その日の夕方もスーパーから出て気がついた。奏空が棒付きの飴を手に持っているのだ。


「あ!」と明希は声をあげた。


「奏空?!また?勝手に持ってきたらダメって言ったでしょ?お金を払わないと持ってきてはダメなの!」


もう来年は小学生だというのに、何でわからないのだろうと思う。


「お金?」


「うん、いつも教えてるでしょ?お金がないと何も買えないの」


「うん。でも何で?」


(また、何で?)


奏空はわかっていてわざとやってるのでは?と時々思わせる。この前も同じことを言ったのだ。


「それはそういう決まりなの!いつも言ってるでしょ?」


「変な決まりだね」と奏空は言って飴を包まれている袋から出そうとした。


「ダメだって!奏空!」と少し大きい声を出した。それでも知らんふりな奏空の表情は利成そっくりだ。おまけにわけわからないこというところまでそっくりなのだ。


言うことを聞かないので仕方なく店の中に戻って店員に謝ってお金を払った。実はもうこれが三度目だ。このスーパーにももう来れない。すでに近所の数少ないスーパーの二軒に同じ理由で行けなくなっている。


 


夜、帰宅した利成に言った。


「今日もまたお店のもの持って出たの。利成からも注意して。幼稚園からもお友達のものを勝手に使ったり取ったりするって・・・こないだも言われたばかりだよ」


「ふうん・・・」と関心なさそうに利成がパソコンに目を向けたまま答えた。


「利成?奏空、私の言うこと全然聞かないのよ。利成からも言って!」と明希が少し大きな声を出すと、利成がパソコンを見ていた視線を明希に向けた。


「わかったよ。奏空を呼んできて」と利成が言った。


明希は自分の部屋にいる奏空を呼びに行った。奏空が「何?」とリビングに入って行く。


「おいで、奏空」と利成が自分座っているソファのところまで呼んだ。


奏空が利成の隣に座るといきなり奏空の耳にヘッドホンをつけた。


(ん?)と明希は利成を見た。


奏空がだんだんリズムをとるように身体を揺らしている。


「どう?新曲だよ」と利成が奏空のヘッドホンを外した。


「うん。すごくいい!」と奏空が喜んでいる。奏空も天城家の血を引いたのか音楽が大好きで、ピアノは利成の母仕込みでもう幼稚園児だとは思えないほどの腕前だった。


「そう?」と利成は嬉しそうだ。


明希は「んん」と咳ばらいをして利成を見た。


(もう、そうじゃないでしょ)


利成が気がついて明希の方をチラッと見てから奏空を膝に抱えた。


「奏空、お店のもの持ってきちゃうんだって?」


「持ってきちゃうっていうか・・・今日は飴さんがこっちに来たがってたんだよ」


(なぬ?)と明希は初めて聞く言い訳に目を丸くした。


「そうか」と利成が楽しそうにしているので、明希はまた咳ばらいをして利成を睨んだ。


「でも飴さんに次からは言って。お店のレジを通っておいでって」と利成が言った。


「んー・・・今日の飴さんはわがままだったんだよ。今すぐがいいって」


「そう。でもね、地球にはルールがあるからね」


(地球?)といきなり大きな話になったなと明希は利成を見た。


「んー・・・そうなのかな・・・変なルールだね」と奏空が首を傾げている。


「変だけどね」と利成が笑った。


(こらこらそうじゃないでしょ?)と明希はまた利成を睨んだ。


「わかった。今度から地球ルールやってみる」と奏空が言って利成の膝から飛び降りた。そしてまた自分の部屋の行くべくリビングを出て行った。


「解決だね」と利成が奏空の背中を見送ってから明希に向かって微笑んだ。


(もう!利成の言うことなら聞くんだから)と明希はがっくりとくる。


「はぁ」と大きくため息をついたら、パソコンに視線を戻そうとした利成が明希の方を見た。


「明希、おいで」


「何?」


「いいから」


明希はもう一度小さくため息をつくと、利成のそばまで行った。


「何?」


「いいから座って」と自分が座っている隣のスペースを手でポンと叩く利成。明希はわざとドサッと利成の横に腰を下ろした。するといきなり利成に両頬を挟まれ口づけられる。


「毎日ご苦労様。ごめんね、あんまり手伝えなくて」と唇を離すと利成が言った。顔をのぞきこまれて急に恥ずかしくなる。


「大丈夫・・・」と明希は少しうつむいた。


「奏空は出来上がった中に入れようとすると反発するからね。昔、明希が買ったベビーサークルの中には絶対入ろうとしなかっただろう?」


「ん・・・そうだね・・・。でも、ルールは教えないとダメでしょう?」


「まあ、そうだね」


「それが難しいのよ。奏空ったら利成の言うことしか聞かないんだもの」


「そうか?」


「そう」


「じゃあね、なるべく”ダメ”って言葉を使わないようにしてごらん」


「使わないとどうなの?」


「そうだね、まず試してごらん」


「・・・わかった・・・」


何だか半信半疑だったけれど・・・。


 


そんなこんなで季節は冬に移行していき、それはクリスマスイブの日だった。地方へライブに行っていた利成が帰宅するので、明希はどうしても留守番するという奏空を残して買いものに出た。


(やっぱり車の運転練習しようかな・・・)と歩きながら思う。


実は免許はもう取ってあったのだが、あまり乗らないうちにすっかりペーパーになってしまっていた。買い物を近所のスーパーで済ますと、ちらほらと白い雪が舞っている道を家まで急いだ。


「ただいま」と玄関に荷物を置いてから部屋に入ってびっくりした。


「おかえり」と言う奏空の顔に赤いインクのようなものがついていた。手にはパステルを持っている。そしてリビングの壁には一面絵が描かれていた。


(え???)と事態を飲み込むまで暫し明希は頭が真っ白になった。


「おなかすいた」と奏空が言って、玄関に置きっぱなしの買い物袋を取りに走って行った。


明希が床を見るとパステルを削った後があって、カッターナイフまで落ちている。玄関まで行った奏空が荷物を重たそうに持ってキッチンに運んでいた。


「奏空?カッターナイフ使ったの?」


明希は先にナイフのことを言った。


「ん?」と奏空がリビングに来る。


「うん、そうだよ」とまったく悪びれてない。


「ナイフとかは危ないから一人でいるときは使っちゃダメって言ってたでしょ?」


そう言うと奏空が「ふうん」と関心なさそうな声を出したので明希はカッとして言った。


「もし怪我しちゃったらどうするの?危ないでしょ?!」


「怪我なんかしてないよ」とおよそ子供っぽくない冷静な声で奏空が答える。


「それに・・・」と壁の絵を見た。奏空は何も言わずに明希を見つめている。


「壁に描いたらダ・・・」


ダメと言おうとして前に利成が言った”ダメ”という言葉を使わないようにしてごらんという言葉を思い出して、言おうとしていた言葉を飲み込んだ。


それからよくよく壁の絵を見ると、何かの形ではなかったけれど、かなり大胆ででたらめなようでいて調和があるような・・・不思議な色合いが描かれていた。それは利成の絵のように、明希の心にすっと入って来て気持ちが穏やかになっていった。


壁の絵を見つめたまま黙ってしまった明希に奏空が「明希?」と少し心配そうな声を出した。


明希は壁の前にしゃがんで描かれた絵を見つめてから、「奏空」と呼んだ。奏空が明希のそばまできて抱きついてきた。


「良く描けたね」と思わず言ってしまった。壁に描いたらダメということより、奏空の感性がすごいなと素直に思えた。


「うん!利成さんと明希にクリスマスプレゼントなんだ」と本当に嬉しそうに奏空が言った。その笑顔を見て、”ダメ”と怒らなくて良かったと明希は思った。


奏空は自分が考える世界よりもっともっと別な次元にいるんだと思った。


「ありがとう。奏空」と明希は奏空を抱きしめた。


生まれた時、そしてあの高熱が続いた時、こうして生きてるだけでいいと思っていたのに、いつの間にか忘れて、自分の思いの中に閉じ込めようとしていたんだなと気づいた。


 


その日の夜、地方公演から帰宅した利成を玄関まで迎えに出た。


「ただいま」と利成が明希を抱きしめる。


「おかえりなさい・・・あのね」と身体を離すと明希は言った。


「ん?」と利成が上着を脱いでいる。それを受け取りながら「奏空からクリスマスプレゼントがあるよ」と言った。


「そうなの?」と利成がリビングに入ろうとすると、パン!!とクラッカーの音が響いた。


「メリークリスマス!」と奏空が笑顔で利成に言っている。少し面食らった様子の利成の後ろから、明希はリビングに入った。


「奏空、ただいま」と利成が奏空を抱きしめている。


その奏空と明希は目を合わせて目配せをした。奏空も嬉しそうに目配せを返してきた。


「利成さんと明希にプレゼントだよ」と奏空が「じゃーん」と壁の方に行った。振り返った利成が目を丸くしている。壁いっぱいに描かれたパステルカラーが広がっていた。


その絵を見てから利成が明希の方を見た。明希が微笑むと利成も笑顔になった。それから「奏空」とまた奏空を呼んで抱き上げた。


「すごいの描いたな」と利成が壁の絵を見ながら言うと「うん!」と奏空が張り切って答えた。


食事の後に利成が「じゃあ、お返しにピアノでも弾こうか?」と言ったら奏空が大喜びした。奏空は利成のピアノで歌うのが好きなのだ。


利成と奏空がピアノの部屋に行こうとするのを見送ろうとすると、奏空が「明希も!」と言った。


「いいよ。二人で歌いなよ」と言ったら「ダメ!」と思いっきり奏空が言ったので明希は笑った。


「明希もおいで」と利成も言う。


久しぶりに利成のピアノを聴いた。利成は最近は忙しくて、あまりピアノに触れていなかった。


「奏空の好きな歌弾いてあげるよ」と利成が言うと、奏空が「○○○」と利成の曲を言った。


「それが好きなの?」と利成が笑った。それは幼稚園児にはちょっとどうかなという、かなり大人っぽい歌だった。


ところがその難しい歌を奏空は完璧に歌ってみせた。利成もピアノを弾きながらチラッと奏空を見ていた。


「奏空、うまいね」と明希が褒めると「うん」と奏空が嬉しそうにうなずいた。それから利成のそばまで行って「僕も弾いていい?」と奏空が言った。


「いいよ」と利成が場所をよけると、いきなり今と同じ曲を弾き始めた。これには利成もかなり驚いた顔をした。それに途中少しアレンジしてあるのだ。


「僕としてはこっちがいいかなって思うんだけど・・・」と利成の方を見て奏空が言った。


「そうだね」と利成が言っている。


明希は唖然とした。もしかしたら自分には到底理解できないところに奏空はいるのかもしれない。


 


夜ベッドに入ると、先に入っていた利成が明希に口づけてきた。それからパジャマのボタンを外して来る。


「疲れてないの?」と明希が言うと「全然」と答えてから利成が明希の首の辺りにから胸に口づけながら降りていく。ズボンと下着を脱がされて利成の舌で愛撫された。


奏空が生まれてからは、中には出さないようにしていた。やはり二人目というのは明希には考えられなかった。明希が絶頂感を感じると利成が明希の中に入ってきた。利成が明希の上で果ててから後始末を終えると、明希に口づけてから横になった。


「今日は驚いたよ」と利成が言う。


「奏空?」


「ん・・・そう」


「私も買い物から帰ってきたらああなってたの。ほんと一瞬息が止まった」と明希は笑った。


「そうだろうね」


「もう少しで”ダメ”って怒るところだったよ」


「そうなんだ、怒らなかったの?」


「ん・・・カッターナイフを使ってたのは怒っちゃったけど・・・絵はね、何か利成の絵を思い出したの」


「俺の?」


「ん、昔のあのアトリエの部屋の絵」


「ああ・・・懐かしいね」


「うん・・・私のこと描いてくれたでしょ?あの頃の感覚になったの。そしたら何だかすごく奏空の絵が素敵に見えたよ」


「そうか・・・」


「でも壁どうする?」と明希が言うと利成が「そうだな」と明希の顔を見て笑った。


「だけど奏空、いつのまに利成の歌覚えたんだろ」


「さあ・・・ユーチューブでも聴いてたとか?」


「んー・・・そうなのかな」


「・・・あのアレンジには驚いたよ」


「そうなの?私にはよくわからなかったけど・・・」


「そうか、でたらめだけど上手くいってるような感じのアレンジだったよ」と利成が笑った。


「そう・・・じゃあ、あの壁の絵と同じだね」


そう言ったら利成が明希の方を見た。


「そう思うんだ」


「うん・・・」


「何だか奏空は俺のことも追い越しそうだな・・・」


そう言って利成が欠伸をした。


「ん・・・もう寝ようか?」


「ん・・・そうだな」


「おやすみ」と明希はベッドサイドの明かりを消した。


「おやすみ」と利成も言うと目を閉じた。

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