89 愛
薫と横田は、駅のロータリーに取り残された。
彼らが吸い込まれていった改札を眺めているいるうちに、列車が滑り込んできた。佐々木と三宮の二人を飲み込んで、それは発車したのだろう。
背後で、じゃりっと靴底がすれた音がする。白と、ささやかな青が目に眩しいジャックパーセル。
「じゃ! 俺らも行きますか、」
「……どこに、」
ぼんやりしたまま、横田を見る。
「どこって……京都だろ。新幹線に乗るんだろ?」
「あ、だよな」
馬鹿げた自分の問いかけに呆れながら、苦笑する。
横田は聡い。先ほどの喧しい少年――佐々木の態度が友情に起因するものではないと気付いているだろう。三宮のあの調子がストレートに対する冗談だったとしても、横田の方ではそうは思ってはいまい。
薫は、深く息を吸い込んだ。
迷って、出した答えは相手に伝えるためのものだ。横田が偶然のようにここへ姿を現したこと、実は必然だったのかもしれない。
「……横田」
「なあに?」
横田は笑っている。いつだって、彼は超然と笑っている。
「話があるんだ」
◇
一方、不本意ながら三宮と行動を共にする佐々木。
彼らはガラガラの長椅子に陣取り、佐々木は不機嫌な顔をぶら下げ、三宮は含み笑いを浮かべている。腕を組んで不穏な雰囲気をまとう佐々木に対し、三宮は携帯を片手に気軽な調子だ。
「キミさぁ、自分の友達がホモって解って引かない? 何であんなにあっさりしてたの?」
三宮は、あえて言葉を選ばなかったし、声を落とす配慮もしなかった。とは言っても、佐々木の方でも全く気にしていない。
「だって、俺だってそうだし。……薫ちゃんが好きなんだよ」
すねたような口調で、ボロリと零す。
「え、マジ? じゃあさ、もしかしてさっきは修羅場になるトコロだったわけ?」
三宮は携帯電話を閉じると、嬉々として片足を座席の上に乗せた。靴は履いたままだ。先ほどから、態度の悪い三宮をチラチラと見ていた斜め向かいの老齢の女性は、眉をひそめた。それに気付いていた佐々木は、乱暴に彼の足を床へと引き摺り下ろす。
「惜しいことしたなー。横田が必死で男取り合うところ見たかったし」
あくまで高みの見物を決め込もうとする三宮に、心底うんざりする。
「取り合いになんてならねーよ。……あいつら、付き合ってるんだろ? 相手、相当イケメンだったし」
「そうそう、アイツ、澄ましてるだろ? でも、あの『薫の君』に関してだけは、必死になるんだ。……報われないよな、」
そう言って、三宮はずるずると腰を落とした。今や佐々木の肩のラインに三宮の頭がある。ショートブーツの爪先同士をごちりとぶつけて、いじけている様な様子だ。
流石の佐々木でも、三宮が何を言わんとしているかは解った。三宮は、比較的自分語りをしたがる饒舌な人間らしい。
「何……、お前は、薫ちゃんの恋人が好きなのか、」
俯いたままの三宮は、こくりと頷いた。彼のつむじが僅かにお辞儀する。
「かれこれ、もう、何年になるかな。アイツが中三の時に出合って……だから……五年……六年は片思いしてるんだぜ?」
「五年、六年でつべこべ言うなよ」
むっとしたのだろう、三宮は佐々木を見上げる。
「じゃあお前はどうだって言うんだよ、愛の『あ』の字も知らないようなガキが」
「俺は、好きになったのは最近だ。でも、この先一生、薫ちゃんのことは忘れねーって。ずっと好きなんだ」
「……そんなの、俺だってそうだ」
三宮は、顔の向きを元に戻して呟いた。まるで独り言のような雰囲気だった。
気をとりなおすように、彼は体勢を元に戻し足を組んだ。そうすると、彼のジャケットのファーが首筋に触れてくすぐったい。妙に接近して彼は話す。
「片思いの先輩として、聞いてやろう。キミは、薫の君のどんなところが好きなんだ、」
「え、そりゃあ……、まずは冷たいところだろ? 口が悪いところだろ、」
頬を染めて列挙しだした佐々木を制して、三宮は「俺はな、」と語り始めた。佐々木の話を聞く気はないらしい。
「俺はな、イッセーのぜんぶが好きなんだよ」
「あ、ずりい。俺だってぜんぶだ」
「俺とお前は、同じじゃないぜ? 俺はこの五年、イッセーのぜんぶを見て、ぜんぶが好きなんだ。最低なところも、厭なところもだ」
「……矛盾してるだろ、」
「してないって」
三宮は笑う。
「平気で女の子に手をあげる中学生のアイツも、本の虫になってるアイツも、自分本位なところも、快楽主義者なところも、簡単に人を拾っては捨てるような奴でも、俺は好きなんだよ」
「……そんな奴に薫ちゃんは渡せねえよ」
「でも、好きな奴には一途で真面目だ、ってことも、最近、知った」
手をいじりながら、三宮は俯きがちに付け足した。
「……でもよ、基本的にはダメ人間だろ」
「ダメ人間でも、俺は好きだよ? 俺も一緒にダメ人間になってやるから」
「一緒に倒れてどうすんだよ」
佐々木は呆れてため息をついた。
「じゃあ、矯正してやったり、支えあったりするのが正しい姿だと思うのか? キミは」
「ふつうは、そうだろ」
「キミはそうでも、俺は違う。ぶら下がって、追いかけて、何もかもを捨ててイッセーに従うのが俺の愛だ。……俺は、バカだから。イッセーの傍に居るためなら、底辺高校にいても綿田大学に受かるように勉強したし、ゼンッゼン興味の無い教育学部でも構わなかった」
「それが出来たのは……お前が器用で、たぶん、金があったからだろ」
彼は明るく笑って手を振った。
「……あは。それを言われたらおしまいだけどさぁ、」
ガサツに、肩に手を回してくる。
「『親の金』? 『自分の将来』? 『恋愛ばっかりにうつつを抜かすな』? そんなこと、俺、全然気にしてないから。もう、信念だから。つか、『恋愛』って、遊びだろ? 俺のは『愛』。つまり、信念と信頼よ」
「……お前とは、本当に、解り合えそうにねーな。お前みたいに、苦労知らずで自分主義の奴って大っ嫌いだ。自分のしたいことのために頑張るのって、苦労じゃねーし。トレーニングだろ。……苦労ってのは、もっと理不尽で不毛なモンだ。そこでは目標も忍耐も、アテにならねーんだよ」
佐々木は憤然と、肩に掛けられた手を離す。三宮は、くすくすと楽しそうに肩を揺らして笑う。
「今から目に浮かぶよ。キミってさあ、オヤジになったら『近頃の若いモンは』とか『俺の若い頃は』とか語るタイプの人間だよな。そういうの、ほんと反吐が出る」
「……俺は、そういうオヤジになれるような人生を送りたいんだよ」
ふむ、と三宮は毒気を抜かれたようにきょとんとする。
「……やっぱり、キミと俺は合わないね。……好みなんだけどな、」
太ももに走る三宮の手を、佐々木はバシリと払いのける。ついでに、盗み見ている老婦人にも、どぎつい睨みをお見舞いしたのだった。