86 終幕の序章 その2
ここのところ、時系列ごちゃごちゃでごめんなさい!
このお話は、ちょうど82話と直接的に繋がります。今回、恥ずかしいほどに地の文がないです
全て解ってしまっていた。
クリスマスに横田に顔を合わせた瞬間に、全てがわかってしまっていた。
――ああ、自分は俊が好きで好きで、愛おしいのだ、ということに気付いてしまった。自分が抱えていたのは、疑いようのない恋しさだったのだ。
それでも横田は救いだった。東京の希望そのままの、寄る辺だった。
――これは、皆川が真野家を訪れた日のこと。
皆川だけが知る、優柔不断で、打算的で、苦しむ薫のはなし。
◇
違う、冗談だろ、嘘だ、勘違いだ。否定の言葉を出そうとすればするほど、口の周りの筋肉が抵抗する。その地味な激闘を知ってか知らずか、皆川は薫の肩に優しく手を置いた。そのせいだ。薫は完全に自制を失った。
「……そうだよ。俺は大馬鹿者だよ。俊が好きなんだ。好きになっちまったんだ」
「そんなに思いつめるなよ。男を好きになる事だってある」
「そういうことじゃない!」
そういうことじゃない。そうじゃないんだ。頭の中でリフレインする。
皆川が優しい声で、しかも努めて穏やかに薫の背中に手を回しているのがわかる。しかし今は、苦しんだ黒い塊を、暴れるように吐き出すほかなかった。
「俺は別の人間が好きだったんだ」
事情を知っているはずがないのに、皆川はうんうんと頷く。それがありがたかった。
「でも、違ったんだ。……俊が好きなんだよ」
「そういうこともあるだろう。仕方ないさ」
仕方ない、の一言で片付けたくはなかった。横田にまつわる全ては、確かに存在した感情だ。助けられて、楽になって、温かくなった感情がある。その特別な気持ちを、何と名づければいいのかわからなかった。
その、説明できない現実が彼を苦しめる。皆川は、佐々木しか知らないのだ。
「佐々木にははっきり言えよ。お互いのために」
「言うよ。言えば、あいつは喜ぶし、俺もすっきりする」
「じゃあ問題ないだろう。遠距離になるけど、」
皆川が、あえて気軽な調子で言っているのはわかる。必要以上に深刻な顔をする薫を気遣ってのことだ。
「……『離れてるけど付き合ってます』だなんて滑稽だ。俊って人間は俺にとって、傍にいないことには意味がないんだよ。だから、俊を選ぶっていうことは、小野山に留まることを選ぶのと一緒だ。付き合って離れる、ってのは選択肢にない。
それ以外の選択肢は、振り切って東京へ行くことだ」
(自分が東京へ出ても、佐々木は小野山で自分を想うと言った。それだけで充分じゃないか。彼に胸を張って会えるよう、一生頑張り続けると決めただろう?)
「そうすべきなのに、振り切るべきなのに、俺には小野山に留まる術もあるから、……迷ってるんだよ」
「……浪人するのか?」
薫は何の説明も付け足さなかった。
「でも……俊の傍はこわい。『破綻』が怖いんだ。『破綻』したらきっと、東京を選ばなかった俺自身を呪う」
彼にこだわるよりも、横田に気持ちを舞い戻らせ、彼との未来を優先した方が有益だった。横田、つまり都会は、佐々木を忘れさせるだけの魅力に満ちているはずだった。
「……そんなのは愛じゃない、とか言うか?」
皆川は首を振る。
「愛なんて、俺はまだ知らないから。優先すべきは進路選択だ。リスクが少なくて、将来の可能性が多いものを選ぶ」
薫は、何よりも、東京に転がっている可能性を選ぶべきだと思った。彼は法曹界を目指しているワケではない。そうだとしても、東京にいるほうが、情報も、人間との出会いも、何もかもが広がっていると感じていた。
いっそのこと親が全ての決定権を握っていたらいいのに、と、このときばかりは放任主義の親を恨めしく思う。
「数年も経たずに、今の恋のことは忘れる。それに、損得や合理・不合理で考えることは必ずしも悪じゃない。薫の言いたいことはよくわかる」
じゃあどうして。
「そうだよ。俺の判断は、きっと正しい。なのに、何でこんなに苦しくて、迷って、俊の傍を選びたがるんだ」
「人間は楽な方に流されたがるからだ。……いや、小野山にいる方が楽だと言ってるんじゃない。悩むことをやめて、佐々木の傍で安穏としたがるのが楽する、ってことだ。いいか、今の苦しみを愉悦に変えたくて俊の傍を選べば、お前は楽な場所から這い上がれなくなるぞ。放棄するなよ? 考えろよ?」
薫は素直に頷いた。
「……社会的・野心家であろうとするのがふつうだ。だから薫は迷ってるんだろう? 社会的であろうとする薫のような人間が、愛に奔走するラブ・ストーリーの主人公のようであるはずがない、似合わないことはするもんじゃない」
「じゃあなんで、お前は俺と俊をくっつけるようなことするんだよ」
矛先を変えてしまった。しかし、皆川は冷静に薫を宥めた。
「そうじゃない。別れの機会を作ってやろうとしたんだ。……こういう話は、薫とは最初からするつもりだった」
「なんでそこまでするんだよ……、」
皆川は明るい色の髪を揉んで苦笑する。
「気付いちまったからだろ。知らぬフリしろとでも言うのかよ」
「……大きなお世話なんだよ。」
「水臭いこと言うな。俺たちは友達だろ」
――友達。その言葉が嬉しかった。
「決めるのはお前だから、俺の意見ははっきり言ってもいいな?」
そうことわって、彼は再び話し始める。
「……俺は、俊を選ぶことへ後押ししない。恋愛をサブ・イベントと見るようなやつは、野心的に生きることをお勧めするね。だって、それがお前の幸せなんだから」
(……決め付けるなよ。)
皆川は、表情を緩めて薫の背中に触れる。薫の顔がまだ、かたかったからだろう。
「考えろとは言ったけど、なあ、あんまり深刻になるな。得意だろう、図式的に考えろよ」
皆川には、わからないだろうな――。
それっぽっちの変化が怖いから、苦しいんだ。他人から見た些事が、俺には巨大な樹海なんだ。信念そのものを揺るがすから、恋なんだ。
そう反論すればよかったんだ。しかし、恐れがそれを許さない。
でも、恐れだけじゃないのも確かだ。
破綻を恐れる気持ちと同じだけ、幸せへの憧れがある。
これから来る春をまた隣で迎えられること。暑い夏は、アイスでも食べて縁側で汗をかくこと。秋はコンビニでおでんでも食べてみること。冬は連れたって道を歩くこと――
離れていては出来ないことや感覚、それが一生続くかもしれない。それが自分の幸せかもしれない。
その可能性を捨てきれない。
俺はホントに、馬鹿で良い。俊に狂ってても良い。みんなに駄目な奴、って笑われても嫌われても良い。俺を作ってるもの全部どっかに放り投げても、俊を好きな自分が、一番大事。
そんな気持ちと、戦っている。
そのうしろで、横田の背中が何度も揺れる。振り向かない横田の背が、何度も揺れた。