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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第三部
84/92

84 括弧つきの、(帰省)

 時は一日前。場所は東京。


「帰省?」


 横田一成は、携帯電話を肩と耳で挟んで怪訝な声を発した。なぜそのような不安定な格好で通話しているのかというと、彼の両手はフライパンと菜箸に支配されているからだ。改めて掛けなおせば良いものなのだが、彼はそれをしない。なにしろ、電話を寄越した相手は、膝を揃えて折り返し電話をかけるという配慮をするに足る人物でないのだ。


「……何で俺まで」


 電話自体が、「取るに足らない通話相手」そのものだ、と言わんばかりに、耳の下の小型の機械を睨む。電話の主は、横田の元義弟である三宮(さんのみや)(けい)だ。


《いーじゃんいーじゃん。細かいことは。それに、食い物とか食器とか、色々送ってもらってるんだから礼ぐらい言いに行けよ。常識だろ?》


 京は、いつものちゃらちゃらとした喋り口で軽妙に言ってのけた。恐らく彼の方でも、ソファーにひっくり返りながら電話してきているのだろう。もっと悪ければ、女(あるいは男)を腕に抱いたまま話しているかもしれない。


「あれは、お前のばあちゃん……好子(よしこ)さんが『お前に対して』送った代物だろ?」

《違うって。『半分はかずくんにあげてね』って手紙が入ってるもん》


 その言葉に、思わず菜箸を取り落とした。拾う前に火を止めて、拳を作ってぎゅっと力を込める。すうと息を吸い込んで、怒鳴り声をあげる準備をする。携帯電話を口元正面に回して、叫んだ。


「……こンの、バカの宮!!」


 京の耳には多大なるダメージが与えられただろう 


「な・ん・で! それを今まで黙ってたんだよ!」


 京の返事は返ってこない。今頃、のた打ち回っているかもしれない。それをいいことに、横田は攻撃を続ける。


「お前、今まで何て言って寄越した!? キッチン用品はどこそこのブランドで揃えたいからやるとか、余ったからやる、とか言ってたよな!? てっきり、お前のおこぼれを頂戴しているもんかと思ってたんだけど! 可愛い孫を想って送ってきてくれてる好子さんに悪いから、『京が要らないって言うんで、俺が代わりに貰ってます』なんて言えねえし!」


 可愛い、という形容詞をことさら皮肉っぽく強調する。

 ようやく回復した京は、なんと笑っていた。


《……ハハハ、そう言わないと、お前、三宮(ウチ)からの『施し』は受け取ってくれないだろ?》

「当たり前だ!」


 彼は立てかけてある上等なまな板を睨みながら唸った。


「他人の家からこんな上等なもん受け取れるわけねえだろ! なにより、礼が必要な事を黙ってるんじゃねえよ、バカ!」


 三宮はしばらく黙ったあとに、ぼそりと呟く。


《……他人ちゃうし、》

「は?」


 三宮の声が沈んでいた。横田は聞きなおす。


《イッセーは、三宮(キョウト)の家を『他人』って言う。違うだろ、……家族だろ。ばあちゃん、お前の住所知らないんだぜ? だから、まとめて俺に送ってくる、》


 三宮の声は、しんみりしていた。横田はその空気が嫌いなので、ぶっきらぼうに、かつ手短に切り返す。


「実際に他人だろ」


 そう言い捨てたと同時に、薫についた嘘が蘇る。「俺の親父もオカンも兄弟もじいちゃんもばあちゃんも『横田』ですけど!」。自分にはもう、縋れる“横田”がいないのだ。


《イッセーが勝手に出てったんだ。誰も出てけなんて言ってねーのに、勝手に、》

「……勝手なもんか」


 横田の苦悩は、三宮に知られるべきでない種類のものだった。陽気な彼には、軽薄で・頭が悪くあってほしかった。暗い悩みに侵されてほしくはなかった。第一、決着を付けたこと、全て過ぎたことだと自分が納得している。

 フライパンの中の炒め物は余熱で加熱され続け、焦げができてしまっている。もうそれを食べるわけにはいかない。しかし、どうにも億劫でフライパンを持つ気にならない。携帯電話が、片手では支えきれないほど重量を持ったものに感じられる。

 ふう、と大きく息を吐き出し、気分を入れ替える。いつもの自分に戻るための儀式だ。


「……とにかく、一度礼を言いに好子さんのとこへ行かんと、」

《まじ、》


 三宮の声は、僅かに光が差したように明るくなる。


「トーゼン、お前も来るんだよ? 好子さんにキッチリ弁明してもらわないとねえ? ……でも、京都の家には顔出さねーぞ」

《あ、あすこはもう引き払ったぞ。お前が出てから、俺と父さんは宇治(じっか)に帰ったし》


 何でも無いように、すとんと述べる三宮。横田は本日二度目のショックを受けることになる。


「じゃあ、今、……義治(よしはる)さんも宇治に、」


 生唾を飲み込みながら、ようやく言い切った。コンロに拳を突きつけたい衝動に駆られる。自分でも目を背けたくなるほど、今の自分は狼狽していた。

 しかし、間抜けな三宮は気にも留めなかった。今ばかりは、三宮の馬鹿さ加減にありがたさを感じる。


《ああ、そうだけど? 今は宇治(じっか)から学校に通ってんだ。不便だけど仕方ねーよ。一人で市内にいるとなると、家賃も馬鹿にならねーし》

「お前はバイトしないし、か?」


 辛うじて、皮肉めいた冗談を織り込んた。

 三宮京の父親である、三宮義治(さんのみやよしはる)は、京都市内の私立中学の教師だった。息子に甘くて優しい、親馬鹿な人間だった。あくまで、「息子(けい)」にだ。


《してたしぃ。……ちょっとだけだけど。……つか、俺もお前も、近所の大学に通えば良かったんだよ。そしたら、市内の家に住んでられたんだ、って父さんは未だにぐちぐち言ってる、》


 正しくは、「京が、地元を動かなければ良かった」だ。それだけの話だ。三宮の知る“事実”と、横田の経験した“真実”は、異なっている。


「だったら、お前だけでもそうすればよかったんでないの? 何でもかんでも俺の真似ばっかりしてさあ。同じ大学・同じ学年・同じ専攻・同じクラス、……しまいにはプレゼンのパートナーとか、本気で笑えない」


 腐れ縁、というのも実は正しくない。三宮が執拗に横田を追い続けていただけなのだ。横田は三宮の二つ上級のはずだが、浪人をしたので今や同級だ。

 三宮は、受話器の向こうでへらっと笑った。


《だって、俺、イッセーのこと超愛してるし。どこまでも追うよ?》

「そこにお前の意思はないの。野望とか、夢とか……、」

《……さあね、》


 横田は、三宮が含み笑いしている様を想像した。

 今のは、横田風のかわし方だ。あしらい方だけではない。言葉そのものまで、真似をした。時にぞっとするほどの執着を、三宮は見せる。

 しかし、不思議と逃げたいとは思わなかった。支えのない彼の人生の中で、唯一つかまれる藁だとすら思っていた。


「……変な奴」

《え? 何か言った?》

「何でもない」

《で、いつ行くの?》

「……明日、」

《明日ぁ!?》


 今度は三宮が驚いた声をあげる。


「なんだよ、予定があるのかよ。お前、バイトしてないだろ、今」

《えー? してねーけどぉ……、明日はサキちゃんとデートがあるんですけどぉ……、》


 横田は「ふん」と腕を組んだ。


「……じゃあ聞くけど。男好きのサキ嬢に乗るのと、『お兄サマ』と一緒に新幹線に乗るの、京ちゃんはどっちが良い?」


 お互い声を漏らさずに、嗤った。


《……間を取って、お兄様に乗ってもらいたい、な》


 冗談を聞き流して、横田は締める。  


「決まり。明日朝六時に品川駅。遅れたら殴る」



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