82 合格発表
「サクラサイタ」
短いメールを横田に送る。
横田は数日前、五ツ橋大学の合格発表の場に足を向け、薫に結果を速報してくれた。当然ながら不合格であって、横田にはきわどいことをさせたものだ、と薫は申し訳なく思っていた。
なので、この合格の報告はめでたいものだ。
同じ文面で、佐々木と、藤堂と、サヤカと、皆川と、親。その他、ごく親しい友人だけに報告する。
確信はあったので、大した感動は沸き起こらなかった。ただ、どうしようもないほどの安堵が広がる。
パソコンの液晶画面の向こうにはっきりとあらわれている、自分の受験番号。
赤川大学法学部、合格。
ぐっと小さく拳を作った。
数分後、どしどしと返信が返ってくる。どれもこれも薫を讃える文面で、少しくすぐったい。
唯一返信して来なかった一足早い春休みを絶賛満喫中の皆川は、なんと電話を掛けてきた。ワンコールで出る。
「皆川? なんだよ、電話って、」
《おめでとう、薫!》
思わず薫は、嬉しさと安堵と、おかしさで笑い出した。
「あ……ありがと。わざわざ電話してくるとは思わなかった、」
《ついでだよついで!》
「ついでェ?」
《ああ。言っただろ、前。卒業旅行に行こうぜ、って話。俊の後期試験が終わったらすぐ出発だ》
佐々木はやっぱり、前期日程では落ちたようだ。
「ああ! そうだった! てか、もう遅くないか? 予約取れたのかよ、人数も決まってないのに」
《一泊でもいいだろ。国内だし》
「そうなん? 俺、何も聞いてなかったんだよな。どこになった。近所の温泉? それとも、仙台?」
仙台は皆川の進む大学がある場所だ。
「……京都だ」
皆川はゆっくりと、旅先を告げた。ふっと横田の影が頭を過ぎる。そこは彼が青春時代を過ごした場所だ。
「……キョウト?」
《そう、あの、京都》
落胆を隠せない。京都なら、修学旅行などでほとんどの者が行った経験もあるし、なにより、一泊では観光どころではない。更に悪いことには、京都が一番混むのは春と紅葉シーズンだということは、薫でも知っている。
都市間の交通網が発達しているから、小野山市から京都市までは億劫になるような移動時間はかからない。が、薫としては、できれば、近所の温泉なんかで離別前の男同士の語らいがしたかった。
「……なんで数ある候補地の中から、あえて京都なんだよ。そんな雅やかな趣味を持った奴が居るかよ……女子じゃねーんだぞ」
《女子がいる、って言ったらどうなんだよ》
「え、」
薫はまごついた。
《更に言えば、俺様の建築の勉強のため」
「う、」
更に反論が出来なくなる。
「ちなみに、E組の児玉リカちゃんは、K大学だろ? で、マンション探しするんだってよ》
追い討ちだ。それにしても、全く話したこともない理系の女子までもが参加するとは驚きだ。
《で。どうすんだよぉ?》
ニヤニヤ笑っている皆川が目に浮かぶ。文句は言いつつ、拒否はしない。それを皆川もわかっているのだろう。
「……行くよ。行くに決まってんだろ!」
《そうこなくっちゃあ。よし、コレで全員の確認が取れたな》
「全員? 小野山大単願の俊はまだだろ?」
ははは、と軽い笑い声が受話器の向こうで響く。
《『薫ちゃんが行くなら俺も行く』、だろ? アイツは。インフルエンザに罹っても来るよ。薫のためにな》
「『ために』って……。別に頼まねーよ」
ハイハイ、と軽くあしらった。
《もう少ししたら、パンフレット届けに行くし。今家だろ?》
「ああ。……合格祝いの品は別にいらねーぞ」
《やらねえよ》
彼はケタケタと笑い、最期におめでとうを繰り返して電話を切る。
◇
数分後、宣言どおり皆川は現れた。
皆川の明るい髪色にひとしきり爆笑した後、ようやく彼を真野家内部に招き入れた。皆川は滅多に怒らない。そのせいか、超然とした、出来た人間に見える。
彼を居間に通し、薫は台所で麦茶を用意する。
「宿坊だからさあー!」
皆川は声を張り上げて話し始めた。薫が戻るまで待てないらしい。
「門限早いし、チェックアウトは早いんだよねー!」
薫は盆を使わず、麦茶が並々と注がれたグラスを手に持って戻ってきた。
「……てなわけで、宿はこの寺の宿坊。当然、部屋は男女別。風呂は大浴場だ。飯は各自。完全自由行動」
薫は感心して彼の話に耳を傾けていた。
「よく女子が宿坊なんて許したな」
「結構綺麗なところだぜ? なにより安いし」
彼が開いたパンフレットには、旅館と見まごう程のキレイな畳の部屋の写真が広がる。
「へえ……」
皆川は真っ直ぐに薫を見て、真剣な声色で言った。
「……安心しろよ。佐々木との時間は確保させてやる」
「はぁ?」
怪訝な表情を見せた薫を気にも留めず、皆川は頭の後ろで腕を組んで炬燵用の低いソファーに身を倒す。
「まあ……確かにさ。お前狙いの女の子もいるけど、ガードしてやるから。どうせ薫を狙うような子は顔が好きなだけだろ? ……だったら俺が薫の代わりに相手してやる。不足ナシだろ」
いくぶんかげんなりして皆川を見た。
「皆川……。それ、俺に対して失礼だし、女の子にも失礼だし、自信過剰すぎる」
「冗談だろ」
おどけた顔を今更作る。しかし、薫は首を振った。
「冗談の顔じゃなかった。真剣な顔しただろ」
「そうだ」
強い語気で、皆川は肯定した。流石にぎょっとする。
「冗談の流れじゃない。最初の一言目はな」
最初の一言め。ということは、二言目の女の子の件は冗談だ。
「俺と、佐々木を二人にしてやる、ってとこ?」
自信ななさげに言ったのに対し、皆川はしかと頷いた。薫は麦茶に目線を落として、口元に作り笑いを貼り付ける。
「……何でだよ。そういうのいいからさ、みんなで話そうぜ? ……さすがに、俊に気ィ使いすぎだろ……」
最期に付け足した言葉は冗談だ。しかし、皆川はそうは受け取らなかった。
「俊に気ィ使ってるんじゃない。……薫。お前に気ィ使ってんだ」
「……は?」
どくん、心臓が脈打つ。皆川を軽く見ていたかも知れない。聞きたくない言葉が飛び出てくるかもしれない。
咄嗟に、開きかけた皆川の口元を押さえたくて、薫は手を伸ばした。皆川はそれを予測していたかのように伸ばされた手を掴み、薫の必死の抵抗を放り去る。
無慈悲に、皆川は言い放つ。病気の宣告をする、医師のように。
「……薫は、俊が好きなんだろう?」
否定しようと思っても、言葉が出てこない。代わりに、涙をのむように喉がこくりと上下した。
それは、体が表した肯定に他ならない。