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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第三部
80/92

80 前期日程試験 その2

 できない。

 

「……あのさ……多分疲れてるんだ。……たたねーんだよ」


 情けないへらっとした笑顔で、自分を跨いでいる横田を見上げた。しかし、暗闇なので相手の表情はわからないし、自分の顔も見られていないだろう。

 そう告白してから気付く。自分の方の状態は、相手には関係無いと。


(相手は女じゃねーんだっての……俺のバカ) 


 しかし。


「そうだよな、」


 柔らかな声で横田は言った。

 薫は、下腹部に触れている相手の僅かな存在感には気付いている。

 

「じゃあ、……それ、俺にさせてよ」


 額をパチンと叩かれた。


「薫のクセに生意気言っちゃって。いいから寝ろよ」


 いつもの子ども扱いだ。横田は体をベッドから降ろした。トスン、と軽い音がして彼が床に足を突いたのがわかる。薫は反射的に上体を起こして、横田の服の裾を掴む。


「待てよ! してやるって言ってんだよ! これ以上恥をかかすなよ」


 しかし、横田は軽く微笑んでから、薫の引き止める手をやんわりと外した。その手はやはり、冷たかった。


「疲れてりゃ不調になるって。バカ言ってねーで早く寝ろよ?」


 いつもの調子で言い残すと、飄々と部屋を去っていく。パタンとドアが何箇所か開閉した音がして、彼が居間に行った気配がする。やがて、小さくドライヤーの音が聞こえてくる。

 薫はしばらくは布団に身を倒せなかった。恐れていたことは、確かに現実のものとなった。シーツ越しに自分の膝を抱える腕の力が、ぎゅっと強くなる。


「ごめん……」


 彼のいなくなった部屋で、薫は呟いた。

 物の多い部屋のなか、彼の謝罪はどこに収まったのか、彼自身わからないでいた。


 ――数時間後。

 薫が寝付いた後に横田は戻ってきて、そろりとベッドに潜った。身を倒したあとに、眼鏡をかけたままであることに気付き、左手でそれを外す。そのまま、眉間の凝りを解すように揉んだ。

隣で薫が小さく身じろぎをする。起きているのかと思いきや、しっかり眠っている。

 先刻叩いた額、髪越しにそっとキスをする。

「親による、子供へのキスのようだ」。横田は自分に苦笑して、瞼を閉じた。


 薫が自分のことを好きで受け入れたのではないことを、彼はわかっている。

 誰かに心を贈ること、その反応に一々驚かされる思いだ。世界は彼が思うよりも、解ろうとする努力に溢れているかもしれなかった。だから、待つことぐらいどうってことない、そう言い聞かせている。

 脇で寝息を立てる少年は、これからこの町に横たわる数年間をあげると言っているのだ。答えを待ちわびた数ヶ月よりも、これからやってくる数ヶ月の「待ち」の方が数段恐ろしかった。

 しかし、彼のモットーは「楽しむこと」だ。なので、不安な気配に心を支配されることは良しとしない。度々忍び寄る怯えを、笑顔で退かせなければいけなかった。

 自分を貫く信念を揺るがすこと、それが恋のもつ罪悪。その罪悪感が、恋をしていることについて自覚的にさせる。


 いつの間にか、規則的な寝息は二つになる。







 その後、彼らの間には何事もなかったかのように日々が流れていく。

 小野山に帰った薫と、東京の横田の連絡手段は相変わらず携帯電話だ。


 外の空気も段々と温かくなり、よそよそしい梅の花は早くも散ろうとしている。薫は普段、季節の移ろいに目を向けるような情緒は持ち合わせていないが、少なくとも桜よりも梅が好きだった。それも、桜は落ちてくる花びらが鬱陶しいから、ぐらいの理由だ。

 だから、母親の藤子にお使いを頼まれた帰り道に遠回りして、梅が立ち並ぶランニングコースを歩いたのは、べつに梅が見たかったからではない。あるいは、離れ行く小野山の風景に浸りたかったという感傷からでもない。

 洗剤や、ゴミ袋などといった、小さくて重さもない荷物を腕に通し、のらりくらりと道を行く。仕事の忙しい両親は、そうして時々薫にお使いを頼んでいた。幼い頃からの、薫の仕事だ。


 ランニングコースなだけあって、舗装はしっかりしてあるし、傍には用水路が流れている。早朝や晩方には、それなりに多くのランナーが集っているようだ。流石に真昼間は、犬の散歩をする人が多い。


 佐々木も、そこを走るのを彼は知っていた。


 当然、この昼日中に佐々木の赤茶色の髪が揺れているのを見ることは無かった。


 やがて彼は、飽きたようにひなびたランニングコースから外れ、人と店で華やぐ大通りへと戻っていく。



 明日は、第一高等学校の卒業式だ。


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