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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第三部
79/92

79 前期日程試験

 五ツ橋大学の前期日程の試験は、そう間を取らずやってきて、あっという間に過ぎ去る。まさに数分前、激闘が終わったところだ。

 薫にとっては負け戦の色合いが強く、気落ちしている。とぼとぼと試験場を抜け、校門に向かって歩を進める足はひどく重い。周囲の学生が妙に賢そうに見えてしまうのは、自分の卑屈な気持ちのせいだけだろうか。しかし、従兄の柏が言った言葉ももっともで、自分のようになんとなくで受ける人間もいれば、全てを賭けて挑む人間もいるのだ。自分の敗因を、真摯に受け止めようとする。


 慣れない道を迷い迷い歩き、待ち合わせの喫茶店まで行く。そこで横田が待ち構えている。

 ガラス越しに、店内をチラと覗き込むと、気軽な姿勢で本に向かっている横田が認められる。さらりとした黒髪は清潔だし、伏せ気味の横顔は美しさそのものだ。一瞬、薫は、そこでたたずんだまま、恋人の凪を見つめていようかとさえ思った。

 しかし、そういうわけにもいかない。後続の客に押し流される形で、彼は自動ドアを通過した。

 横田は薫に気付いてコロリと笑う。


「お疲れ」


 彼は、栞も挟まずに、読みかけの本を無造作に閉じてしまった。


「あ……、……うん」


 さえない表情で、鞄をおろしながら頷いた。

 彼の前にはとろりとした白のカップ、中身は黒々とした液体。相変わらず、苦手とのたまうブラックコーヒーを注文しているようだ。湯気の気配はもう、ない。結構な長い時間、そうして待っていたことが解る。


「早かったな」


 彼は本をジャケットのポケットに放り込む。やはり横田は、いつだって身軽だ。


「出口が混む前にさっさと出てきたから」


 薫は、伏し目がちに短く答えた。


「コレで試験日程は全部終了か?」

「いや、」


 薫は、椅子を引いて彼の向かいの席に身を預ける。


「……疲れた……」


 上着も脱がぬまま、机上に上半身を倒してしまった。


「ご注文は? 甘いの? 冷たいの? あったかいの?」


 小銭が鳴るような音を響かせ、彼は立ち上がった。薫の代わりに、セルフサービスのカウンターで注文してきてくれるようだ。


「冷たくて甘いの。くっっっそ甘いの!」

「わかった」


 くすくすと笑いながら、横田はカウンターへ向かう。


 数分後、横田が運んできたのは得体の知れないキャラメル色の液体に、ソフトクリームのように聳え立つクリーム、チョコレートソース、割り込むように無理やり乗せられた抹茶のアイスだ。


「……何それ」

「キャラメルアイスコーヒーの、クリームL、チョコレートソースL、トッピングで抹茶のアイス。後はセルフのココアパウダーと蜂蜜ぶっ掛けてきた。どうよ?」

「どうよ、って……」

 

 言われてみれば、カビのような茶色い粉の痕跡が数箇所あり、琥珀色の液体がチョコレートソースの作ったくぼみを流れている。

 げんなりして、パフェなのかコーヒーなのかわからない代物を眺めた。 


「……限度ってもんがあるだろ。アンタはバカか?」

「え? ダメ? あの子のおススメに従ったんだけど」


 と、メイキング担当らしい女性店員を指差す。すると彼女は、横田に気が付いて手を振った。笑顔が眩しい、溌剌とした美人だ。


「知り合いなの?」

「サークル仲間」

「へえ」


 横田の仕業でないなら、まあいいか。と、薫は一口すすってみる。意外とまともな味だ。見た目は冗談かネタの産物としか思えないが。


「インカレだしさ、薫も入ればいいよ」

「ヤダよ。だって、サヤカもいるんだろ? あいつ、面白がって俺のガキのころの話とかバラすからな!」

「ああ、従兄妹(いとこ)の双子に木の上に登らされてよ、降りられなくなった話とか?」


 カッと頬が羞恥で赤くなる。


「ホラ見ろ! アイツ、言ってんじゃねえか!」


 横田は上半身を丸めて笑っている。触れ幅最大をとって、彼のすねに爪先を打ち込んだ。





 その夜のことだ。

 明日は試験の予定もないし、小野山市に帰るだけだ。だから、二人の間には暗黙の了解が流れている。

 いつも通り先に風呂を終えた薫は、横田のベッドに横になっている。いっそのこと、このまま寝入ってしまい、何も起こらぬまま朝が来て欲しかった。でも、緊張した心では寝落ちはできそうもない。

 シーツはパリッとしていて、枕はふかふか。横田の薫りらしきものは一切残っていない。いつも通り、微かなインド香の香りが漂うだけだ。


(あ……寝られるかも……)


 ふわっとした眠気が瞼を襲った。この波に乗ってしまおうか。

 そう思った時に、横田が部屋に入ってくる気配がする。どっと心臓が汗をかく。


「……寝た?」


 横田がぶっきらぼうな調子で聞く。


「……起きてる」


 湯上りの気配が寄ってくる。彼はベッドに手を付いた。ぎし、と小さくきしみ、横向きになっている薫の耳にダイレクトに響いてくる。

 体全体がベッドに乗る。自分の腰をまたがれた気がする。


「こっち向け」


(なんだよこれ……。結婚初夜みたいな……キモチワリイ)


 覚悟を抱いて身を任せるのと、いきなり何の打診も無く手を出される事との間には、断層すら生じている。後者の立場であった秋は、不意打ちを繰りかえす横田に対して烈火のごとく怒ったものだが、その方がいかに幸せであったかを思い知る。

 今は対等だ。自分の方でも、応じることを示さなければいけない。肩口を掴まれると、乱暴に九十度倒され、向き合うかたちになる。自分を見下ろす横田の黒髪は毛先が僅かに濡れていて、艶やかだ。

 腕に力をこめ、上体を起こす。応じるように、横田は上方に手を伸ばして照明を落とした。闇に慣れない目は、何も映さない。だから、肌や指の感覚が鋭敏になる。


 唇が被せられる。舌が割り込んでくる。心地よさと、快感に身が震える。短くて熱い息がもれてくる。横田にはどうしたって、からだを溶かされる。

 

 それでも、昂ぶらない。


 出来ない。


 出来ない。


 苦しすぎて、出来なかった。


「できないよ……」


 とうとう、口に出してしまっていた。

 自分のからだに触れている横田の手が、二月末の夜の空気と同じくらいに冷たくなっていく。


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