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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第三部
77/92

77 暖簾に腕押し

 食事を終えると、横田は休む間も無く風呂場の準備を始める。


 湯飲みで手のひらを暖めながら、彼のくぐった戸の向こうを眺める。微かな流水音と、風呂場の桶やら椅子やらが立てている音が間延びして居間に届く。音の切れ目切れ目に、横田のご機嫌そうな鼻歌が割り込んでくる。彼は調子が良いと鼻歌を歌いながら作業をする癖があるようだ。

 

 それにしても、彼がラジオ以外の機器で音楽を聞くところを見たことがなかった。

 デジタルオーディオプレイヤーを持ってはいるようだが、中身は英語やドイツ語、スペイン語などの語学系、そして落語。ラジオにしても、惰性で流しているだけのようで、膝を折りたたんで聞いているわけではない。「この様でよく同世代の友人がいるな」と呆れるが、薫にとっては関係がなかったし、ラジオも鼻歌も心地いいので問題ない。


「浮世離れしてるって言うか、変な中身だよなあ」


 たしかに、パッケージ買いをしたら「損をした」と思わせるような男だ。


「九時三十八分……か」


 彼は壁掛け時計を忠実に読み上げた。試験前は早めに眠るに限る。

 薫と同じ大学を受験する生徒たちは、それぞれ親戚の家やホテルに宿泊している。この時期になると、受験生用の宿泊パックが出回り、ホテルは混みに混む。中には、受験会場の近くにはもう泊まる宿泊施設がない、という事態にもなる。それを横田の家に泊まることで避けられただけでも、ありがたかった。


 やがて横田は、寒い寒いと喚きながら炬燵へとダイブするような勢いで戻ってきた。肩を縮めて、にこりと笑う。


「で、センターの調子はどうだったの」


 いきなり、受験の話題だ。


「赤川はA判定。まあ、受かるだろ。綿田大学は……」


 そこまで言って、続きをためらう。


「綿田って、センターのみの方式のやつ?」


 消えた言葉尻を横田が捕らえ、薫は僅かに恥らいながら、こくりと頷いた。恥らう、というのも、その方式で受験するのは、彼の学力では「当たって砕けろ」もいいところだからだ。しかし、第一高校の他の生徒らは、難なく通っているのだろう。

 それを察してか、横田は苦笑する。重い気分にならなうよう、軽い調子で切り返す。


「ま。いいんじゃないの? なにも至高の大学ってワケじゃないんだし。国立は?」

「受けるよ。五ツ橋大学」


 綿田大学で苦戦したならば、五ツ橋大学も苦戦するに決まっている。五ツ橋大学は、第一高校でも数名しか合格者が出ないほどの難関大学だった。

 横田は察しがいい。薫の意思に関しては、おせっかいめいたことは言わなかった。


「へえ。どのみち、東京か。ここに住めよ」


 ここ、と炬燵の中央あたりに指先を突きつける。そのまま指は、つと薫の湯飲みの縁を辿る。


「一緒に!?」


 声を大きくして驚いた薫に、横田はぱちくりと瞬きを返した。


「え、なに? そういうつもりじゃないの?」

「む、むむむ、無理! 俺、一緒に住むとか無理!」


 薫は胸の前で手をブンブンと振って、否定の姿勢だ。


「なぁに、今更照れてるんだよ。良いことだらけだろうが」

「照れてるんじゃなくてさあ! 普通に、誰かと一緒に暮らすとか、無理だって!」


 は、と短く息を吐いて横田はどしりと炬燵に肘をついた。微笑んでいる。


「何で無理なんだ。言ってごらんなさい」


(なんだよ。『ごらんなさい』、って)


 風呂場から、ごぼごぼと湯が溜まるくぐもった音が届く。薫は僅かに下唇を噛んで逡巡した後、ようやく口を開く。


「よく言うだろ、同棲は不和の元、って。友人だろうが恋人だろうが。他人と住むってそういうことだろ? おまけに、俺もあんたも我侭な人間だ」

「我侭なのは薫だけだろ」とニヤニヤ笑う。「世間ではよくいうの? 俺は知らない」


 飄々とした調子で、さらりとかわされた。さらに反論しようとしたところで、横田は右手で薫の口を塞いだ。


「心配すんなって。薫が厭なら、勧めない」


 彼は上半身を伸ばして額に唇をのせた。

 額へのキスだなんて、横田にしては控えめすぎる。薫の反対で、同棲の希望あっさり退けたことも重なり、拍子抜けしてしまった。

 

 薫はじろりと横田をねめつけた。


「……なんだよ、このガキの挨拶みたいなキスは」

「ものたりないのか?」


 下睫毛をなぞるように、横田の親指が走る。


「『一成(かずなり)が』、したいんだろ。すり替えんなよ」

「……さあ?」


 会話が成り立たない。


「……センターの判定が良かったからって、気を抜くなよ。明日の一般試験も本気でやってこい」


 横田は急に険しい表情になって教師じみたことを言い、薫を風呂に送り出した。


 廊下の途中で危機感に襲われ、背後を振り返ったが、横田が薫の後をついてくる様子はなかった。





(……食えない奴)


 すっきりしない思いで、セーターを脱ぎ捨てた。


 ――「キスなんかいらないから、下の世話をしてくれよ。」

 荒れた心が叫ぶ。醜くて仕方が無かった。今だけの荒れ模様だと思いたかった。


 乱暴に、シャツも体から引き剥がす。


(『どの道、東京に住む』、か……。)


 ふと、考える。


 

 最後の三者面談の時のことをだ。

 


薫は、「センター試験用の勉強しかしていない、センター試験のみで私大入試を突破することを目標にしている」という設定なのですが……。

そのような勉強法が在り得るんか、実のところようわかりません。

なので、次回の三者面談編は、妙なところが出てくるかもしれませぬが……笑って見逃してください。

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