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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第三部
74/92

74 センター試験

決戦日というのは、こちらが構え、こころを落ち着かせるまで待ってくれるものではない。いつの間にかすぐ傍に来ているものである。

 それを、薫はしみじみと感じていた。

 今、自分の眼前にあるもの。

 丁度良いとがり具合のHBの鉛筆。丸裸の消しゴム。腕時計。馴染んできたそれらの道具は、自分を後押ししてくれているような気がする。

 生唾を飲み込む音でさえ、教室じゅうに広がりそうな静寂の中、試験官は静かに「英語」と印字された問題を配っていく。誰かが身じろぎをし、椅子はギシリと鳴いた。誰かが小さく鼻をすすった。薫は乾いた咳を一つ。 

 奇妙な色合いのリスニング用機器が机に揃う。リスニングはたかが50点だから、となめてはいけない。「たかが」数点が勝負を左右する。それを忘れてはいけなかった。

 

 深呼吸。


 始まりの合図が、今、鳴る。二日間の戦の火蓋が、切って落とされた。







 ――と。

 この壮絶な二日間を終えた高校生たちを、どんな夕食が待っているのだろうか。

 教育熱心な親たちは、時折、本人たちよりも熱心に情報収集をし、背後を固めるものだ。その娘・息子たちが戦いを終えて帰ってくるのを、心待ちにしている。

 薫の両親もその例に漏れない……と言いたいところであるが、彼らは無頓着だ。ただしそれは無関心なのではない。彼らは、薫がどう転ぼうが、親として彼を包んでやることを放棄しない。


 薫は、試験場である小野山大学から自宅に向かって歩いているところだった。その傍を、白い車が低スピードで走行している。運転手は、助手席側、薫の傍の窓を開いた。


「……よお、そこのお坊ちゃん。……試験はどうだった」

「親父かよ!」


 辺りは既に真っ暗で冷え込み、大通りには街灯が灯っている。駐車禁止のエリアで、光一は今にも止りそうなスピードになるよう、微妙にアクセルを踏む。何車線かはあるとはいえ、後続車に迷惑だ。薫にとっても、大勢の受験生が流れていく道で、父親に声を掛けられるのは恥ずかしい。母親の方でなくて何よりだが。


「……なんでここに居るんだよ」幾分かうんざりした表情で、彼は運転手の父親を眺めた。

「ん? たまたま通りかかったんだよ。乗っていくか?」

「また下手な嘘つきやがって……。乗るよ。乗せるためにここに着たくせに」

「友達は。一緒じゃないのか?」


 薫は完全に止った父の車の扉を開けたが、はたと振り返り、辺りに友人がいるか探した。

 第一高校の生徒の多くが小野山大学で受験しているはずだ。しかし、近辺の学生もこの試験場で受験するので、物凄い数の受験生になり、受験教室も細分化される。友人とピンポイントで顔を合わせるのは難しかった。


「……あ! いた!」


 諦めて車内に乗り込もうとしたとき、まごうことなき佐々木俊の頭が目に飛び込む。夕闇の中でもわかる、際立って赤茶けたぱさぱさの髪の毛。冬だからと言って、犬猫のようにふかふかの毛に生え変わるわけではないようだ。


「俊!」薫は縁石の上に立ち、大手を振って叫んだ。


 周囲の流れ行く受験生たちが大声をあげる自分を見上げている。しかし、気にしない。佐々木は数秒きょろきょろと頭を振った後、薫の姿を捉えた。


「薫ちゃん!」彼は人の波を掻き分けつつ、ぴょんぴょんと跳ね気味で薫の下へやってきた。

「お疲れ! お前、帰りは歩き?」

「お疲れ! そうだよ。チャリで事故ッたら笑えないしな。しかも、この混みようだ」


 疲れたように肩を回す様は、彼の二日間の努力を思わせる。


「じゃあ、乗ってけよ」 薫は親指でバックシートを指す。

「マジで! 嬉しい!」


 佐々木は素直に喜んでみせた。父親はその様子を満足げに見守ると、佐々木に声を掛けた。


「愚息がお世話になっております、俊くん。久しぶり!」

「あ! 光一おじさん! こんばんは、久しぶりッス!」


 佐々木は人懐こそうに笑うと、車内を覗き込んでぺこりと頭を垂れる。薫は佐々木の手をひきながら、バックシートに滑り込んだ。


「俊、ウチの親父なんかといつの間に仲良くなったんだよ。俺の知らん間に……」

「妬くな妬くな!」

「妬いてないし……」


 忌々しそうな薫の声に対して光一は声をあげて笑い、静かに車を発進させた。

 佐々木ははにかんで笑っていた。微妙に恥らう意味かがわからなかったが、疲れに染みる表情だ。

 その笑顔によって、人に好かれることの心地よさに気付く。押しつぶされそうだった以前のプレッシャーが霧散していく。応えなくてもいい想いなら、いくらでも受け取ったままでいたい。

 車線変更を繰り返し、車は徐々に速度を上げていく。行き交う白やオレンジの街灯も、どんどん後ろへ飛んでいく。


「今日はよく寝ろよ、二人とも! まだ受験は始まったばっかりなんだ」


 佐々木と薫の沈黙の間を縫って、光一が張りのある声を響かせた。バックミラーごしに、父親と目が合った。

「はいッ!」無駄に元気な声で、佐々木は返答した。

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