71 番外編 駅ビル三階からのクリスマス
小野山駅前のファッションビル三階の休憩スペースに、一組の高校生カップルが座る。ただし、恋人同士かどうかと言えば、否だ。
その「カップル」は、佐々木俊と長浜恵美。
ガラス張りになった壁面からは、駅前の広場に設置された大仰なクリスマスツリーが臨める。その傍で恋人を待つ人間の姿がちらほら。
佐々木は、ギクリとするほど退屈そうに鼻から息を漏らした。彼は恨みがましい目つきの長浜を視界から遮断して、幸せそうな地上のカップルたちを見下ろす。
「てか、お前、藤堂が好きなんだろ?」
長浜の顔がぐしゃりと歪む。整えられた眉が悲しげなカーブを描くのを、彼は見逃した。
「……だからぁ!」
「『だから』じゃねーよ」
佐々木は先も聞かずに遮る。足を組み替え、小さな丸テーブルの上の珈琲を啜った。
「唾付けてる男は俺だけじゃねえだろ。まさか、全員に交渉してんのか?」
彼は今、滅多に無いイラつきを覚えている。本来ならば今頃は勉強をしているはずだったのだが、3Bの教室に張り付いていた長浜に捕まってしまい、ここまで引っ張られてきたのだ。
「『先輩だけですぅ』とか可愛い子ぶっても、どーせ佐々木先輩はヤダって言うんでしょ」
「うん。だって付き合いたくねえし」
このような押し問答は、二人が関係してからというもの、かれこれ数回続いている。彼は、何故長浜が自分にばかりこだわるのかを、自分なりに解析していた。
「……アレだろ。メグちゃんはさ、俺の方から迫らないのが悔しいんだろ?」
長浜は眉を吊り上げて「ハア!?」と叫んだ。幸い、周囲に人は居なかった。
「あんたバカじゃないの? 違うし」
「え、……違うの?」
叫ばれたことと、見当が外れたことで萎縮する。対して長浜は、敬語も低姿勢も捨て去って憤然とした表情を見せた。
「ちょっと前まで童貞だった奴が偉そうに。卒業した途端、『女はチョロい』みたいなその態度。言っておくけどね、あたしが相手してあげてなかったらね、あんた一生童貞に決まってる!」
彼女は派手な爪を佐々木の鼻先に突きつける。
「バカ、声でけーよ!」
人差し指を「シーッ!」と口の前で震わせて、佐々木は顔を赤らめる。
「先輩ってアホだし、デリカシー無いし、鈍感だし、バカ犬みたいだし。だから彼女できないんだよ!」
顔を突き出して喚く長浜を落ち着かせようと、彼は慌てて肩に手を掛けた。その手を、彼女は邪険に払った。同じような勢いで長い髪を払うと、むすっと腕を組んだ。
対して佐々木は、椅子の上で体育座りをして、顔を膝にうずめて縮こまってしまった。
「もー……。勘弁して。意味わかんねえよ。メグちゃんが何で怒って、何でしつこいのか、全くワカンネエ」
「もう解らないままで良いですよ」
「でも、どーせまたこうして俺のこと呼び出すんだろ」
ズズズ、と遠慮ナシに下品な音を立てて、長浜はクリームたっぷりの甘そうな珈琲を啜った。
「当然。あたしの趣味は先輩の時間を奪うことですから」
佐々木は顔を僅かにずらして、隙間から長浜を覗き見た。彼女は眉を吊り上げたまま、長いプラスチックのスプーンでクリームを頬張るところだった。佐々木が盗み見ていることに気付くと、動きを止めて見下した顔を見せる。
「何見てんの」
「……別にィ……?」
長浜はスタイルが良い。当然、しかるべき場所としかるべき状況下では欲情するに違いない。しかし、それは恋ではないし、普段は彼女に対して積極的な感情が沸いてこないのが実感だった。
気付けば条件は整っていた(膳は据えられていた)、そんな状況で背を向けるのは(佐々木としては)男の恥だ。オマケに彼は、そこに至るまでに張り巡らされる謀りを感知できるような器用な人間ではない。危機察知できぬまま、既成事実に持ち込まれるタイプだ。
だから、長浜が策略家ではなく手続き主義の人間であったことには感謝しなければいけない。ところが、感謝しようにも、何も解らない佐々木には意味の無い話だ。
佐々木は暗澹たる思いで再びツリーに目を向ける。
「あ、」
長浜も顔を上げて同じ箇所に目をやる。「あ、」と同じく声を漏らす。
「薫ちゃん!」「真野先輩!」
駅構内に向かって歩を進めている薫の姿を発見した。鞄を持って、意気揚々と歩いている。
「俺、帰るわ!」佐々木は足元の鞄を引っ手繰ると、椅子から飛び降りた。
「待って!」長浜はすかさず、佐々木の腕を掴んだ。
佐々木は舌打ちと共に、その腕を振り切ろうとした。その時。
「あー! 俊じゃん。何してんの、こんな所で」
ゲラゲラと笑う声が彼らの背後に近づいてくる。佐々木は、億劫そうに顔を向けた。
「何だ、茜かよ、」
佐々木の顔見知りの女生徒が、他校の女子と徒党を組んでいた。「茜」は、佐々木を掴んでいる長浜をじろりと見下ろした。長浜はぺこりと会釈し、彼を解放する。
「……彼女?」茜は半笑いで佐々木を見上げる。
「違ぇし」
佐々木のよどみない否定に、長浜は瞬きをして瞳を伏せた。茜は肩をすくめ、ハイハイと言いながら一歩退く。
「邪魔者は去りますよ。せいぜい良い一夜を!」
「だから違うっての、このクソギャル! 話を聞けよ。なんでそうなるんだよ!」
彼女は二つの珈琲が置かれたテーブルを見て、すぐに佐々木に目を移す。綺麗に巻かれた髪を振って彼女は背を向けた。
「だって、デートだろ、これ」
「……は?」
首を捻る佐々木を放ったまま、茜は仲間たちと共に歩き去る。
「って、やべ! 俺も行かないと薫ちゃんが……!」
「もうとっくに居ないよ、真野先輩。あの調子だと、電車でしょう?」
「……だよな……」佐々木は妙に脱力する。「電車なんて……どこ行くんだ?」
「彼女に会いに行くんじゃないスか? クリスマスだし」
長浜は佐々木の反応を確かめるように言った。彼女は、「佐々木が薫を好き」だと信じているわけではない。当の佐々木は、表情を変えずに広場を眺めていたが、不意に「帰る」と呟いた。
「……帰る。勉強しねーと、」
「先輩、」
「何」佐々木は薫を見失った苛立ちのまま、ぞんざいに答えた。
「今日は付き合ってくださってありがとうございました」
「へーへー。これきりにしてくれよな」
「それは無理」きっぱりとした拒否が返ってきた。「でも、今日、ついてきてくれたお礼に本音を言うよ」
「じゃあ、今までのは本音じゃねえのかよ。ホント、お前って意味わかんねえ」
長浜は含み笑いをする。
「あたし、少しの時間でも先輩と過ごしたいの。特に今日は、クリスマスだし」
「何だよ、だったらそう言えばいいだろ。いつもお前は『ちょっとイイですか』で、この有様だ」と、投げやりに手を振った。「目的も言わねえで連れまわすのは卑怯だ」
鈍感ですね、と長浜はまた笑う。
「正攻法で誘ったとしてさあ、先輩は私に時間をくれる?」
バカ正直な佐々木は言葉に詰まる。そのように真正面から誘われたとしたら、にべも無く断るだろう。
答えに詰まる佐々木を認めるや、彼女は諦めたようにため息を漏らす。彼女も、自身の鞄を抱えて立ち上がった。
「……あたしも、もう帰ります。あ、ゴミ、片しておいてくれますか?」
佐々木の了承も得ずに、彼女はさっさと立ち尽くす彼を追い抜いて店のざわめきに消えていった。
その場には、佐々木と、二つの珈琲のゴミが残った。それを見下ろしていると、茜の言葉が思い起こされた。
――「だって、デートだろ、これ」
佐々木は少しだけ固まる。
(……え、メグちゃんはつまり、俺とデートがしたかったってこと?)
(あれ、メグちゃんは藤堂が好きなのに、俺とデートがしたいの?)
「余計に謎だ……」
この阿呆な少年は基本的に、自分の想い人のことで頭が一杯なのであった。
丁度その時、薫を乗せた、東京へ向かう新幹線が発車したのだった。