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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第二部
70/92

70 岐路

これで第二部終了です。

 終業式ほど退屈な全校行事も無い。第一高校の冬季の終業式は体育館で行われる。

 校長の長ったらしい挨拶と、生徒指導教諭の警告。寒い体育館。差し込む陽光で光る埃や塵。同級生のヒソヒソ話。可愛い後輩の横顔。汚い体育館用シューズ。

 それらを見るのも、最後となりそうだ。それゆえに、今は健気にも体育館に向かっているのだ。


 双子のせいで遅刻した薫は、佐々木と一緒に体育館までの道を歩いていた。マイクで拡張された声は、此処には間延びして届く。それ以外は酷く静かだった。まるで、校内には自分と佐々木しかいないような気さえした。


「……俊も遅刻かよ」

「徹夜……のつもりが、寝てた。オカンに起こされた時はもう八時過ぎてた」


 彼は気持ちのよさそうな欠伸をする。そのたびに、白い煙があがる。


「おいおい。そんなんで本番に体壊すなよ」

「ダイジョウブだって。俺、体が強いことだけが自慢。神経も結構図太いしな」


 薫は俯いて言う。


「俊なら……受かるよ」

 

 佐々木は、鼻の下を擦って笑った。


「ありがとう」


 彼の笑った顔を、薫が見ることは無かった。薫はただ、自分の爪先に目を落としていた。

 

 二人は、一層寒い体育館に到着した。入り口は閉じられていてる。マイクの声がぶつかり、鉄製の戸は微細に振動した。

 佐々木は戸に手を掛ける。

 

「俊」


 何を思ったのか、薫は佐々木のその手を静止した。自分の喉が生唾を飲み込む音が、はっきりと響く。


「何?」

 

 こちらに向けた佐々木の表情は、無防備だ。「無防備」、と思うからには薫の意図は「攻撃」にある。

 

「……ごめんな」


 佐々木の足の間に素早く自分の足を入れて手首を捻ると、彼の背中を冷たい鉄の戸に押し付ける。身長は変わらないので、佐々木が抵抗しない限りは容易い不意打ちだ。


「薫ちゃん、」と呼ぶ佐々木の声と、二人分の圧力を受けた戸がガタンと鳴いたのは同時だった。

 最後の「ん」の音は、嘆息なのか呼び声なのか区別がつかない。佐々木の唇は、驚きに震えていた。


 ――ああ、自分は狡い。

 キスをしながら、そう思った。佐々木の切実な想いを、自分はこのキス一つでチャラにしてしまおうと思っているのだ。これで自分は、ケリを付けているつもりなのだ。


(これで堂々と、横田の胸に飛び込めますよー。ってか?)


 段々と息があがり、柔らかく緩む佐々木の口に忍び込んだ。意識的なのではない。感覚として求めたまでだ。刺すような冷気の中、口内だけは発火したように熱かった。

 

 徐々に、薫の支配下にあった佐々木の筋肉に力が宿る。今度は反転して薫が戸に押し付けられた。

 唇が浮くと、彼は薫の制服の襟を掻き分け、舌を首に這わせる。忍び込んだ冷気の中、突然走った熱に体は慄く。


「俊、……なあ、俊」


 首元という至近距離、彼はくぐもった声で「何」と答える。薫は彼のブレザーを無意識に掴んでいた。何がが胸を締め付ける。心らしきものを、雑巾を絞るかのようにセーブ無く苦しめている。


「俺、お前と離れたくねえよ。何でお前は小野山なんだよ……」

 

 言うべきではないことだった。図らずも切羽詰った告白が零れ落ちた。情けなくて叫び出しそうだ。

 佐々木は体を離して、まともに薫と目を合わせた。頬を指で掻いて、少し笑った。


「そう言ってくれて、俺は嬉しい」


 でもな、と佐々木は続ける。


「一生、薫ちゃんと同じ世界を見たいから。大学に行って、仕事に就いて、嫁をもらって、家族をつくって、歳とって。その全部、一緒に肩並べて話したいんだよ」

「そんなの……そんなの、東京の大学に行っても同じことだろ?」

「違うよ。俺のモノにならねー薫ちゃんの隣に居続けられるほど強くねえし、俺のワガママでオカンや弟たちをを苦労させることも出来ねえ。でも、此処(おのやま)に居れば、お前は戻ってくる。必ず、会える。薫ちゃんが東京の大学に行こうが、九州で就職しようが、アメリカで結婚しようが、俺は小野山に居るよ」


 薫は愕然として佐々木を見た。彼は微笑む。


「俺は、薫ちゃんの故郷でいることを選ぶから」


 優しいキスが、もう一回。

 

「愛してるんだ」


 彼の固い指先が、薫の目元をなぞる。


「薫ちゃんのこと、愛してる。一生だ。だから俺は、死ぬまで頑張るんだ」


「ホラ、行こうぜ」彼は薫の手を引いた。彼は体育館の重たいドアを開く。鉄製の戸は、思ったよりも静かに開き、二人を飲み込んだ。


 振り切ろうと思ったはずが、彼はとんでもない足跡を薫の心に残していった。

 重厚なる励ましだ。自分も頑張るしかない。死ぬまで、一生、佐々木の愛に恥じないほどの努力を続けなければいけない。

 佐々木の固くて乾燥した手を、強く握り返した。







 午後五時半、渋谷駅。

 金曜日のせいか、街行く人々はどことなく華やいで見える。何しろ今日は、クリスマスだ。人の多さも、秋に来たときとは比べ物にならない。


 約束は六時だ。

 念のため、薫は喫煙所やハチ公の周辺をざっと見回してみた。あの悪趣味な男は、早々と到着しておきながら、健気に待ち続ける自分を眺めているようなこともしかねない。しかし、彼の姿は見当たらなかった。ほっと胸を撫で下ろす。


 あと三十分。

 また、前のように百貨店の壁に寄り添って時間を潰そうか? それとも、目の前の書店で時間を潰そうか? それとも、賑やかそうなあの通りを歩いてみようか。

 何もする気になれない。喉はカラカラに渇く。よろよろと、百貨店の壁に寄り添う。そこには既に、多くの人間が寄り添っている。薫もその人間の列に加わる。


 英単語帳(『異邦人』は読み終えた)に意識を集中したくても、どうも入り込めない。周囲の上ずった人間の声や、真正面の巨大なテレビ画面のせいでもない。いつ、どこから、あの男の声が響いてくるか、気が気でない。さっきから何度も足を組み直している。

 時間も、十五分しか経っていなかった。


 巨大なスクランブル交差点は、歩行者用の信号に変わる。一斉に、四方から人間が歩き出す。薫は諦めて、英単語帳を持つ手の力を緩めた。人の流れを、じっと見ている。


「……あ」


 薫は発見してしまう。

 ごみごみした人の群れの中でも、ハッとするほどの存在感を放つ男を。横田一成を。

 まるで彼の周りには見えない幕が張ってあって、そこに人は踏み込めないようだ。

 深緑のジャケットめいたコートに、黒髪と黒いパンツ。


 薫が彼に気付いたように、男も薫の存在に気づいている。その証拠に、彼は恥ずかしげもなく、頭上で手を振った。思わず噴出してしまうような仕草だ。


「……バカじゃねーの、」


 少しずつ、彼との距離は縮んでいく。すう、と図らずも壁から腰を浮かせた。

 互いのベクトルは、中点に向かって吸い寄せられる。


「……よ!」


 横田は、コートのポケットに手を突っ込んだまま、最後の一歩をぴょんと跳ねて詰めた。薫は何も答えられずに、ただ彼を見上げた。横田は「ん?」とでも言いたそうに首を傾げた。首もとでぐるぐるに巻かれた黒いストールが柔らかそうに窪んだ。

 やがて、何もかもを突き崩すような笑みを浮かべた。薫の迷いも、罪悪感も、淋しさも、全てを癒すような明るさだった。


「……お帰り、薫」 


 薫は、下唇を噛む。気を緩めたら、泣き出しそうだ。カクンと一度、頭を上下に振る。


(――ああ、そうか。俺は……)


 解った。自分のことが良く解った。ただ、もう退けない。「迷うくらいなら、進め」だ。


「……ただいま。一成(かずなり)


ここで、第二部終了となります。長い五日間でした。


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