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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第二部
66/92

66 サヤカとイッセー その2

 

 やがてガイダンスは始まり、会場のざわめきは数段静まる。しかし、新入生の興奮は冷めやらず、ひそひそとした声は消えない。


 壇上では、年若い職員が講義の履修方法を説明している。

 横田は気楽そうにその説明に耳を傾けていた。かと思えば、急に話題を振ってくる。サヤカが身を入れて説明を聞いていないことを解っているらしい。


「へえ、真野さんはフランス文学専攻なんだ。好きな作家は?」


 サヤカに配布された冊子をぱらぱらとめくりながら、彼は囁いた。


「ランボオは譲れません。ユイスマンスも好き」

「俺もどっちも好き」

「ほんと!」サヤカは思わず顔を明るくする。


 サヤカは心が盛り上がってくる。ランボオが好きなら仲良くなりたいと思った。彼に対する興味が更に沸いてくる。


「じゃあ、嫌いなのは」と横田。

「バタイユ」

「そう? 俺は大ッ好きだな」

「イッセーさんも文学部ですか?」

「だから、イッセーでいいって」

「だって、あなたの方が年長でしょう」


 少なくとも、一つ以上は離れている気がした。それだけ、彼の雰囲気は新入生のそれとはかけ離れていた。

 服装に関してもそうだ。装飾・色調過剰気味の新入生に対し、彼はシンプルな色やかたちを簡潔に身に着けている。何より、まだ変化の余地がある同年の男子の体つきに比べて、彼の肉体は揺るがない印象を持っている。


「もっと気軽に話せよ。時と場合によっちゃ、敬語はマイナスだぜ?」

「そう、だね」


 本来サヤカはざっくばらんな人間だ。横田に気圧されているのと、初めての環境に戸惑っている。


「真野さん、俺、君と友達になりたいな。いい?」

「友達?」

「そう。友達」


 友達になろう、などといわれて友情を結ぶのは初めての経験だった。普通は自然になるものだ。あえて了承を取ろうとするのが可笑しかった。


「もちろん。こちらこそ」


 横田はにっこり笑う。彼は凛々しいのに、笑うと酷く優しげに見えた。


「そうだ。今週末、一回目の説明会があるんだけど、来る?」

「今週末は……駄目だ。従弟が遊びに来るんだ」

「……イトコ? いくつ? 君に似てる?」


 サヤカの言葉に横田は異様に食いついた。サヤカとしても歓迎すべき話題だった。


「一つ下。とにかく……すっごく綺麗。自慢の従弟なの!」

「写真ある」


 ある、とサヤカは携帯をぱちぱちといじり始めた。


「これ」機械ごと横田に手渡す。「このフォルダ、丸ごと薫……従弟の写真。右ボタン押せば次の写真を見られるから」

 

 言われるまでもなく、横田は夢中になって見ていた。彼は黙ってみていたかと思うと、くすりと笑った。


「すっげー……好み」

「好み? ああ、そんな顔してるけど男だよ、この子。んー……? でも、女っぽくは無いよね?」


 横田は頷く。「俺、ヘテロじゃないから」

「え、」

「黙っててね」と、唇に人差し指を当てたまま、携帯電話の画面を覗き込んでいる。

「でも……、今時、隠すようなことではないと思うけど、」


 横田はサヤカに向き直った。はは、と乾いた笑い声を上げる。


「なあ。関わる人間全てが親友って訳じゃないんだ。私的すぎる話だろ」 

「そうかな。セクシュアリティはイッセーの全てじゃないもの、」


 横田は静かに微笑んだ。


「……やっぱり、君とは正しく友情を育みたいね。あともう一つ」

「何、」

「君の従弟は最高に素敵」携帯電話の画面を指指す。

 

 サヤカはきょとんとした顔で横田を見ていた。しかし、段々堪えきれなくなって、噴出してしまった。開いた書類に顔をうずめて、更に笑い続けた。


「何笑ってんだよ!」横田は小声だ。

「だって、……あんた……変な人!」

 

 横田は目を丸くして、密やかに笑い続けるサヤカを見ていたが、やがてため息をついて微笑んだ。

 クシャリと黒髪を握って言った。


「よく言われるよ……」


 それがサヤカと横田の出会いだった。横田の、薫との出会いとも言える。





 桜の手入れを終えた祖父は、今度は草むしりに精を出している。ジャンパーやマフラー、毛糸の帽子でもこもこの熊に見えなくもない。 


「……で。まさか写真で俺に一目ぼれ、とか言わないよな?」


 薫は胡散臭そうな目をしてサヤカの横顔を覗き込む。サヤカは軽く笑って首を振った。


「調子乗んな。……違うよ。でも、好みだと思ったのは本当。会いたがったのも本当」


 だから、と彼女は薫の背中を擦る。


「横田を落としたのは、間違いなくあんた『自身』だよ。……心配しなくても」

「……別に、そんなこと聞いてねーだろ」

「聞いたようなもんだよ」


 サヤカは小馬鹿にしたように笑った。


「私もびっくりしたよ。イッセーは慎重だから。『まっとうな男がこちら側に流れるのは、気持ちからじゃない。快感を知ってからだ』って言ってね。私は逆だと思うけど。『好きになったのがたまたま同性だった』、じゃないの? ……ことごとく、私はアイツと考え方が違うんだよね」と、腕を組む。「その辺、どうなの、ルコちゃん?」

「だから、その呼び方いい加減やめろって!」


 ハイハイ、とサヤカは肩をすくめる。そこで薫は妙なことに気付く。


「……あれ、そう言えば。サヤカ、横田と寝てるって言わなかった?」

「え?」サヤカは首を突き出して眉根を寄せた。「そんなこと言ってないよ?」

 反論しようと口を開いたが、ふっと馬鹿らしくなる。

「……まあ、いいや」薫は諦めて頭を振った。


 サヤカの腹がぐう、と小さく音を立てた。彼女は腹をさすって照れたように笑った。

 

「ちょっといいかな……、」


 縁側に続く障子が急に開けられた。大地が青ざめた顔を覗かせた。


「ね、お昼はウチの母親が作るって張り切ってるんだけど……。それでいいかな?」

「あー! 大地くんだ!」


 サヤカはしゃんと立ち上がって大地の腕を掴んだ。


「しばらく見ない間にかっこよくなったね! 背も伸びた?」


 彼女はまるで親戚のように大地を撫で回しては可愛がった。大地は、青かった顔を赤くして照れている。


(ああ。そう言えば、大地の初恋はサヤカだったな……)



 こうして、12月23日はずるずると夕闇を迎えた。

 

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