64 12月23日
サヤカと双子が久しぶりに揃った12月23日。薫はとうとう学校をサボタージュする。「めったに無い機会だ、仕方ない」と自分に言い聞かせる。
と言っても、どこかに遊びに行くわけでもなく、だらだらと午前中は過ぎてゆく。
この小野山市にはさしたる遊び場も無い。都会に住んでいる双子やサヤカには、非常にしみったれた街に見えることうけあいだった。かと言って、観光地にわざわざ行くような和やかな気候でもない。
その弛緩した空気を切り裂くように、葵はテーブルに本を叩き付ける。
「おい、チビ助。お前ホストなんだから計画しろよな。一日を無駄に過ごす気かよ」
本は机上を滑って、薫の膝元に滑り込む。
百ページにも満たない薄い文庫本が、ぼろぼろになっている。このように乱雑に扱っていればあっという間に紙が疲弊するだろう。
M・ウェーバーの『職業としての学問』。約三十年ぶりの再版だった。双子が(珍しく)読む本がそれであるのは、彼らの父親に対する嫌味に違いない。
「自分はゲストのつもりかよ。図々しい」
お返しだ、と言わんばかりに葵の顔に向かって投げ返す。
「このクソガキ……ッ!」葵は舌打ちとともに、炬燵の中の薫の脛に踵落としを決める。
「いッッッて……!」薫が足を抱えようと身を縮ませると、炬燵が激しく揺れる。サヤカと柏は、自分の湯飲みを持ち上げて災難を逃れた。
「つーか! さっきから俺の意見全部却下してるのは誰だよ。オニイサンたちが遊んでくれるってのが筋だろ?」
彼らがこの寒空の下、外出する気はさらさらないのも解っている。ただ薫をいじり倒したいだけなのだ。
「筋違いだ。遊びを提案するのはガキの役目だろ!」と、柏。
「もういいよ、お前ら!」
縋るようにサヤカを見ても、彼女は彼女で薫の父親の作成した論文を楽しそうに読んでいる。
彼女は真野家の書斎の文献やらを、ほぼフリーパスで読むことができる。薫が触れると怒られることもあるのにも拘らず。フランス文学専攻の彼女でも、司法のフィールドの人間の文章が楽しいと思うのだろうか?
彼女を見ていて、ぽーんと浮かび上がる人物が一人居た。
「大地……大地に助けを……」
薫は携帯電話を掴んで居間を出る。その際に、柏から「アイスもってこい」の命令が下る。アイス好きに季節は本当に関係無い。
大地は恐らく、今日も家に居る。彼は留年が確定したそうだ。大地自身もそれを望んだ。薫は家を出て、玄関に寄り掛かって電話をかける。数軒先の大地の家の、二階の窓を見ながら薫は受話器を宛がう。真野家と違って、浅野家は現代風の作りだ。そして大地の部屋は二階だった。
「あ、大地? 薫だけど。今日暇?」
『今日といわず、毎日暇だよ』と笑う大地。ニートのようなものだ。
「今、家にサヤカと柏と葵が来てるんだけど、大地も来ない?」
『えっ! ……サヤカさんには会いたいけど……柏ちゃんと葵ちゃんもかあ……』
大地が躊躇うのももっともだ。彼は薫と同じく、あの双子に苛められた苦い過去を持つ。
「って言うか、助けて。俺一人じゃあいつらを押さえられない」
『うーん……。……後でウチのご飯食べにきてくれるなら良いよ!』
大地の母親は、薫を食卓に招くのが大好きなのだ。薫は軽く笑って了承する。
「お安い御用」
◇
「お待たせー」
大地は二分も待たせずに現れた。
いつものように細身のパンツに襟ぐりの開いたシャツを着ている。真冬だと言うのに、それにジャケットを羽織っただけだ。そのファスナーすら閉めない。
伸びた髪は、片方が耳にかかっている。小さな耳の縁が、寒さで赤くなりかかっている。
片手をパンツのポケットに突っ込み、一方で鼻の下を擦っている。そんな抜けた格好では鼻水も出るだろう。
どこかが抜けているのはいつものこと。その点には触れずに、薫は素早く大地を中に招き入れた。
「あれー。掛け軸、こんなのあったっけ?」
彼は靴を脱ぎながら指摘する。飛び上がるように家に上がる。黒スエードのジョージコックスがバラバラと転がるのもお構いナシだ。
彼のように繊細で気が回る人間は、些細な変化によく気が付く。薫の両親だったら「解るのかい!?」と身を乗り出して喜ぶに違いない。実際に、大地と両親は仲良しだった。
「光一おじさんの好きそうな色味だねー。味があって素敵だ」
「そう? 俺は解んねーけど」
大地は吸いつけられたように掛幅に近寄り、まじまじと見つめた。彼は決して、真野家の骨董に素手で触れなかった。
「カオの家はこういうものがあって羨ましいなぁ。おれ、日本の色味って凄く好きなんだ」
「……ほう、言ってくれるねえ、少年」「ああ、なかなか見下げた少年だな」
大地の背中が固まるのがはっきりと伝わってきた。音も無く忍び寄った柏と葵が、大地の両肩に手を掛ける。
「お……お久しぶりです。葵ちゃん、柏ちゃん」大地は消え入りそうな声で挨拶をした。
「「よく覚えてたな。いい子だ」」
「さて、この馬鹿げたガラクタを入手したのは誰かわかるかな、ご近所の大地クン?」と、柏。
「さ、さあ……。カオのご両親では……?」
「ぶっぶー。外れ。ウチのバカ親父でした!」と葵。
「バカ親父が選んだ品が『素敵』な訳は無いんだよ!」
「ご、ごめんなさいッ……!」
大地は「助け」というよりは「生贄」だ。「生肉」を与えられて、俄然生き生きしだした双子の相手は大地に押し付け、薫はさっさと居間へ向かった。どうせ放っておいても双子が大地を引きずって戻ってくる。
居間の戸を開けるなり、サヤカが顔を向けた。
「……アイスは?」
薫は彼女を一瞥して炬燵に足を入れた。
「……自分で持って来いよ」
「人んちの冷蔵庫は無闇に開けるもんじゃないんだよ」
「人んちの書斎は勝手に漁っていいのかよ」
む、とサヤカは唸った。
しかし、急に真面目な顔になって手招きした。
「何、」
「イッセーの話、聞きたい?」
「まあ、」薫は頷いた。
「じゃあ、話してあげる。……今日は勉強を忘れて一日ゆっくりしよう」
彼らの住む自治体を「小野山市」と命名しました。実に滋味溢れる名前だと思います。(現存するあらゆる『小野山』とは無関係です)
バンバン大学名を創作している中、地元の名前が無いのはおかしいと(ようやく)気付きました。
よろしくお願いいたします。