57 矢
翌日の休み時間も、佐々木の姿を探した。今日こそ双子の非礼を代わって詫びたかった。
3Bの教室に顔を出す。
ぐるり、と見渡しても佐々木の姿は無かった。ここ数日彼の喧しい姿を見ていないのは、彼が教室に篭っているからではないらしい。
部活動をしていた人間は、だいたい出席率が良かった。放課後に練習があるため、よっぽどのことでないと休まない。だから、彼らはすでに出席日数は問題が無く、この時期を休む。
佐々木も例に漏れない。その証拠に、同じサッカー部の鴨川も居なかった。彼らがいない3Bは静かで平和だ。と同時に、間が抜けてもいる。
薫は、戸の近くに居た女生徒に声を掛ける。
「ねえ、俊は今日は来てないの」
「うん。ここ最近休んでるよ。どうしたんだろうね。真野くん、俊くんと仲いいけど何か聞いてないの?」
佐々木は女子に気軽に名前で呼ばれている。苗字の呼び捨ても少なくない。親しまれやすいのだ。
「あ、いや。まあ、篭って勉強でもしてるんだろうけどな」
すると彼女はくすっと笑った。
「俊くん、本当に真野くんに懐いてるよね」
「アレは懐いてるんじゃないよ」
女子にも、二人の仲良し具合は当然知れている。
「でも、仲良しの二人がもう見られないと思うと淋しいね」
「そりゃあ、卒業だもん」
「あ、違くて。真野君は東京の私立でしょう? でも、俊くんは地元の国立大だって聞いたよ」
「…………え?」
薫は、にわかには二の句が継げなかった。驚きからだ。そんな彼の傍で、彼女は言葉を続けた。
「大学も同じ地域なら、また一緒にいる、って思えたんだけどなあ」
数秒たっても何も答えない薫を、彼女が不思議そうに覗き込む。
「……そんなの、聞いてない」
ようやく出てきたのは、情けない声だった。しかも、今のは心の内の感想だったはずだ。しかし、しっかりと言葉になっていた。
彼女は、哀れみの表情を浮かべる。
「そっか。二人仲良かったもんね。教えてもらえないのはショックだよね」
(……それもあるけど、)
「あいつ、私立志望じゃなかった?」
皆川に「佐々木は東京の私立を受験する」と伝えたくらいには当然に、佐々木も上京するものだと薫は思っていた。地元の私立大学へ進学する者は殆どいないからだ。すると妥当な線は東京か関西圏だ。
(……それもあるけど、)
「うん、そうだけど、家計が苦しいとかで」
女生徒はさらっと伝える。
(それも、俺は知らなかったけど、)
「……就職はしないの、」
「ほら、俊くんは佐々木家の希望の星なんだよ、長男だしね。せっかく第一高校来たからには……ってね?」
「……そうだったんだ。だから、勉強頑張ってるのか」
「そうみたいだよ。意外だね、俊くんってお調子者に見えて、結構健気なんだ」
彼女は悪意無く微笑む。
佐々木の健気さは、誰よりも薫が知っている。
(健気だよ。俊は誰より健気だよ。それを俺は知ってるけど、)
「そっか。……ありがと、メールで済ませるわ」
ふらふらと、薫は手を振って教室に戻る。彼女は、心配そうに薫の後姿を見送った。
こころに矢が深く食い込んでいた。その刺さった矢を引き抜くと、刃物を抜き取った後の肉体のように、他の思いも血潮の如く溢れてきそうだ。本来なら、矢を刺したまま忘れるのが薫だ。矢自体が朽ちるまで、放っておくのが薫だった。
しかし、今回はそうもいかなかった。刺さったままであるのが、酷く痛かったから。無視しがたい、痛みだった。
(――けど。)
「佐々木は、薫と一緒に東京へ行かない」という単純な矢が心に突き刺さったことが、ショックだっだ。