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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第二部
54/92

54 受験戦争と恋文

翌日、薫はいつもより一時間は早く自宅を出ることにする。

 

 彼はいつも遅刻ぎりぎりか、ホームルーム中に登校する。今日は、少しでも早く双子から離れたかったからこその早起きだ。彼らのマシンガントークを朝っぱらから浴びる前に家を出たい。

 念のため朝食の下準備をしてやって、丁寧に注意書きまでした。まるで母親のように甲斐甲斐しい。これでは、どちらが世話をしているのか解らない。

 

 外出する直前、二人を押し込んだ寝室を見ると、とんでもない寝相で大いびきをかいて寝ていた。お互いの腹に足を乗っけているのだから驚く。どうやら、ベテランの旅行家はデリケートじゃないらしい。

 幸せそうな双子は放っておくことにした。薫が二人を起こしてやる謂れは無いし、彼らが何をして五日間を過ごすのかなど知りたくもない。


「……いってきます」


 当然、返事は無い。

 いつものように、乗りなれた自転車に跨って登校する。



 教室の戸を開けると、暖房のもやっとした空気が流れ出す。

 案外、人が少なかった。自習室にいるか、そもそも学校に来ないのかもしれない。時期的に、後者の方が確率は高い。授業自体も、もはや自習に近い。

 薫に気づいたクラス委員の井坂が声を出す。彼は早朝登校組常連だ。


「おはよう、真野くん。真野くんがこんな時間に登校なんて珍しいね」


 静かな空気の中、彼は律儀に挨拶を寄越してくれる。


「おはよう、井坂。ちょっと家庭でごたごたがありまして。逃げてきました」


 と、冗談めいて言葉を返す。ただし、至極真面目なこのクラス委員は、冗談もそのままの意味で受け取りがちだ。


「ええ! 大丈夫?」

「……嘘だって」


 そんな彼は、地元の大学への推薦入学だ。彼の頭脳ならもっと高くを望めたのだが、彼の人生設計はそこまでスケールを広げなくていいらしい。実に謙虚で堅実、素敵な同級生だ。


「そっか……。ごめん、おれ、冗談とか通じなくて」

「謝るなって、」

「そうだよね、コレもおれの悪い癖だ」と焦る。やっぱり憎めない人間である。「じゃあ、勉強だよね。頑張ろうね」と微笑む。

  

 受験の直前期は、ギスギスすると言う。しかし、第一高校の場合はそれは半分しかあっていない。

 実際にギスギスしているのはごく少数で、大半は達観か厭世の領域に達する。受験のごたごたを抱えると、青春の熱っぽい悩みがくだらなく思えてくるらしい。それはただ単に、一時的にその悩みから違う場所へ身を置いているだけのことなので、新たなスタートに立てば繰り返される。

 

 逆に、その熱っぽい悩みを「とりあえず棚上げ」できない人間を見下す冷たい気配も同時に存在する。その意識の抑制法は、モラトリアムの道に進む者として獲得しなければならない技術だ。

 

 薫らは、社会に出るのを数歩遅らせてまで、学問の道に進む。(実際に学問をする気概で進学するかどうかはさておき。)大学が全てではないことも解っているが、彼らの道には『そこ』が必要だ。


 ある意味で、受験は社会の尖端へ向かうためのイニシエーションだ。まだ何者でもない、「高校生」と言う魔法のかかったような時期、「努力=結果」の世界での挑戦。そこで、プライドが打ち砕かれるのもまた、よしとされる。

 

 そこでは、恋の悩みなどは「下らない悩み」の筆頭らしい。(並行できる人間も当然、居る)

 そんなパリッとしない気配を、緩慢な音を立てる暖房が増長している。

 

 薫も、それらの気持ちと無関係だとは言えない。

 

 彼は少しだけ、窓を開けた。鮮烈な冬の空気が教室に忍び込む。すぐに閉めねばならないほど鋭い冷気だ。世界はクリスマスの喧騒に彩られる頃だった。

 そんな時期、毎年と言っていいほどの厄介ごとが舞い込む。

 今年も例にもれない。


 自習道具を机に押し込んだ時に、その季節の到来を改めて思い知る。クシャリ、と「それ」が押しつぶされた音が聞こえるのだ。


(まさか、)


 感付いてしまう自分にうんざりする。


(……ラブレターか……)


 クリスマスの近い頃。毎年、こういったイベントが起きる。冬期休暇が迫っていることもあり、動き出す季節なのだろう。

 薫はおもむろに封を開ける。読む人間は暢気なものだ。

 差出人が、苦労して選んだであろう封筒の柄や、美麗な文句を連ねようと悪戦苦闘したであろうことを、この鈍感な少年は気づかないだろう。概して、作り手と受け手はこの位の温度差はある。


(敷島絵美……聞いたこと無いな。それにしても、よくもまあ、……話したことも無い相手に好きだなんて言えるよな)


 球技大会で見た薫の姿がいかに素敵だったかの描写が続き、最後に、控えめに「好きです」と書かれていた。返事を請求するわりに、所属も呼び出しも明記されていない。余程緊張して書いたのだろう。


 薫は軽い感動を覚えて教室を見渡す。この手紙の属する世界と、この教室の空気感は質を異にしているのだ。


 恋の棚上げについて、「キャパシティーオーバーになるから」というのも理由の一つだ。それは酷く容量を食うらしい。


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