51 招かれざる客 その3
睦月が幼稚に『なる』のも、無礼になるのも、意識では仕方ないと解っている。そのマイナスの要素は、彼の言動を指導する人間の知らないところで披露されている。例えば、それは横田の前であったりした。
彼は甘えが許されない立場にいる。
財界の雄「白鷹家」の分家の長男である彼は、生涯従者の立場を決定されたようなものである。
にもかかわらず、最近まで「跡取り候補」と言う肩書きを与えられ、走らされていた。
最近まで、と言うのも、宗家の長男が放蕩から凱旋したとかで、彼は一転、後継者の座から下ろされた。あっけないバトンタッチだった。
その彼が、家の目が及ばない区域で我侭になりたくなるのも無理からぬ話だった。
その苛立ちと、彼女では満たされない(甘えられない)性的な欲求をごっちゃにして横田に迫っているのかもしれない。
あるいは……、と思う。
「傷の舐めあい、になるよな」
横田の独り言は、部屋の隅に吸い込まれるように消えていった。
彼は気を取り直して、ズボンのポケットから携帯電話を引っ張り出す。
アドレス帳を開き、「生徒」カテゴリを開く。
「白鷹睦月」、彼の携帯電話の番号の隣に表示される固定電話番号。そこへ電話をかける。彼の自宅だ。
「夜分遅くに失礼します」
そう切り出して、若干緊張している横田は、家の者と会話する。
睦月の家族は依頼主であるとともに、白鷹グループの人間だ。学生だからといって非礼が許されるわけではない。
ただし、彼の母親とは酷く打ち解けている。彼女もそれを望んだ。彼女は学生らしいへらへら笑いや、足りない言葉遣いを好んだ。
ただし、睦月にはそれを許さない。
「えー……ハイ。ぼく、鍵を忘れていってしまったみたいで。はい。……そうです。それで睦月君が届けに来てくれたんです」
『まあ、睦月が? いやあね、こんな時間まで居座られて困ったでしょう。きつく言っておきますわ』
ねっとりとした喋り口の婦人だった。
「いいえ、ぼくの帰りが遅かったのが悪いんです。今からお送りします」
『あら! そんなの駄目よ、申し訳ないわ。迎えを出させるから待っていて頂戴』
「左様ですか。ありがとうございます。助かります。……彼、制服ですし」
凛聖高校の学生は、富裕層が多いのでカツアゲなどの犯罪に巻き込まれやすい。ましてや、睦月のあの雰囲気が人目につかないはずが無い。生意気だ、と絡まれそうだ。
ただし彼は返り討ちを躊躇わない程度の技術と度胸は持っている。エリート志向だからだ。しかし、どちらにしろ暴力は好ましくない。
「ええ、行かせますわ。ええと。一成さんはどちらにお住まいだったかしらね、」
どうやら、母親の目を盗んで睦月はこの家を調べたらしい。
横田は安堵のため息をついて、電話を切る。
今のは、適当な対処であるとともに、横田にとってはリミッターだ。
睦月の言うように、理性を保ち、自身の欲求不満を押さえ込むためだ。なにしろ、単に小生意気で可愛い生徒と思っていた人間が、急に「食ってくれ」と腹を見せたのだ。
彼はそんなにカタイ人間ではなかったが、掲げた主張をひっくり返すほど、格好悪いことは無い。
「何の拷問だよ。……耐えろ、俺」
頬を叩いて姿勢を正す。
部屋着に着替えると、睦月用の勉強用具を抱えて部屋を出る。
◇
「お客様、お飲み物でもいかがですか」
横田は、なみなみと注がれたオレンジジュースのグラスを二つ手にして、再び居間に現われた。勉強道具は脇に抱えている。
睦月は相変わらず我侭そうに目を潤ませている。くだける横田を、その瞳で恨みがましそうに睨んだ。
「ふざけんなって」
「ふざけてないよ」
彼の目の前に、コンと置きながら横田は微笑む。
「さて。聞きたいことは山ほどあるけど、まずは俺の安全保障に関わること。睦月、どこまで俺の事知ってる?」
「興信所の取り扱い事業の範囲内」
「お見事」
横田は睦月の頭をぐしゃりと撫でた。緻密に整った厚めの髪は少しだけ崩れる。睦月は不機嫌そうな顔でされるがままになる。乱れも直さない。
「おまけに、余計なことも解ったよ。先生、結構苦労人だね」
「そう? 睦月ほどじゃないよ」
横田ははたと気づく。
「あれ。もしかして俺を雇う時から知ってた?」
睦月は頷く。
「だから、今こうして誘ってんだろ。先生の素行不良は知ってるよ。安心しろよ、親は知らないし」
「……はは。一本取られたな」
「笑うなバカ」
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