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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第二部
49/92

49 招かれざる客 その1

 横田の家は小さな一軒家だ。

 居間の明かりがカーテンから漏れていたことに彼は気付かず、ローファーによって来客を知るのだ。

 

 少年は、ちっとも悪びれずに笑ってみせた。「不法侵入」だとは思っていない様子だ。


「お帰り。遅いじゃん。待ちくたびれたよ」


 ぬけぬけと炬燵で温まっている彼の面立ちも、矢張り生意気そうだ。眠たげな瞼が、わずかばかりの可愛らしさを添える。全身から育ちの良さがにじみ出ている。

 英国トラッド風に整えられた頭髪は軽薄さからは一線を画し、知的でセンスが良い。トップハットが似合いそうだ。 


「そう? 待っててもらうつもりは無かったんだけどな、」


 一応、嫌味だ。


「俺、予備校終わってからすぐ来たんだぜ?」


 睦月少年は、受験情報収集のためだけに予備校に通う。


「良い子はお家に帰る時間だ。……お迎えを呼べよ」

「子ども扱いすんなよ。いくつだと思ってんだよ」


 睦月は薫と同級の高校三年生だ。

「しかし」、と横田は思う。薫の方が何ぼか大人びていた。


 制服の、乱れの無い着こなしは美しかった。質のいいブレザーとそこに縫い付けられた繊細で豪奢なエンブレム。知的な色合いのネクタイ。ぱりっとした襟元のシャツ。胸元から僅かに覘くライン入りの温かそうな白セーター。

 臙脂と濃紺、チャコールグレーが基調のその制服は、都内随一の進学校・中高一貫の男子校「私立凛聖学園高等部」のものだ。

 薫の通う「第一高校」とは、進学先のグレードが数段違う。同じ進学校といっても、地方の公立高校と都心の私立高校とでは雲泥の差だ。

 

 彼の傍にはキャメル色の革の鞄とタータンチェックのマフラー、濃紺のダッフルコートが放られている。彼を注意する者が居ない時は、少年は乱れに乱れ、無礼を極めた。それを横田は知っている。


「睦月くん。お前に合鍵を渡した覚えは無いんだけど。って言うか、数日前から行方不明なんだよね」


 彼に目を合わせず、黙々と横田は外套を脱ぐ。睦月はにやっと笑う。


「へえ。じゃあ、これなーんだ?」


 緑がかった金の鍵を目の前でぶらぶらと揺らす。キーホルダーは無い。横田が手を差し出すと、睦月は鍵から手を離した。鍵は大人しく横田の手に納まる。


「ああ、俺、お前の家に忘れてったんだ? 悪いな、持ってきてもらって。次の授業の時で良かったのに」

「……察しろよバカ。俺が盗ったんだよ」


 睦月は子供っぽく頬を膨らませた。横田は苦笑して壁に寄りかかる。


「……解ってたよ。俺は鍵は厳重に管理してるんだ。盗まれない限り失くすはずが無い」

「ひっでえ。俺を疑ってたのかよ」

「疑うもクソも、実際、お前が盗ったんだろ。……ったく、寝室の窓が開けっぱじゃなかったら面倒なことになってたよ。その辺は考えなかったのか? 家に入れなくて途方に暮れるかも、とか」

「考えたよ。そんで、俺んちに戻ってくれば良いと思ってた」


 睦月はにやりと笑う。横田は呟く。


「……浅はかだねえ、白鷹のお坊ちゃまともあろう者が」

「浅はかなのはそっちだ。俺は二重構えでスペア作っちゃったもんね」


 制服のポケットから銀色の同じ形状の鍵を取り出した。横田がそれを奪おうとする前に、少年はシャツの胸のポケットに仕舞う。横田は深追いをしなかった。


「いいのか? 俺に鍵を持たせたままで。また来ちゃうぜ?」

「……そんなところに仕舞って。その手には乗らないぜ」


 睦月は、容姿に見合わない乱雑な言葉遣いをする。むしろ、今のような整えられた容姿は伊達だと言ってもいい。彼は「プライベートとオフィシャル」を巧みに使い分けた。「裏と表」ではない。


 普通の感性の高校生なら、睦月を「格好良い」とは思わないだろう。生真面目な制服や髪形で巧妙に隠された美は簡単に見逃すものだ。多くの同年代の美意識は、主に「反規律」という極めて単純で容易なところにある。

 

 睦月自身の美意識もそこに属するが、普段はあえて崩さない。

 彼が容姿を端麗に整えるのは、当然、対同年代用ではない。彼は年長者に「好ましい」との印象を抱かせる努力をしているのだ。それも、その必要があるから。彼は意識的だ。 


 よって、睦月は「目下の者」からの安直なファッションチェックは歯牙にもかけない。恐ろしいほどのエリート志向。生意気な雰囲気はそこから発生する。


  

「……鍵、いらねえの? 俺、勘違いしちゃうぜ? なあ、先生」


 横田はピクリと眉を動かす。


「この際、犯罪は見逃してやろう。……ただ。睦月、馬鹿なこと言ってないで勉強に集中しろよ。そんなに余裕があるのか?」


 少年・白鷹睦月は春からずっと、この青年・横田一成を家庭教師としてつけていた。(逆に言えば、横田のアルバイトは家庭教師だ。睦月は生徒の一人だ。この少年に関しては過分な労働賃金と待遇を受けていた。)

 睦月ほどにもなると家庭教師の活躍の場は少ない。彼のようなレベルの生徒になると、教わるまでもなく、志望大学の傾向に見合った学習法を自ら会得し、合格までの具体的なビジョンが見えている場合が多い。

 

 横田は、自分が教師らしい活躍をしているとは思えなかった。なにしろ、睦月の志望する大学は横田自身の大学よりも難易度が高い。

 

 この少年の「戯れ」に巻き込まれている気がしないでもない。

 戯れか、苦悩か。どちらとも言える。


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