47 メール受信
ところ変わって、東京・某所のクラブ。
入り口の小さなスケジュール用ボードには、イベント名が書きなぐられている。団体名と「ノエル」の文字がようやく読み取れる、崩れたアルファべットだ。どうやら、大学生のイベントサークルの一足早いクリスマスパーティーらしい。団体はとても大きい。数種の大学の学生で構成されているサークルのようだ。
ワンワンと鳴る音楽と、幻想的でサイケデリックな光に照らされて箱はびりびり揺れる。
壁に寄り添うような形で、酒の入った瓶を口元に当てている女が居る。
髪は短くて、とても明るい色だ。光が当たるたびに、そのキャラメル色とごく小さいピアスは輝いた。程よくくたびれた紺のドクターマーチンからは、黒タイツに包まれた細くて締まった足が伸びる。太ももの半ばから、きのこのかさの様に可愛らしく膨らむ黒のチュールスカート。個性的な造形のジャケットを肩に軽く掛けるだけにしている。その下は、白のタンクトップだ。
その女のジャケットのポケットで、携帯電話が震える。女は、「ギャッ」と短く叫び、寄りかかっていた壁から腰を離れさせる。
飲み掛けの酒をバーカウンターに置き、喧騒から背を向ける。
「どないしたん、サヤカ」
「おお、後藤くん」
傍にきた男が腰に手を回す。酷く顔を近づけて、携帯電話の液晶画面を覗き込むようにする。それを、さり気なく体をよじって巧妙に避ける。
「んー。親戚の人からメール」
「無視せえ」
「……アハ」彼女はむしろ、「後藤くん」の言葉を無視して、メールの内容に引き寄せられたようだ。
彼女は笑顔のままカウンターに肘をついた。
「私、明日から帰省する」
「ちょお、まだ学校あるでえ!」
「じゃあ、お土産買ってくるから代返頼んでいい」
頼む、と顔の前で手を合わせる。後藤くんはサヤカの酒瓶を引っ手繰って飲んだ。
「そんなんいつもじゃろ。『頼む』が聞いて呆れるわ。いつまで?」
「クリスマスまで」
「クリスマスは彼氏ぃと過ごすんとちゃうん?」
「だから、その日には帰ってくるよ」
「それ、いけるん!? こん時期に『帰る』言うて……正月も帰るんじゃろ? 向こうで何しよん」
「みんなで従弟をからかうの!」
サヤカは陽気に笑った。男は意味も解らずつられて笑う。「だから、お土産でも持っていってあげようかな」と独り言。
「……後藤くん、イッセーのアドレス教えてよ」
「イッセー……横田一成?」
「そう」
「ほなって……お前ら付き合うとらんかった?」
「だから、別れたからアドレス消したの」
「イッセーは幹部じゃろ? 今日来とらんの?」
後藤くんは首を伸ばしてフロアを眺める。
「知らんわ。本人来てても来てなくてもどっちでもいいよ。後藤くん、アドレス知ってるよね。送ってくれる」
「勝手に教えてもうていけるんかな……」
サヤカの手の平が彼の口の前にずいと差し出された。男の言葉は尻つぼみになる。彼女はピシャリと言う。
「私のためじゃないから」
サヤカの携帯電話の液晶画面は、まだメールを開いたままだ。
それはこう読める。
《さやぴょん
柏木と葵の上は今、薫の君のお家に遊びに来ていまーす
ウチのバカ親父とクソババアは薫のご両親と暢気に旅行中です!
薫一人の相手は詰まらないので、さやぴょんにも来て欲しいと思います!
久しぶりに会いたいよー!
そして……ビッグニュース!
薫はホモになりました!
そのへんについて、詳しく語りませんか!?
柏・葵より》
サヤカは佐々木を知らない。心当たるといえば、一人。かつて自分が引き合わせたあの男、横田一成だった。
薫に出会うまでの横田の水面下の働きを、彼女は知っている。
秋半ば、薫が横田のアドレスを聞いてきたことを忘れてはいない。それがどういう意味か。今ようやく意味を持たせることができた。彼女は女の勘を信じることにする。
少しだけ、償いのために、薫のために動こうと思った。
でもそれは、おせっかいにも満たない小さな助力だ。全てを決めるのは、薫だ。