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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第一部
37/92

37 番外編 午前三時、炬燵のある風景

「『およそエロティシズムを抜きにした文化は、蒼ざめた貧血症の似而非文化でしかない』」


 その部屋は、まさしくとんちんかんだ。

 八畳程度の和室の中央に、炬燵。お約束のように、机の上にはミカン。間も無く使えなくなるアナログのテレビ。ラジエーターの暖房。八畳間を囲うほどの大量の本。ここまではまだ良い。

 それ以外に、クラゲ以外の何物とも言えない形象のランプがぼんやり光り、海草としか言い様の無い暖簾が窓にぶら下がる。壁を覆い隠すほどの、抽象画。切なくなるようなインド香の香り。

 意図した色彩の配置なのか、あるいは偶然の産物なのか。メキシコなどの中南米を想起させる鮮やかな色合いの部屋だ。

 その部屋を明るく照らすには足りない光が天井からぽたりと落ちる。ポタリ、と表現するのは実に正しい。裸電球に細工を施した光源だ。何かしらの手作り感が漂う。

 そんな読書には相応しくない暗がりの中、炬燵で温まった男は、文庫本に顔を近づけ、その一文を読み上げた。

 その男は、おおよそこの妙なインテリアの部屋には相応しくないほどに優れて見目麗しかった。ピカソの絵画の中に紛れ込んだ、ルネサンス画家の描く聖ヨハネのようだ。(要するに、お互いの美の価値観が噛み合っていない)


「そうだよな、俺もそう思うよ。個人的なエロスを否定したところに残るものは何だ、って話だよな」

「……は?」


 同じく炬燵に潜り込んでいるもう一人の男は、怪訝な顔を持ち上げた。彼は机上に突っ伏して寝ていた。それも無理からぬ話で、時計の針は午前三時をさしている。

 彼はムクリと上半身を起こすと、向かい合った男の読んでいる文庫本を取り上げた。


「馬鹿野郎。なあに暢気に異端文学なんか読んでるんだよ。そんなもん愛読してるからお前の話は意味わかんねえんだよ。読書してるからには、とっくに仕上がったんだろうな、課題」


 本を奪われた男は不機嫌そうに鉛筆を投げ出す。


「寝てたお前に言われたくないね。いいか、コレは『共同制作』なんだぞ。お前が寝てたんじゃ、プレゼンの時にグダグダになる」

「いいだろ、別に読み上げるだけなんだし」


 再び彼は腕の中に顔を沈めようとする。その髪を引っつかんで、向かい合った男は激昂する。

 

「ふざけんな。寝るなら帰れ。そしてプレゼン当日は来るな。俺一人でやる」

「いいじゃねえか、完成まで泊り込みさせろよ。お前んち広いし」と大あくびをする。


 途端に、怒っていた男は黙り込む。


「……察しろよ。困るんだって、そういうの」

「なんで。前は腐るほど泊めてくれたじゃねえか」

「……俺は今、身体の浄化中なんだ」


 寝ていた男は、ハッ、と馬鹿にするように笑った。


「遊び呆けてたお前が何言ってんだよ、今更。一度汚れたもんは綺麗にならねーよ。俺との事もなかったことになんてなんねーよ。……俺はお前を覚えてるんだよ」

「じゃあ忘れろ」と、ひらりと手を振る。しっし、と鳩を追い払うように。

「ヒドイ男!」女のような声色を使って、顔を歪ませた。 

 

 炬燵の内部で骨と骨がぶつかる様な厭な音が響いた。蹴り合いが起きているようだ。炬燵がぐらぐらと揺れる。

 しばらくその地味な抗争が続くと、ばったりと、眠れる男は背中を倒した。


「……あーあ。俺も彼氏作ろうかな」

「……別に彼氏がいるんじゃないよ、俺は」

「……は?」

「カ・タ・オ・モ・イ」と、一音一音を区切って言った。


 ――沈黙。


「ぶはははっはは! マジ、……やめろよ、気色悪い! 似合わねえ! 嘘だろ!」

 次いで爆笑が響く。

 笑われている男は、にんまりと悪そうに微笑んで、転がって床を叩く男を見下ろした。


「……俺は『浮船』じゃないんだ」

「……へ? と言うことは、お前の想い人は『薫の君』といったところかにゃ? そして俺は『匂宮』かにゃ? 大変だ、それなら俺たちは契りを結ばないと、」


 いきなり起き上がって、向かいの色男の背中に絡みつく。甘えるような手が、服の内側に忍び込む。


「だから、俺は『浮船』じゃないって。オマケに、お前が『匂宮』と名乗るなんざおこがましいにも程があるよ?」


 ニヤニヤ笑いを収めないまま、男は言う。


「というわけで、さあ、帰れ」


 と、遠慮の無い肘鉄を繰り出す。絡まる男は、はじかれるように後ろへ倒れる。しかし、顔は笑っている。彼は手を伸ばして相手の首を捕まえる。


「起こせよ」

「イヤだね」

「起こせッたら。起こさないとここで寝るぞ」

「勝手にしろ、」

「じゃあ勝手にする、」


 彼は腹筋を使って上体を起こした。体を摺り寄せて、間髪をいれずに軽く唇をのせた。密に抱えて、一方で緩く啄ばむ。相手の男は、何の反応も示さず、ただ醒めた目で受ける。

 突然、その行為をやめると、無反応な相手の顔を覗き込む。


「……ねえ、何なのお前。面白くないよ」

「そりゃ結構」


 そう言い捨てると、粘着質な手を振りほどいて立ち上がる。引き出しからバスタオルを抜き出した。それを座り込んだままの男に放る。


「風呂入って来いよ。……そしたら泊まっても良い。ただし、お前は布団の部屋で寝ろ。俺のベッドに忍び込んだら殺す」


 途端に、男の目は輝く。


「マジ! イッセー愛してる!」


「イッセー」と呼ばれた男は、不遜な笑みで彼を見下ろした。


「俺はゼンッゼン、愛してないよ」

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