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カオルノキミ 2  作者: 黒炭
第一部
29/92

29 仮面の告白

 閉会式は、開会式と打って変わって親密で打ち解けた雰囲気で満ちている。肌をくすぐるような微細なひそひそ話のさざなみが立つ。


「それでは、総合優勝を発表します!」


 満面の笑みを湛えて表彰台に立った球技大会実行委員長、藤堂昌平は宣言した。

その笑みが作られたものだと疑う人間は誰一人としていないだろう。もったいぶって発表するまでもなく彼のクラスの優勝は知られているし、しかも彼自身、先の選抜リレーでのヒーローだった。

 しらじらしく、スクロール音が流れる。


「優勝は……、2年F組です!」


 ぼっと火がついたように、歓喜の声が上がる。解りきっていた結果でも、こうして全校生徒の前で発表されるのは気分が良いものなのだろうか。規律正しく並んだ中で、2年F組の列だけが蛇のようにのたうつ。

 薫はそれらの様子を本部で見守りながら拍手を送っていた。自分よりも年下の実行委員長を、「敵わないな」という思いをこめて視界に入れた。

 僻みのこめられた拍手だけではなく、純粋な賞賛の拍手と声援が見られるのも藤堂のなせる業だ。

上級生は「おめでとう、昌ちゃん!」と叫ぶし、下級生は憧れの視線で彼を見る。その低い身長にコンプレクスを想像させない堂々とした立ち姿だ。

 本当に、彼の心の中の荒れ模様には、誰一人として気付かない。



 ――祭りの後の静けさ。

 そんなものに包まれながら、実行委員たちは後片付けをする。開会前のバタバタ走り回ったり、声を掛け合ったりという風景は見られなかった。今年度最後の学校行事が終わってしまったことに対するそこはかとない寂寞感が漂う。普段はそんな感傷に無縁なはずの薫も、どういうわけか、少しずつ、元の静謐さを取り戻していくグラウンドを複雑な思いで眺めた。


(……これが、実行委員ってやつか……)


 二度目は勘弁したいものだが、たまにはこういった経験も悪くない。トンボ掛けを終えた彼は、器具を支えにして夕闇に沈む空を見上げた。


「実行委員のみなさん、ご苦労様です! 全体解散にしますので、集まってください!」


 藤堂の、ひときわ闊達とした声が薫を引き戻した。

 藤堂の簡単な挨拶の後、全体解散となった。ここで涙を流すほど苦労した準備期間ではなかったが、満足感はみなが共通して抱いているようだった。みなの顔はつやつやとしている。薫と違い、種目にきちんと参加した者が多数なので、どこかしら汗をかいたような清々しさがある。

 一人、また一人。祭りを構成していた人間たちは校舎に吸い込まれていく。明日からはまた、「普通」の毎日が戻ってくる。薫ら受験生も、そうして勉強に戻るだけだ。




「さて、執行部のみなさん! お疲れ様でした!」


 藤堂の周りには、執行部の10人が残った。


「以前からの連絡の通り、今晩は打ち上げです! この前希望とったときは、全員が執行部の打ち上げに参加、って話だったけど、大丈夫ですか?」


 幼稚園の先生のように、執行部のメンバーをゆっくりと見る。しかし、ひときわ背の低い彼は彼らを見上げる形になる。


「つーか、むしろお前が大丈夫なわけ? お前のクラス優勝だし、主役がいないんじゃ盛り上がらねーんじゃねーの?」と、佐々木。


 佐々木の質問を想定していたのか、と疑うほど機械的に「それは……」、と話し始める。


「……お気遣いありがとうございます。ウチのクラスは二次会もあるので、そこから参加したいと思っています」

「時間大丈夫なのかよ。あれ……何時か過ぎたら未成年はカラオケとか行けないはずだろ?」


 この町の条例では、午後十時を過ぎたら、高校生だけは居酒屋や娯楽施設に入ることができなくなる。それは確かなのだが、条例のことよりも二人が妙な火花を散らし始めたことが薫の気に掛かった。


「藤堂が大丈夫って言ってるんだからいいだろ。それに、このメンバーが顔を合わせるのも今日で最後だ。せっかくだから、予定通りみんなで行こうぜ?」


 佐々木は明らかに不満顔で「薫ちゃんがそう言うなら」と、体を引いた。藤堂は、少し傷ついた顔をして頷いた。


「そうですね……。最後、ですから……」


 しかし二回目の頷きは、何かを確かめるように力強かった。


「では、皆さんご存知の駅前の居酒屋『仮面の告白』に、五時です。……ぎりぎりですね。遅刻しないように。今日は本当にお疲れ様でした! ひとまず、解散ッ!」


 みなは好き勝手に頷いて、彼に背を向ける。

 申し合わせたように、薫と佐々木は並んでその場を後にする。そんな二人をボウと見る藤堂に、長浜がのしりと体重をかけた。

 振り返りそうになった顔を、すんでのところで正面に留めさせる。不愉快な気持ちで、不愉快な顔をを見たくは無かった。彼は、女性全般を信用しないのだ。こころでそれを思っても、決して相手に悟らせてはいけない。そう努めていたはずだったのだが。


「昌ちゃあああん。あの時の暴言、忘れてないよね?」

「……げ」

「何よ、『げ』って。失礼じゃない!?」

「……忘れてないよ」

「乙女のプライドを傷つけた罪で、『仮面の告白』まで私を送ること! いい!?」


 長浜は、人差し指で藤堂の頬を刺激する。彼女の勢いにおされ、気付けば頷いて引き受けていた。


「解ったよ、自転車で乗せてくよ」

「ええ、マジで? バス代浮いたぁ!」


 自分から言い出しておいて、従った藤堂に驚いている。

 あまりにも後腐れない長浜の様子に、藤堂はとうとう噴出した。理性がきかなかったとは言え、縁を切るようなつもりで本音を吐き出したのに、彼女は知ってか知らずか、性懲りもなくべたべたと触れてくる。

 噴出した弾みで出た、目尻に滲む涙を拭って彼は言った。


「……ごめん。忘れてよ、あの悪口」


 長浜は藤堂を覗き込んだ。

 悪目立ちするほど整えられた眉が、怪訝そうに上下するのを見た。しかし、段々と単純そうな表情が戻ってくる。彼女は軽薄そうに笑う。


「『忘れてよ』って、あの時言ったのは本音ってことじゃん! 昌ちゃんが前言撤回とからしくないわぁ。……あ! もしかして、何か悩んでる感じ? あたしでよかったら話聞くし!」


 たった一言の謝罪で彼女は上機嫌だ。こころの靄を切り裂くように、彼女の図々しさがすとんと彼の内部に落ち着く。


(――あ。なんだろ。すっごい阿呆らしくなっちゃった)


 藤堂は、ふと自分も軽くなりたいと思う。作りこんでいた笑顔の仮面を、彼は地面へ投げつけて叩き割った。

 躊躇うことなく、次の言葉を発していた。


「……メグちゃんみたいなバカ女に相談する悩みなんて、ないよ」


 その顔には、人を食ったような笑みが浮かぶ。藤堂の本物の顔だ。

 しかし長浜は、先刻のように過敏な反応を示さなかった。ただ穏やかに、目尻を下げた。


「……なんだ。その顔のほうが百倍格好良いよ、昌ちゃん。まるで、あたしだけが知ってる、あたしだけの昌ちゃんみたい」


(佐々木先輩も知ってるけどね……)


 それは言わないことにした。俯いたまま、静かに口を開く。


「……メグちゃんさ、教室戻る? 荷物は第三会議室に置いてあるよね?」

「え、でもホームルームあるし戻らなきゃ……」

「いいじゃん。サボって、このまま『仮面の告白』に行こう」

「いいの? 昌ちゃんはクラスに顔出さなくても」


 藤堂は顔を上げて、あからさまに不機嫌な顔を見せた。


「……あの阿呆と同じこと言わないでくれる」


 恐らく長浜には、何のことを言っているのかは伝わらなかった。それでも良い。ただ、言いたい事を言うだけなのだ。それが、今は許されている気がする。

 不機嫌な顔は、段々と、力の抜けた笑みに変わっていく。それは、再び俯いた状態で。

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