12 卒業報告
授業開始の30分後に、佐々木は制服姿でスポーツバックを掛けたまま体育館に現れた。彼が今までいなかったことに気づかなかった。
今まさに登校してきたと言った具合だ。手には履き潰したスニーカーが。靴下のまま体育館に上がると、森脇の元に走り寄って、腰をトントンと叩き、不調を訴えているようだ。森脇は頷くと、薫の座っているあたりを指差して見学するよう促した。
佐々木は、スキップで薫の元へやってきた。不調そうには見えない。体育大好き男が遅刻ごときで休むなどよっぽどのことなのだが。最後数メートルは、スライディングを決めた。起き上がった彼の制服は、体育館の床の汚れで真っ白だった。
「うっわ、きたねーな、俊。アッチで叩いて落として来いよ!」
「いいからいいから。ラッキーだな今日は! 薫ちゃんも体育見学だなんて」
佐々木は、勢い込んで薫を腕に抱いた。
「何だよ、全然調子悪そうに見えねーけど」
「あ? サボりだよ、着替えるのめんどくせー。てか、……聞いて驚くな。……俺、………そーだ、やっぱりクイズにしよう。な? 俺、凄いことがあったんだけど。何だと思うよ?」
「鬱陶しいな。さっさと言えよ」
「つれねーな。じゃぁ、三択!」
「くどい!」
佐々木のわき腹を薫がくすぐると彼は転覆して降参降参、と笑いながら声を洩らした。目じりに少し涙が浮かぶ。
彼の弱点を知ったために、それを永久記憶として留めることを誓った。いざとなったら勝てそうだと心強くなる。
佐々木は、薫に改めて向き合うともったいぶって囁いた。
「……俺、昨日卒業した」
卒業。それはいろんな意味としてとることが出来るが、ここでの用法は限りなく一つに絞られる。
「……誰で?」我ながら俗っぽい聞き方だと思った。
「きまとるやん、メグちゃん」
確かに昨日、放課後会議が済んだのち三人でコンビニへ寄り、佐々木に長浜を駅まで送らせた。自分はお使いを頼まれていた為、彼らとはそこで別れ、他方面へ向かったのだ。まさか、その後の二人がそんなことになるだなんて思いもしなかった。しかし、聞かされたところでどうしようもない。
「……へぇ、まぁ、良かったじゃん。で、付き合うの?」
「あ、そーゆーのナシ」
鼻でもほじりそうな力のない声で言い放ち、パタパタと手を振るさまはひどく腹立たしい。
「ああ、長浜さん、遊んでそうだもんね。丁度良かったんじゃない?」
長浜にとっては秘密にしておきたいことであろうが、いかんせんここは男子。卒業報告はしたいのが心情だ。
「な、一回で出来た俺凄くね?」
「馬鹿。中学生じゃねーんだから。それに、あっちが玄人だったんだろ」
「なんだよ、冷たいな。あ! 妬いてるんだろ!」
佐々木は薫の肩に圧し掛かり、ぐりぐりと頬を親指で刺激する。
「……おっまえ、あほだな。すっごいどうでもいい」
「でも、コレでハッキリした」
何が、の薫の問いに対して、佐々木は薫の耳を甘噛みした。不意を突かれた薫は、思わず肩を縮める。その本能的な反応がひどく悔しいので、冗談めかしてごまかす。
「……馬鹿野郎、こういうことはベッドでしようぜ、」
ところが佐々木はふざけた調子に合わせてくれる気配は無い。
「……前、薫ちゃん言ったよな。俺が薫ちゃんとしたいのは、女としたいのと混同してるからだって。俺も、悩みすぎてさ、そうだといいなと思いながらだったんだけど………違ったぜ、それ。俺、間違いなく薫ちゃんとしたい」
あんぐりと口が開き、二の句が告げなかった。一方的になぜだか照れている佐々木は、随分伸びた赤茶けた髪をくしゃくしゃと揉んで笑った。
「な、だから、いいだろ。させろよ。俺の卒業の責任取れよ」
「女々しいこと言うな! 第一、俺は関係無い!!」
「大有りだ! 薫ちゃんが『まずそっち試してからにしろ』って言ったんだぞ!」
彼は薫の細い腰にしがみついてきた。逃げようと床を這っても、彼は離さない。終いには、彼は薫の体に登って、馬乗りになって押さえつけてしまった。ネクタイをしゅるしゅると引いて解いてしまう顔は、節操無く捕食者じみていた。
「頼むよ、薫ちゃん。俺から逃げんなよ、」
佐々木の腕はびくともしない。豹に捕らえられたガゼルの気分とはこのようなものだろうか。圧倒的な筋力と精力の差に、雄としての劣等感がチリ付く。
「……離せよ」
冷や汗が背中を伝う気がした。自分が逃げて済むような問題では無いことがようやく実感として沸いてきた。これは佐々木の真摯なアイデンティティに関わっているかもしれない問題なのだ。体を交えるか交えないかの問題はおいて置いても。
「せんせー、佐々木が『薫姫』を襲ってまーす!」
バスケットボールをしていた生徒が叫んだ。
彼に助けの自覚は無く、面白がってであったとしても、それは薫にとって救出だった。体育教師は、呆れ顔で近づいてきて、佐々木に拳骨を落とした。
その上、校則違反のベージュのカーディガンを着ていた彼は、教師に抱え込まれて身包みを剥がされる。上半身はシャツとネクタイになってしまった。おまけに、まだ床に這いつくばっていた薫にスラックスの裾をつかまれたことによって、腰穿きしていたそれは呆気無くずるりと足首まで落ちてしまった。
自分の落ちたスラックスに足を奪われた佐々木は、何とも情けない格好のまま体育館の床へ派手に倒れこんだ。
体育館にいた全員がボールを追うのをやめて、妙な具合に入り組んだ教師と佐々木と薫とを鑑賞して、大きな笑い声を上げていた。