11 体育教師の愚痴
球技大会までの間、体育の授業は各種目の練習期間に当てられた。球技大会当日はもうすぐだ。
参加種目の無い薫は毎回無気力に卓球に回るのだが、今日は仮病を使って見学を決め込んだ。
クラスメート達は「薫ちゃん、今日はあの日ですか~」とお決まりの野卑た冗談を飛ばしてくる。それには決まって「二日目なの!」と返してやる。阿呆なクラスメートはそれで沸いて喜んだ。
制服のまま胡坐を掻いて座って、体育教師と雑談を交わす。それがまったりとして気楽なサボリの過ごし方。
「先生、『カラマーゾフの兄弟』って読んだことありますか」
「ああ、無いな」
驚くほどの早さで会話が途切れる。
「じゃぁ。……何かお勧めの本無いですか?」
「俺あんまり読んでこなかったんだよな。まさか体育の授業中に生徒に、しかも受験生に『お勧めの本』を聞かれるだなんて思いもしなかった」
「……やっぱり、本なんか読まなくたって先生みたいに立派になれるんですよね」
「イヤイヤイヤ。俺が立派なのは認めるが、そんな結論出してくれるな! 国語科の先生に怒られる!」
「本読んだからって、すげー人間になれるわけじゃない。それどころか、世間が求めるような人間になんてなれやしない。……むしろ世界が嫌になる。なのになんで大人はみんな言うんでしょうかね、『本を読め』って」
「それは勉強して答えを出せ。『本』ったって、お前が今思ってるような『小説』という意味での本だけじゃない。ま・要するに受験生は屁理屈こねる前に四の五の言わず勉強しろ、ってこった。それから考えても遅くないんじゃないか?」
「あ、うまく逃げましたね」
39歳独身の体育教師、森脇は、にやりと笑って、ばれたか、と言った。ばれてなどいない。言わないだけで、彼には彼の哲学や美学があるはずだった。
「にしても。真野ぐらいだよな、俺をまともに教師扱いしてくれる生徒は……泣けてくるわ」
そんなことを気にしていたのか、と単純な驚きが顔に現れてしまう。
「そんなことないですよ、むしろ、大人しい奴の方が多いじゃないですか」
「からかう奴のほうがまだましだ。意識的にはしゃいでるからな、賢いよ。その点、その他の連中の見下した目ときたら。体育教師なんて、勉強の出来るあいつらにとっちゃ、ただの筋肉馬鹿の負け組なんだよ。それだけ頭良かったら、馬鹿にしてるのを気取られない位には振舞って欲しいね」
「はっきり言いますね」
彼との個人的な会話がこれまでも多くあった薫は、彼が職場で毒を吐いても素直に受け止められる。「愚痴をこぼす相手として、お前は馬鹿じゃないから」
「俺は馬鹿ですよ……『惰性で進学するような』。何も考えてないだけです。……でも。みんな『教師なんか』って思ってるのはマジですよ。それでいて自分は大企業の社長にでもなれるつもりなんでしょうか。……もしかしたら、俺だってその一人かもしれない」
そうはいっても、地方の自称新学校の学生が多くを望むには、世界は大きすぎるし広すぎる。
大崎の蔑んだ視線を思い出す。彼女があの数学の時間に言いたかったことは、こういうことだったのではないだろうか。
「若い奴は前途があるから頑張れる。ふてぶてしくて可愛いだろ? メキメキ登っていける奴はいくんだよ」
「……あの碌にコミュニケーションもとらせてくれない、とろうとしない連中がそんなガッツありますかね。きっと、騒いでる奴らのことだって内心、馬鹿にしてますよ」
俺だってたまにそうだ、と言い掛けてやめる。自分も気分によって彼らに乗ることには違い無い。
「あるさ! ……それに、『内心』じゃない。態度で『お前らとは違う』って主張してんだろうが。解ってやれよ」
「……先生、真っ黒ですね。俺、先生のそういうところ好きです」
「よせよ……! ま、俺も昔はあいつらみたいだったよ。……ナンバーワンホストになれるもんだと思ってた」
「……無理ですよ」
森脇の冗談は、古臭いうえに面白さの欠片もない。そのギャグセンスの無さが好かれる要因だとおいうことに、本人は気付いていない。可愛らしいものだ。
彼は、「だよな」と軽く笑い、その会話を切り上げることを表した。
「君の場合、ちょーっとその仮病やエスケープを抑制できたらいいんだけどな、サボり魔くん?」
「……すいません」
薫は、ボールを追いかけて声をあげる同級生を眺めて呟いた。
「お前は、どんな教師になるんだろうな、……一成」
独り言だった。