二つの背中
「ホッグ。足が速くて耳の良いお前はアイテム係な」
「うん……」
ジャギーがボクにそう語り掛けた。清々しいまでの笑顔で。これからのことを怯えることなく、勇ましい顔だった。太陽光がジャギーを照らす。その陰にボクは居た。
――――冒険に出たい。
小さな村に産まれたボクたちは、世界を知りたくなった。なにも、魔王を倒すとか、大きな竜の鱗を手に入れるとか、そんな目的はない。
ただ、広い世界を観たかった。
さいわい、モンスターもスライムが数匹いるくらいで、凶暴なゴブリンやオークなども居なかった。それよりも、どこまでも広がる草原を駆けるのが心地よかった。
ジャギーは率先して魔物を狩った。中には手ごわいのも居たけれど、ジャギーに任せていれば安心だった。旅の工面をするために、ボクたちはギルドに入って仕事を探した。
ボクは、なるべく安全な仕事がしたかった。でも、ジャギーは纏まったお金が欲しかったようで、少し難しい依頼を受けた。
受付のおじさんが、
「……イエロースライム狩り。たった二人で大丈夫か? 相手は剣術も体術も効かない。『強力な凝固剤』でスライムが窒息するまで耐える必要がある。数に限りがあるぞ。失敗したら骨まで溶かされちまう」
そう言った。
「ほ、骨まで……」
ボクは怯えた。でも、ジャギーは自信満々の顔で、
「ええ、出来ますとも。アイテムを投げるだけなんてサルでも出来ます。それに、依頼が有るってことは、困っている人が居るってことでしょう。手助けができるのなら光栄ですよ」
と答えた。さすが勇気のあるジャギーだ。ボクはそんな彼の後ろをついて歩いた。一回り大きな背中が頼もしかった。
イエロースライムの巣に入った瞬間。ボクは、キィキィという嫌な音が聴こえた。鳴き声なのか何なのか分からないけれど、奥に行くのが怖くなってきた。
「ねぇ、ジャギー。凝固剤。たった三個で足りるかな?」
「大丈夫だろ。相手は一匹だけなんだから。もしダメなら引き返せばいい」
「う、うん……そうだけど」
ジャギーはどんどん先へ進む。ボクはそんな彼の背中を追いかけた。巣の中は複雑に入り組んでいて、中には岩肌が溶けた痕がある。
――――キィキィ……。
(どんどん大きな音になっていってる)
どうやらこれは高い周波数のようで、ジャギーには全く聴こえていないみたい。彼はどんどん奥へと進んでいく。次第に真っ暗になっていって、ジャギーの背中がうっすらとしか見えなくなった。
巣の最深部らしき所に行くと、電飾のように黄色く輝くクラゲみたいなのが居た。きっとイエロースライムだ。スライムの居る奥にはわずかに光が見える。きっと通路だろう。コイツが邪魔をして、道をふさいでいるに違いない。
「ホッグ、『強力な凝固剤』を出してくれ!」
「うん!」
ボクは、暗闇の中ジャギーにアイテムを渡した。三本あるうちの一本。ジャギーは勇ましく駆け出して、イエロースライムに『強力な凝固剤』を掛けようとした。
でも、暗闇の中で的確な場所に当てるのが難しかったようだ。
「ちっ、外しちまった!」
ジャギーの悔しそうな声が巣の中に響く。イエロースライムは、攻撃された反動で、体液を吐き散らかす。あらゆる物を溶かす性質を持つそれは、ジャギーの効き手に当たった。
「うわああああ!」
「ジャギー!」
床に転がるジャギーを、ボクは見捨てることも出来た。だって、それくらいに怖い。イエロースライムは、ジャギーに向かって体液の玉を放とうとしている。
その一瞬の間ボクは、彼とのたくさんの思い出が湧いた。
一緒に山登りをしたこと。勇者ゴッコをしたこと。些細なことで喧嘩をしたこと。いつも、ジャギーの後を追って、憧れていたこと。日の光を浴びたジャギーのたくましい背中……。
「……っ!」
(こんな暗い場所で、ジャギーは死んじゃダメだ!)
ボクは、自然と前に出ていた。大切な友を失いたくない。ただ、その一心で『強力な凝固剤』を二本同時に手に持つ。アイテム袋はその場に置いた。とにかく目の前のイエロースライムとの距離を測ろう。
――――キィキィ……。
この独特な金切声のような音と、じゅるッというスライム独特の音。そして赤く輝く目の向き。おそらく視野はそんなに広くない。新しいボクの足音に気づいたのか、スライムは警戒しているようだ。
足元にコツンと小石が当たる。
(……そうだ!)
ある作戦を思いついた。壁に石をあてて注意を逸らそうというものだ。
(うまくいけ!)
――――コツン!
投げた石が、ジャギーとは反対方向の壁に当たる。キィキィ……と少しいぶかしげに鳴る音。赤い目玉がぐるりと反対方向に回る。
その隙を見てボクは『強力な凝固剤』を持って、足音を立てないよう素早くイエロースライムに近寄った。そして、『強力な凝固剤』を二本同時に噴射する。
(これでダメなら、ごめんね。ジャギー)
キィキィという音が小さくなっていく。倒れていたジャギーが今どんな状態かは分からないけれど、無事に起き上がれたようだ。呼吸も出来ている。音で分かる。
キィキ……ィ…………。
イエロースライムの動きが止まった。赤かった目は白く濁って、動かなくなった。討伐が出来た瞬間だった。ボクたちは、イエロースライムの目を狩って、街まで戻った。
「ホントにやるとはな。若いのに大したもんだ!」
ギルドの人たちに囲まれてちょっと怖かった。でも、気さくないい人たちばかりだ。ジャギーは夕方になったらボクを外へ呼び出した。
「ホッグ。次はどこへ行きたい?」
「え、と……ジャギーの行きたい所は?」
「俺はお前の行きたい所を訊いてるんだ」
ポカーンとしてしまった。
ボクはただ、ジャギーと一緒に旅が出来たらそれでよかった。彼の背中を追うのが大好きで、旅に出たかったのもそういう理由だったから……。
そのことを伝えると、ジャギーは、
「今日の俺は完全に驕ってた。目が覚めたよ。ありがとな。今日のお前。かっこよかったぞ」
そう言って、ボクの背中を押した。
「今日からお前がリーダーだ!」
「え、ええええ!?」
驚いたボクの声にカラスが湧きだす。夕日がボクの頬を照らした。街には二人分の長い影が伸びていた。