その名はトンくん
「ようこそ。カフェ・パーチェへ」
そう言って芹菜は店のドアを開く。
すると直ぐにコーヒーの良い香りが鼻腔をくすぐった。程よく落とした照明と耳心地の良い音楽が店内に流れ、落ち着く雰囲気だ。
「いらっしゃい。」
カウンターの向こうで芹菜に良く似た女性が朗らかに笑う。
「香菜さん、お久しぶりです」
「初めまして。お邪魔しまーす。えっと……セリセリのお姉さん?」
「あら嬉しい。でも残念、芹菜の母です。あなたは芹菜の新しいお友達?ゆっくりしていってね」
香菜さんは美魔女という言葉が相応しい程若々しく、見た目こそ芹菜と似ているが、性格は温和で丁寧な優しい口調も全然違う。
「まだ友達じゃない。今日は店に来たいって言うから連れてきたの」
芹菜は「着替えてくる」と言い残しお店の奥へと引っ込んだ。
「えー……セリセリそれはないよぉ……」
百花ちゃんはガックリと肩を落としている。
「ごめんなさい。うちの子気難しくって……嫌いな人はそもそも連れて来ることなんてしないから、気を悪くしないであげて?」
申し訳なさそうな顔で香菜さんがフォローする。
嫌いじゃないという言葉に安心したのか百花ちゃんは「大丈夫です」と笑顔に戻る。
「そうだ!成美ちゃんの代表挨拶、素敵だったわよ。成美ちゃんのご両親も喜んでたんじゃない?」
「えへへっ、ありがとうございます。でもうちはお店もあるし、入学式は来なくていいって言ってあったので……」
「それは勿体ないわねぇ……私は主人に全部押し付けて参加しちゃった。式の様子を動画に撮ってあるから、今度お肉買いに行ったときに見せてあげようかしら」
「是非そうしてあげて下さい」
私達は軽く挨拶をして隅っこのテーブル席へと座った。
「お腹空いたー……アタシ、このエビグラタンのランチセットとカフェラテにしようかなっ。あっ、デザートにアップルパイもいいなー。成美っちは?」
百花ちゃんはメニューを見るなり次々に注文を決めていった。
「私はホットコーヒーとホットサンドのサラダセットにしようかな」
私はいつもの様にカロリーの低そうなものを選んで注文する。
「それだけ?だからそんなに細いんだよー。もっと食べないと大きくなれないよー」
「えー……そうかな?全然細くないよ」
あはははっと笑って誤魔化す。
私はこれ以上大きくなりたくないの……
「まぁいいや!ところでさ、成美っちの前の席の純くんヤバくない?帰国子女でイケメンとかモテる要素しかないよねぇ」
私は話題が変わったことにホッとしつつ相槌を打つ。
「そうだね。先生の話の後、早速女子に囲まれてたもんね」
私達が教室を出る前、アラムくんは女の子達に囲まれ、質問責めにあっていた。
「そうそう……同じ帰国子女なのにこうも周りの対応が違うと、可哀想になるっていうかー……」
「……なんの話?」
「ホラ、もう一人居たでしょアメリカ帰り!八城くんだっけ?」
そう言われて思い出したのは、今日最後に自己紹介した男の子。
彼はアラムくんと比べて背こそ負けない程高いが、如何せんポッチャリ体型だった。顔もハーフのアラムくんと比べれば彫りは浅く、特筆することのない普通の顔だ。
確かに八城くんは騒がれてる様子なかったな……
「やっぱり成美っちも純くんみたいな男子がタイプ?」
「いや、私は――……」
別に好きじゃない。そう口に出そうとした時……
「成美にはトンくんが居るから」
そう遮ったのは、料理が盛られたお盆を両手に持った芹菜だった。
「えっ!?どーいうこと成美っち!もしかして彼氏?」
百花ちゃんが目を輝かせて聞いてくる。
芹菜め余計なことを……
当の芹菜は料理を机に並べると、足早に他のお客の対応へと行ってしまった。
「違うよ!昔好きだった幼馴染みの男の子なんだけど、引っ越して遠くに行っちゃったの。連絡先も知らないし、今何処に居るかも分からないの……」
自分で言ってて悲しくなってくる。
「へぇ、でも今もまだその子のこと好きなんだ?」
私は俯きがちにコクリと頷いた。
「成美っちピュアだねぇ、可愛いー。あ、もしかしたらさSNSやってるかもじゃん!トンくんの本名は何て言うの?」
「え?トンくんはトンくんだよ?」
「え……?あーもしかして外国人とか?」
「日本人だけど……」
私と百花ちゃんの間に微妙な空気が流れ出す。
「漢字はどう書くのー?もしかして読み間違えてたり……」
「豚って書くんだけど……」
「…………」
百花ちゃんが笑顔のままフリーズする。
「いやいやいや!豚なんて名前につけるわけないじゃん!?なんで本名聞いとかないのー」
「だ、だって……その子の持ってたハンカチに刺繍してあったんだもん!それが名前だって言ってたし、私のパパも牛に大で牛大だから、この子は豚なんだぁ……ってあの時は疑問に思わなかったのっ」
「はぁ~……こりゃダメだ」
百花ちゃんは盛大に溜め息をついた。
「おじさんとおばさんに聞けば?」
唐突に芹菜の声がしたと思えば、エプロンを外しながら私達のもとへやってくる。
「あれ、セリセリお手伝いはいいの?」
「うん、一段落したから私もお昼休憩。それで、どうなの成美。同じ商店街に住んでた子なら成美の両親が知ってるんじゃない?」
「……」
私は押し黙る。
「まだケンカ中なんだ?」
「何なに?優等生の成美っちも親子喧嘩するんだ?」
「ケンカっていうか……あっちが勝手に突っ掛かってくるだけだし。トンくんの事も前に一回聞いてみたけど、教えてくれないの。……あー、やめやめ!この話は終わり。料理冷めちゃうから食べよ?」
私は無理矢理に会話を引き上げ、目の前のホットサンドをひと口頬張った。
2人はあまり納得してない様子で顔を見合わせたが、直ぐにまた他愛のない話で盛り上がる。