天才と挫折(純視点)
あー暇だなぁ……
学校を抜けてきたは良いものの、特にする事もなく俺は町を歩いていた。
平日の昼間に制服で外を彷徨くと目立ってしまうが、家に帰ったら帰ったでお祖父ちゃんに五月蝿く言われるのが目に見えている。
俺は家とは反対方向に歩みを進めた。
俺が日本に住んでたのは、親の仕事に付いて日本に来た時のわずかな時間だ。
その間に親しい友達が出来るでもなく……そういう意味では同い年の従兄弟である琢斗の存在は俺にとって、唯一気の置けない友人の様なものかもしれない。
そんな琢斗の初恋相手の成美ちゃん……本人は否定してたけど絶対好きだろ。
昔から彼女の話を聞いていたからどんな子なのかと、いつか会えるのを楽しみにしていたが……とんだお節介娘じゃないか。
琢斗は成美ちゃんのどこが好きなんだ?どうやら俺達は価値観が違うらしい……
そんな事を考えながら歩いていると、見覚えのある施設に辿り着く。
ここは昔、お祖父ちゃんに連れられて来たことがある武道館だ。
年に数回この場所で柔道の大会などが行われており、俺も一度参加した事がある。
「全然変わってないなぁ……」
武道館の前の通りにはイチョウ並木が続いており、近くには小さな広場や池もある。俺は昔と全然変わってないその景色に感慨深い気持ちになりながら、近くのベンチに腰を下ろす。
成美ちゃんに言われた通り、俺は中学まで親やお祖父ちゃんの影響で柔道をしていた。
最初は暇潰し程度で始めたものだったが、当時は向かうところ敵なしといった様子で、周りからも神童だ何だって持て囃されたっけ……
正直その言葉を真に受けて、練習もそこそこに天狗になっていたのは事実だ。
そんな俺が挫折を味わったのは中学に上がって直ぐの事……
アメリカで母親のもと指導を受けていた俺は、ある日同い年の日本人留学生と試合稽古を行った。
相手は俺より一回り体の小さな奴だったが、俺は手も足も出ずに負けてしまった。同年代の相手と戦って今まで負けたことのない俺は、衝撃的過ぎて理解が追いつかなかったっけ……
それからソイツにリベンジするために猛特訓に励み、その後ジュニア大会で再戦を果たした。
しかし結果は惨敗。今までは練習を真面目にしていなかった事を言い訳にしていたが、今回は違う。必死に練習しても奴に敵わなかった事に、俺のプライドはズタボロにされてしまった。
その後は今まで余裕で勝てていた相手に対してまでも、思うような結果が出せずに負けが続いた。所謂スランプと言うやつだ。
最初は「1度や2度負けたくらいで落ち込むな」と叱咤激励していた周りの声も次第に同情的な言葉に変化し、最終的には腫れ物を触る様に皆が俺を遠巻きに見ていた…
あんなに俺に期待してくれていた周囲の人が段々見向きもしなくなって、焦りや絶望、嫉妬など様々な感情がない交ぜになる。
もう誰にも失望されたくない――
そして家族や琢斗には止められたが、俺は柔道をやめた。
昔から気分の移り変わりが激しかった俺だ……柔道は俺には向いてなかったみたいだし、また別の暇潰しを見つければいい。
勝てもしない物に執着して、本気になるなんてバカバカしいだろ……
俺はそう自分に言い聞かせるように、柔道から遠ざかった。
それからだろうか……俺が周りの反応を気にして、良い子を演じる様になったのは――
「……さてと、そろそろ行こうかな」
何だか感傷に浸りすぎたようだ。俺は気持ちを切り替えるため、声に出して立ち上がる。
その後も町をブラブラと歩き、途中で学校に寄って、友達に鞄を取ってきて貰った。
家に帰り着く頃にはすっかり夕方になっており、下校中の学生達とすれ違う。
「純は居ないみたいだね。皆折角来てくれたけどごめんね」
「えー……つまんなーい」
「また明日学校で話すッス」
家の前で何やら聞き覚えのある声が聞こえてくる……
嫌な予感がして、俺は直ぐに踵を返すが、「あっ、あれ純くんじゃない?」と成美ちゃんに見つかってしまった……
本当に成美ちゃん、余計な事をしてくれるよね?
「あれ、皆してどうしたの?遊びに来たんならゆっくりしていきなよ。俺はちょっとコンビニで買うものがあったんだった……」
お得意の笑顔を貼り付け、立ち去ろうとする俺の腕を井上さんと富岡さんが掴む。
「逃がさない……」
「純くんに話があって来たんだよー」
チッ……と心の中で舌打ちし、俺は諦めて皆と一緒に家の中に入った。
リビングで机を挟み、俺と皆が対峙する。
「この通りッス!どうか我が柔道部にお力添えを……」
「1回くらい出てあげなよー」
「人助けは大事……」
皆口々に練習試合に出させようと説得を試みるが、俺の答えは変わらない。
「絶対に嫌だ」
その言葉に皆が肩をガクリと落とす。
「何でそんなに嫌なの?柔道を辞めた理由と関係あるの?」
成美ちゃんがあまり聞かれたくない質問を突っ込んでくる。
「別に?辞めたのは飽きたからって言ったでしょ。大体俺が出たって、ブランクが3年あるんだよ?勝てっこないよ」
「もしそれで負けたって、誰も責めたりしないッス!大丈夫ッスよ」
田中くんは俺の気を軽くするために言ってくれたんだろうが、その言葉は逆効果だった……
「大丈夫なわけないだろ……」
そう呟いた俺の心情を琢斗は察したのか、その場で立ち上がると俺の代わりに、皆に頭を下げた。
「ごめん、やっぱり僕からもお願いするよ。練習試合は他の人を頼ってくれないかな?」
「琢斗……」
昨日の事で俺に腹を立ててるはずなのに、俺のために頭を下げるなんて……まったくお人好しだな……
「八城くんまでそう言うなら……他の人に出て貰うしかないみたいッスね」
田中くんは渋々納得してくれたようだ。
「えー……純くんが柔道してるところ見てみたかったなー」
井上さんがそう呟いた時、リビングの扉が勢いよく放たれた。
バァアンッ――
「今!純が柔道をするって言った!?」
皆が驚いて視線を向けた先には俺の母親が立っていた……
お母さんはツカツカとこちらに歩いて来ると、いきなり無言で俺を抱き締めた。
「お、お母さん!?」
突然どうしたんだと、お母さんを引き離そうとしてみるもびくともしない。
ちょっと苦しくなってきたぞ……
俺が音を上げようとした時、お母さんは一度体を離して俺の顔を見上げる。
その目からは大粒の涙が溢れており、それを見た周りの皆は困惑していた。
「良かった……純が柔道辞めるって言った時はどうしようかと思ったけど、また始めてくれるんだねっ」
お母さんは何か勘違いしているようだ……
こんなに喜んでくれているところ悪いが、俺にそんな気はない。
「いや……違っ――」
「いつかそう言ってくれる日が来るって信じてた!皆は純のお友達?皆のお陰で、また柔道をする気になったのね?本当にありがとうっ……」
しかしお母さんは俺の話など全然聞いていない。
「ちょっと、待っ……」
「あっ、お祖父ちゃんにも教えてあげないとね!」
お母さんは言いたい事だけ言うと、急いで柔道場へと行ってしまった。
「な、なんか嵐の様な人だったねー」
「突然出てきて驚いた……」
「アハハ……おばさんはいつも感情表現が豊かだからね」
皆一瞬の出来事に呆気にとられている。
「でもおばさん……純くんがまた柔道をするって勘違いしてたみたいだけど……」
成美ちゃんの発言に、皆の視線が俺に集まった。
暫しの沈黙の後、俺は観念したかのように両手を上げて溜め息を吐く。
「はぁ……もう、わかったよ。この練習試合1回だけだよ?」
「やった!よろしく頼むッス!」
その言葉を聞いた田中くんが飛び跳ねて喜びを顕にする。
――――――――――――――――
その日の夜、琢斗が俺の部屋を訪ねて来た。
「本当に良かったの?あんなに嫌がってたのに……」
なんだ、神妙な顔をして話し出したと思えばソレか……
「まぁ……お母さんにあんなに泣かれるとね」
俺はどうにも母親の涙には弱いらしく……今回は皆の説得に応じたと言うよりも、お母さんにあそこまで期待されると断るに断れなかった。
「やっぱり柔道はしませんって言うよりも、一度練習試合でも何でもすればお母さんも満足するだろ?……というかそんなに心配なら、そもそも皆を連れて来て欲しくなかったんだけど?」
俺がジト目で睨むと、琢斗は困った様な顔で笑った。
「それは……ごめん。でも僕も、純が柔道を途中で辞めちゃったのは引っ掛かってたからさ。無理にとは言わないけど、またしてくれたらいいなって思ってたんだ」
辞めた理由は飽きたからだって言ったのに……お母さんといい琢斗といい、俺がまだ柔道に未練があると思っているらしい。
「明日からお祖父ちゃんに稽古つけて貰うんだよね?僕も何か力になれる事があるなら手伝うよ」
てっきり昨日の成美ちゃんにちょっかいを掛けた事に怒ってると思ってたけど、琢斗は屈託ない笑顔を俺に向けた。
本当、調子狂うなぁ……
「だったらさ、琢斗も俺の練習に付き合ってよ」
「えっ……」
思ってもみない返事が返ってきたからか、俺がイタズラっぽい笑みを浮かべると琢斗の表情は露骨に強ばった。
「当たり前だろう。あのお祖父ちゃんの指導を受けるんだ。琢斗も道連れだよ?」
「わ、わかったよ……」
琢斗は渋々頷いた。
こうして俺は助っ人として練習試合に参加する事となったわけだが……
「本当に練習試合までの間、ここで練習してもいいんスか?」
「まさか斎藤先生のもとで指導を受けられるとは……ありがとうございます!」
「「ありがとうございますっ」」
なぜ柔道部の面々が斎藤道場に居るんだ?
「なぁに、志摩の教え子ならばワシにとっても弟子同然じゃ。ワシが直々に鍛え直してやるわ!」
ガハハッとお祖父ちゃんは豪快に笑い飛ばす。
「流石師範!皆を宜しくお願いします」
「「宜しくお願いしますっ」」
只でさえお祖父ちゃんが暑苦しいのに、一気にむさ苦しさが増してしまった……
いざ練習が始まると、スパルタなお祖父ちゃんの激が道場中に飛び交う。
「コレッ琢斗ー!シャキッとせんかー!」
「はいぃ……!」
狙い通り、お祖父ちゃんの目は運動が苦手な琢斗の方に向きやすくなる。
ごめんね琢斗……俺は楽させて貰うよ。
それにしても、皆どうしてそんなに一生懸命になれるんだ?
正直うちの高校の運動部全般、大した大会記録は保持していない。
内申点のためのオマケみたいな部活動で、そんなに本気になれる理由は何なんだ……
俺は一生懸命に稽古に打ち込む皆の姿を、冷めた目で見ていた。
「ねぇ……本当にここに八城くんが居るの?」
「そんなに疑うなら来なければいいのに」
何やら外の方で声がする。
道場の入口を見ると、成美ちゃんと見覚えのない眼鏡の女の子が入って来るのが見えた。
「それだと貴女と八城くんが2人にっ……あっ、八城くーん!」
「えっ、どこどこ?」
2人は琢斗を見つけると手を振って声を掛けた。
「ハァ、ハァ……あれ?成美ちゃんに、藤崎さん……?どうしてここに?」
お祖父ちゃんにしごかれ、疲労困憊となった琢斗がヨロヨロと2人に近づく。
「トンくんが暫く部活を休むことを話したら、藤崎さんが差し入れをしたいって言うから……2人でたくさん作って来たの。折角だから皆も食べてください」
成美ちゃんの言葉に、柔道部の皆がワラワラと集まる。
「純くんも!私が作ったものなら、知らない人からじゃないし食べられるでしょ?」
成美ちゃんが得意気にタッパーを差し出してくるが、確か成美ちゃんの料理の腕は……
「本当にこれ食べられるの……?」
「なっ……失礼な!ホラ、どう見たってはちみつレモンでしょ!」
そう言ってタッパーを開けると、そこには確かにはちみつレモンらしき物が入っている。
「私だって部長に猛特訓されて、スライスするのは上手くなったんだよ?」
「スライスって……これ」
俺はレモンを持ち上げ、まじまじとその太さを確認する。成美ちゃんがスライスしたと言ってのけたレモンは、ゆうに幅1cmは越えていた。
「トンくんも食べて!疲れた体に良いから!」
「う、うん……ありがとう」
琢斗は成美ちゃんから差し出されたソレを口に運んだ――
「グフッ!?……すっぱぃ……うッ……」
バタンッ……
どうやらはちみつレモンが琢斗にトドメをさしてしまったようだ。
「きゃー!八城くんが倒れた!ちょっと安堂さん、八城くんに変なもの食べさせないでよっ」
「ウソ!?何で!?」
俺はそのカオスな光景を横目に、パクリと成美ちゃんのはちみつレモンを口に運んだ。
「ブッ……アハハッ、本当だ。酸っぱいなー」
「そんなに?私も食べてみる……ッ!?すっぱッ」
一波乱あった成美ちゃん達の差し入れだったが、あのはちみつレモン以外は皆に好評であっという間に無くなった。
ちなみにはちみつレモンは琢斗が律儀に全部食べていた……
「トンくーん、頑張れー」
道場に成美ちゃんの応援する声が響く。
「成美ちゃんさー、試合に出るのは俺なのに何で琢斗ばっかり応援するの?」
「だって、純くん……全然やる気無さそうだから。私は真剣に頑張っている人を応援したい。もしかして純くん、負けるのが恐いから手を抜いてるふりをしてるの?」
全てを見透かされる様な目で見つめられ、俺はたまらず視線を外した。
「負けるに決まってるでしょ?俺にはブランクがあるし……それなのに本気を出す意味が分からない」
「最初から負けていいなんて思ってる人、この中には居ないよ。トンくんだって、純くんに勝って欲しいから一緒に練習を頑張ってるんだよ?」
そんな事言われたって、俺には勝てるビジョンが全然浮かばないんだよ……
あの頃の記憶が鮮明に蘇ってくる――
どんなに足掻いても結果に繋がらない苦しさ、周囲の同情的な目……
「それなのに、どうして純くんが端から諦めてるの?」
成美ちゃんの言葉が胸にグサリと突き刺さる。
うるさい……
「1度でも本気で何かに打ち込んだ事があるの?」
うるさい!君に何が分かる!
「俺がどうしようが勝手だろ……只試合に出さえすれば皆だって満足するでしょ」
そう冷たく言い放って、成美ちゃんに背を向ける。
そんな俺の後ろ姿を成美ちゃんは何か言いたげに見つめていた。




