弱虫な心 part1(琢斗視点)
いつもトンくんと成美ちゃんをお読み頂きありがとうございます。
この10話のお話は長いので二部に分けて書かせて頂きます。
引き続き作品をお楽しみください。
9年前……
僕の父さんは会社員、母さんは小さな商店街で、これまた小さな手芸屋を営んでいた。
営むと言っても収入は多くない。商品の販売だけでなく、母さんの趣味が転じて刺繍やパッチワークのワークショップを開いたり、衣類の裾上げや修繕などを代行したりして細々と生計を立てていた。
しかし母さんは心臓が悪く、年々それが及ぼす影響は顕著になり、店を開ける頻度は減っていた。
「琢斗、この道着をお祖父ちゃんの所へ持って行ってくれる?」
「えー……お祖父ちゃんに?」
僕は露骨に嫌な顔をする。
「そんな顔して、お祖父ちゃん泣いちゃうわよ。今純くんもお祖父ちゃんの所に泊まりに来てるんでしょ?一緒に遊んできたら?」
「お願いね」と母さんは、先程ほつれを直したばかりの道着を僕に渡してくる。
「うん……」
僕は渋々頷いた。
何故僕がこんなに祖父の所へ行くのを渋るのかって?
それは柔道の師範である祖父は隙あらば自分の孫達にも柔道を勧めてくるからだ。
そして半ば強制的に受け身の練習や対人練習をさせられるのだ。
痛いし、痣だらけになるし……僕は好きじゃない。
トボトボと玄関に向かう僕を母さんが追いかけて、引き止める。
「忘れてた。琢斗にお願いされてたもの出来てるわよ。はい、あげるわ」
そう言って母さんが渡してきたのは、1枚のハンカチだった。
そこには様々な色の糸で彩られた花や蝶の刺繍。それらは光にかざすと、キラキラと輝いて見えた。
そしてハンカチの隅の方には琢斗の文字も刺繍されている。
「凄い、すごい!綺麗だね。僕の名前も漢字で縫ってある!カッコいいや」
僕はさっきまでの憂鬱な気分が嘘のように吹き飛び、駆け足で家を後にする。
その様子を母さんも嬉しそうに見ていた。
――――――――――――――――――
祖父の家に着くと、道場から沢山の声が聞こえる。
「お祖父ちゃんどこかな……」
僕はそろりと道場に入り、辺りを見渡していると、隅の方で従兄弟の純に指導している祖父の姿を見つけた。
「おぉ、琢斗か。どうした?」
僕に気がついた祖父が近づいてくる。
「コレ、母さんに持って行って欲しいって言われたんだ」
そう言って祖父に道着を渡した。
「助かる。清香にも礼を言っておいてくれ。して、琢斗。どうじゃ、お前も稽古していくじゃろ?」
有無を言わせない祖父の謎の圧に、僕は肯定しか出来なかった。
「じゃあ俺と練習しよ!いいよねグランパ?」
純が練習相手を申し出る。
「純、ワシのことはお祖父ちゃんと呼びなさい。……まぁ、良かろう。2人で稽古してきなさい」
「行こう、琢斗!」
「えっ……ちょっと待って」
純に手を引かれ、稽古場の中央へと連れていかれる。
すると純がこっそり耳打ちしてくる。
「木を隠すなら森の中、人を隠すならゴミの中だよ。琢斗あんまり好きじゃないんでしょ?皆に紛れて、それっぽく見せておけばバレないよ」
純は気づいてたのか……だからわざわざ練習相手を買って出てくれたんだ。
「フフッ、ありがとう。でも“ゴミ”じゃなくて、“人混みの中”だと思うよ?」
「あれー?日本語って難しいなぁ……」
純は参ったと言う様に両手を上げる。
それから僕たちは適当に組み手をしたり、互いに投げる真似をしたりしてやり過ごした。
「ふぅ……暑い。僕、顔を洗ってくる」
「うん、行ってらっしゃい」
ひとしきり時間が経った後、汗をかいた僕は稽古場の外にある手洗い場にやって来た。
えっと……ハンカチハンカチ。
ポケットに手を突っ込むと、今朝母さんに貰ったハンカチが入っている。
「流石にこれは使えないな……」
タオルを借りてこようと踵を返すと、背後に同い年位の男の子が3人立っていた。
「お前、道山先生の孫なんだろ?俺と勝負しろ!」
真ん中に居た恰幅の良い男の子がそう言うや否や、僕に掴み掛かってくる。
「ちょっと、やめてよ……痛っ」
僕は抵抗する暇なく、いとも簡単になぎ倒される。
「何だよ弱いじゃねぇか。あのハーフの奴とは比べ物にもならないな。……くそっ、こんなのじゃ腹の虫が治まらねぇ」
……あぁ、そういうことか。
同じ孫でも純は僕とは違い、柔道の才能に溢れていた。試合稽古でも負け無しで祖父からも大層期待されている。この子は純にコテンパンにされたから、腹いせに僕に突っ掛かって来たのだろう。
はた迷惑な話だと冷ややかな目で3人を見ていると、「何だこれ?」と3人の内の1人が僕の側に落ちていたハンカチを拾い上げる。
……!母さんがくれたハンカチだ。
「返してよっ」
僕は瞬時に起き上がってハンカチを取り返そうとするが、3人はお互いにパスをしあってそれを回避する。
「弱い上に、こんな女みたいな物持ってんのか?」
「ハハハッ!ダサすぎ」
「実は女の子なのかもよー。ワタシ、恐くて柔道なんて出来ナーイ」
3人の揶揄する声に僕は顔を真っ赤にして反論する。
「別に好きで持ってるんじゃない……僕は嫌だって言ったのに母さんが渡して来たから……そんなもの要らないっ」
……嘘をついた。
自分の保身を守るため、僕は大事なものを否定し、傷つけてしまった。
「なら、これは捨ててもいいんだな?」
そう言って恰幅の良い男の子は、昨日の雨でぬかるんだ土の上にハンカチを落とそうとする。
ダメだ……!待って!
僕が手を伸ばした時……男の子達の背後から背の高い女性が現れ、僕のハンカチを取り上げた。
「君達、何してるんだ。虐めは良くないぞー」
「うわっ、志摩だ!」
「ヤバイぞ、逃げろっ」
「ま、待ってー」
その女性を見た瞬間、3人は一目散に逃げ出した。
「さんを付けろー!さんを!」
志摩と呼ばれた女性は走り去る3人に向かって叫ぶと、こちらに向き直りハンカチを差し出した。
「さて、少年。これは君の大事なものだろう?」
僕はハンカチを受けとると、罪悪感を感じながらぎゅっと握りしめた。
「あ、ありがとう……ございます」
志摩さんは僕より11歳年上の高校生。この斎藤道場の門下生だ。
選手としても優秀な彼女は竹を割ったような性格で、曲がった事は大嫌い。うちの祖父にも物怖じせず、言い合いをする様子から、さっきの3人組の様に一部の門下生達からは祖父の次に恐れられている存在でもある。
志摩さんは僕の頭にポンッと手を乗せ、凛とした声でこう言った。
「大事なものは最後まで守り通せ。……手放したりするな」
その言葉がグサリと心を刺す。
「はい……」
シュンとした僕を見て、志摩さんは慌てた様子で付け足す。
「あー……だから、その……自分で解決出来ない様な困ったことがあれば、周りも頼りなさい。私で良ければいつでも少年の力になるぞ」
志摩さんは力こぶを作って笑って見せた。




