第1章 不老不死のカルボナーラ
第1章
不老不死のカルボナーラ
▪️▪️▪️▪️
「…………は……らが……へった…………
な……なにか……たべものを…………」
ドンドンドンドン…………
やっと、見つけた小屋の扉を必死で叩く。
しかし、返事は無い…………
ドアノブに手を掛けてみると扉はすんなり開いた。
倒れかけながら小屋に入る。
見た目通り、小さな小屋だ。
左奥にベッドと棚、正面に奥の部屋へと続くであろう扉、右奥に小さなキッチンと食器棚。
埃っぽさが無い事から、永らく放置されていた訳では無いだろう。
だが、中を見回した僕の目は、部屋の中央、二人掛けのテーブルに固定されてしまった。
いや、正確にはテーブルの上にある料理に…………
常であれば、こんな事は絶対にしない。
勝手に他人の家に上がりこんで、何の断りも無く、用意されている食事に手をつけるなんて。
しかし、3日以上、水だけで過ごした空腹は、その暴挙を起こしてしまった…………
後々、冷静になれば、その異常な状況に気付けなかった事を恥じるばかりだ。
当然だ。この小屋に来るまで、周囲の広い草原には誰も居なかった。
あれ程、扉を必死に叩いたのに誰も出て来なかった。
と、なれば周囲は無人だ。
其れなのに、クリームソースの濃厚な香りとベーコンの芳醇な香りをアツアツを示す湯気と共に立ち上げる、出来立てのカルボナーラが在ったのだから…………
だが、僕は空腹で何も見えていなかった。
カルボナーラの左右に置かれたフォークとスプーンを直ぐ様手に取り、一心不乱にパスタを啜った…………
フォークの横に置かれた、手紙にも気付かないまま…………
▪️▪️▪️▪️
僕、ノッドこと、ノッディード•アフィスターウィンは、侯爵家の次男として生を受けた。
僕は10歳のある日から、毎日遊んで暮らしていた。
剣の訓練も勉強もせず、貴族院の学校すら行かなくなった。
其のある日とは、兄上の成人の祝いの翌日だ。
僕は父上と兄上の三人だけで話しがしたいと、二人に僕の部屋に来て貰った。
其処で、二つの約束を守る代わりに、来るべき日迄は、自由に遊んで暮らす権利を貰ったのだ。
貴族家の次男の1番の仕事は、嫡男にもしもの事が有った場合の予備として生きている事だ。
其れ以外は、当主からも嫡男からも求められていない。
しかし、其れでは次男に生まれた者、本人は余りにも惨めだ。
だから、次男や三男に生まれた人間は二つの選択肢の何方かを選ぶ。
一つは、自身で功績を立てて、自立する。
所謂、立身出世を目指す生き方だ。
殆どの貴族の次男や三男はこの方法を選び、其れを目指して努力する。
もう一つは、嫡男を排斥して、自身が家督を継ぐ事だ。
よっぽど、自分に自信が有る場合だ。
極偶に、嫡男が周囲から見てよっぽど無能な場合にもこの様な形になる事もある。
だが、一つ目の選択が出来るのは、爵位の低い貴族家の者だけだ。
何故なら、立身出世をする為に絶対に必要な“戦場が高位の爵位の子供には無い”からだ。
当然だ。誰だって、自分よりも爵位の高い家の子供の子守りなどしたく無い。
死なれても面倒だし、活躍されればもっと面倒だ。
戦いそのものに参加出来ないのだ、もちろん、騎士団のお荷物になる。
結果、家名を貶めない為に、当主に暗殺される訳だ。
万が一、奇跡的に活躍したり、大きな戦さがあって、活躍した場合には、嫡男にとって邪魔な存在になり、此方も暗殺されてしまう。
そして、僕には二つ目の選択も出来ないと分かっていた。
兄上は優秀だったし、僕よりも5歳も年上だ。
兄上を排して僕が当主になる可能性は無い。
生まれた時から、僕に残されたのは、兄上の事故死を祈る事くらいだった。
なので、僕は勝負に出た!!
自分の命をチップに、短いながらも楽しく過ごそうと!!
「どうした、ノッド?私達だけで話したいと云うのは」
「はい、父上、兄上。
僕は、二つの誓いを立てます。なので、僕に遊んで暮らす権利を下さい」
「二つの誓い?」
訝しむ父上と兄上に、僕は、自身の血判を押した羊皮紙を渡す。
「父上、兄上。僕は其処に書いてある通り、二つの誓いを立てます。
一つは、僕は父上と兄上の許可無く子種を残しません」
そう言って、ポケットから小さな鍵を取り出して父上に渡す。
訝しむ、父上の前でそのままズボンを下ろした。
其処には、鍵付きの革製の貞操帯。
父上も兄上も驚いた顔をしたが、手に有る鍵を見て、意味を理解した様に頷き、続きを促す。
「もう一つは、兄上に二人目の男児が産まれた時点で、この首を差し出します。
以上の二つの誓いを以て、兄上に二人目の男児が産まれる迄、僕に遊んで暮らす権利を頂きたいのです」
此れは双方にちゃんとメリットが有る。
僕は、どうせ殺されてしまう人生を訓練や勉強に費やす事なく短いながらも楽しく過ごせる。
父上や兄上にとっても、後々暗殺の手間が省け、僕を学校に行かせるお金も浮くし、更に後々に、僕の息子を名乗る自称後継者候補が現れない。
もちろん、双方にデメリットも有る。
僕にとっては、もしも、兄上が即結婚して偶然双子の男の子でも産まれた日には、たった1年の命だ。
父上や兄上にとっては、何時迄も二人目の男児が生まれなかったら、何時迄も僕を養わなければいけないし、放蕩息子の躾が出来ていないと陰口を言われるだろう。
だが、僕はこの賭けに勝った!!
「よかろう。この契約を認めよう」
「しかし、父上!!此れでは、私は弟殺しをしなければならなくなります!!」
「安心して下さい、兄上。
兄上に二人目の男児が産まれ次第、僕は何れかの魔境深部探索の任務に着きます。
御手を煩わせたりはしません」
「……ノッド、おまえは本当に其れで良いのか?
おまえは天才だ。家を継がずとも他にも幾らでも選択肢が…………」
「兄上、ありがとうございます。
ですが、僕は自分がアフィスターウィン侯爵家の次男に生まれた意味をキチンと理解しているつもりです」
「……ノッド、見事な覚悟だ。先程言った通り、この契約を認めよう。
短い人生となるやもしれんが、存分に謳歌する事を許そう」
「はい!!ありがとうございます!!」
こうして、僕は自分から見ても、完全な自堕落な生活を始めた。
目が覚める迄好きなだけ眠り、学校にも行かず、食事もお茶も好きな時に行い、屋敷のメイドにもセクハラをしまくって生きた。
そして、運も良かった。
兄上は一人目こそ直ぐに男児が産まれたが、女児が2人続き、二人目の男児が産まれたのは、僕が20歳になった翌年だった。
僕がセクハラを繰り返した為、貞操帯の件はメイド達にも伝えられたが、男児が2人産まれた時点で僕が死ぬ事は、家人達には伝えられなかったので、兄上の二人目の息子が産まれた事はとても喜ばれた。
兄上だけは僕にこっそりと「すまない……」と言ったが、僕としては、あれから10年も遊んで暮らしたのだ。
むしろ、僕の為に側妻を取らなかった兄上に感謝している。
翌日、僕は父上に魔境深部探索の準備をお願いした。
父上は一言、「分かった……」と応え、其れ以上は何も言わなかった。
此れが、父上との最後の会話となった…………
4日後、僕は王都の東門に来ていた。
其処には2人の兵士と4人の冒険者が待っていた。
僕も準備されていた剣を腰に下げて、軽鎧にバックを背負っている。
産まれた時から屋敷に勤めて居た執事が、去り際に小さな小瓶を渡して来る。
「ノッド様、此れは魔獣が好むエキスで御座います。
此れだけの量が有れば、かなり大型の魔獣も寄って来るでしょう。
最後の御勤めを苦しむ事なく、完遂成される事をお祈り致しております」
きっと、父上が執事にも話したのだろう。
深々と頭を下げて、屋敷へと帰って行った。
僕達のやり取りを待って居た兵士の1人が、近付いて来て、
「其れでは、ノッディード•アフィスターウィン殿、参りましょう」
と、声を掛けて来る。
「はい、宜しくお願いします」
応えた僕は、兵士達と一緒に粗末な馬車へと乗り込んだ…………
▪️▪️▪️▪️
僕達の目的地は、魔境レードウィーン大森林。
多くの魔獣が棲息する巨大な森林だ。
大森林の広さは不明で、遥か彼方に薄らと山が見えている事から、其処迄は続いているのだろうと言われている。
しかし、この大森林よりも北には誰も到達出来ていない為、不明なままなのだ。
東西には国境を遥かに超えて海まで続いているらしい。
そして、その東西の海もまた魔境で、誰も北へは到達出来ていないそうだ。
僕達に与えられた任務は、『可能な限り大森林の北を目指す』と、云うモノだ。
破格の報酬だが、任務自体は生きて帰れる様なモノでは無い。
僕は良いとして、僕以外の面々は、命に代えてでもお金が必要な人達だろう。
10日に及ぶ馬車の旅でも、全員が必要な会話以外は全くしなかった。
とうとう、魔境レードウィーン大森林が目の前にやって来た日。
昼過ぎに森の外縁迄やって来たのだが、僕は今日は此処でキャンプをして明日の朝から森に入る様に提案した。
今迄、何の指示も要求もせず言われるがままだった僕からの要求に驚きながらも、ずっと指示を出していた兵士の1人が従ってくれ早い時間からキャンプの準備をしてくれた。
テントの準備がされて、火をおこし終わってから、全員を集めて僕は聞いた、「何故、こんな任務に着いたのか?」と…………
最初に口を開いたのは、指示を出していた兵士だった。
「……私には病気の娘が居ます。
この任務の特別報酬として、アフィスターウィン侯爵閣下より、ポーションを賜れる事になっています。
私の生死を問わず…………」
そう言って、黙ってしまった兵士に続いて、もう1人の兵士も答えた。
「……自分も同じです。妻の病を治す為です」
兵士達が答えたのを見て、冒険者達は顔を見合わせると頷き合ってリーダーっぽい細身だがガッチリした男が答える。
「オレ達は全員同じ村の出身で、村で飢饉があったから、どうしても金が必要なんです」
「……なるほど……。で、本当は?」
「本当はと、言いますと?」
「……僕も会ったその日に今の話しを聞いてたら信じたと思うけど、もう、10日も一緒に居るんだよ?
僕は逃げないし、ちゃんと分かってるから、この2人を巻き込まないであげて欲しいんだけど」
「……………………」
「貴方達としては、大森林に入って直ぐに僕を殺して、目撃者も殺した方が手っ取り早いだろうけど、万が一、僕が逃げた場合の保険なら、ちゃんと僕は大森林の奥地迄行くから、貴方達の手に負えない魔獣が現れる迄一緒に進んで、其処で僕を置いて6人で逃げてくれないかな?」
「…………はぁ〜……。参りました、オレ達の負けです。
一体、どうして気付いたんですか?」
そう言って冒険者リーダーが両手を挙げる。
残りの3人も諦めたのか、冒険者っぽい雰囲気から騎士っぽい雰囲気に切り替えた。
この4人の冒険者は、騎士団の暗部のメンバーだろうと気付いていた。
兵士2人も驚いた顔をしていたが、僕の言いたい事に気付いたんだろう、黙って成り行きを見守っている。
「伊達に遊び歩いて無いですよ。
冒険者を演じるんなら、せめて、交代で酒くらい呑むべきでしたね。
其れと、此れは父上のミスですけど、屋敷に来た事のある女性は人選から外すべきでしたね。
雰囲気は全然違いますけど、僕は女性の顔を忘れたりしないですよ。
伊達に遊び歩いて無いんで」
僕の言葉に紅一点の女性冒険者が驚愕の表情をする。
よっぽど変装に自信があったんだろう。
「…………残念です。ノッディード様程の方を失わなければならないとは…………
閣下も非常に悔やんでおられました。
『戦乱の世に生まれてくれれば、新たな分家を作る事も出来ただろう』と…………」
「はっはっは…………。其れは、王国を築かれた初代国王陛下に不敬だよ。
で、僕の提案は呑んでくれるのかな?」
「分かりました。ノッディード様のご要望通りに致します。
御父上にも、ノッディード様は最期迄、勇敢であったとお伝え致します」
「ありがとう。
後、可能なら最深部記録も更新して、アフィスターウィン家の功績も挙げれると有難いね。最後の親孝行で」
「其方のご要望も可能な限り、善処致しましょう」
その夜、僕達はこの旅で初めて酒を呑み交わした。
魔境レードウィーン大森林の最深部記録更新と云う目標に向けての決起会を兼ねて…………
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大森林に入って1週間、とうとう地図の最深部迄やって来た。
本来なら、非常に喜ばしい事だ。目標を達成出来たと云えるからだ。
しかし…………
「…………完全に異常事態ですね……」
冒険者リーダー、ダウスさんが言った。
大森林に入るに際して、ほぼ正体がバレているので、兵士2人では無く、ダウスさんが指揮を取る事になった。
ただ、もちろん、ダウスさんを含めて、冒険者4人は偽名だ。
ダウスさんの言葉に、他の5人も難しい表情をする。
本来なら、こんな深部迄たった1週間で来れる筈は無かったからだ。
その理由は……
「そうですね、ダウスさん…………
まさか、こんな深部に来るまで、全く魔獣が現れないなんて…………」
そう、ここ迄魔獣が一度も現れなかったのだ。
全く戦闘が無かったからこんな深部迄たった1週間で来る事が出来たのだ。
レードウィーン大森林は魔境と云われる程の魔獣の巣窟の筈なのに…………
「……考えられる可能性は2つかな?
1つは、僕達が途轍も無く運が良い」
そう言って僕が指を1本立てると、みんなこっちを向いて苦笑いだ。
もちろん、僕もそんな事は無いとは分かっている。
本命の2つ目を云う為の前座だ。
「そして、2つ目は、途轍も無く強い魔獣が現れて、他の魔獣が逃げ出した」
そう言って2本目の指を立てると、今度はみんなが難しい顔をする。
みんな分かっている。この2つ目の可能性が非常に高くて、更にこんな広範囲から魔獣が逃げ出したなら、其れは途轍も無く危険な魔獣だと。
「と、云う訳で提案なんだけど、今日の時点で最深部の更新は出来たよね?
だから、明日からは僕が先頭を歩こうと思う、コレを振り掛けて」
そう言って、ポケットから小瓶を取り出す。
王都を出発する時に執事に渡されたモノだ。
「此れは魔獣寄せのエキスらしい。
だから、みんなは僕から距離を取って、何時でも逃げられる様にして着いて来て欲しい」
「……ノッディード様、其れは…………」
「確かに貴方達の今回の任務は特殊かもしれない。
でも、王国騎士として、強大な魔獣が居た場合、何としても国王陛下に状況を報告しなければいけない。
ああ、もちろんアフィスターウィン侯爵家の功績として報告してね。
僕が命掛けで囮になったとか、そんな感じで」
そう言って、僕がウィンクをすると、悲壮な雰囲気が若干和らぐ、全員苦笑いではあったけれど。
その夜、僕は残り1本半程だった最後のワインを全て呑み干した。
明日、死ぬと分かるとやっぱり怖かったのだ…………
眠れなかった。だから、酒の力を借りようとした。
…………其れでも、眠れなかった…………
翌朝、作戦通り魔獣寄せエキスを振り掛けて、大森林を一人で進む。
6人は、僕がギリギリ見えるくらい距離を取っている筈なので、素人の僕には木々に紛れて全然見えない。
色々な事を思い出しながら歩いた。
幼い頃、父上に母上、兄上が誕生日を祝ってくれた事。
貴族院の学校に入学した日の事。
貴族家の次男がどう云うモノか知ってしまった日の事。
どうすれば良いか悩み、過去の出来事を調べた日々の事。
兄上の成人の日の事。
父上と兄上に誓いを立てたあの日の事。
メイドのメアリーの胸を触って泣かれた日の事。
メイドのシンシアのお尻を触って怒られた日の事。
メイドのジュリアの胸を触って冷たい視線を向けられた日の事。
メイドのアネッサのお尻を触って僕の方が押し倒された日の事。
……………………
兄上が結婚した日の事。
兄上に長男が産まれた日の事。
兄上の長女が産まれた日の事。
兄上の次女が産まれた日の事。
兄上の次男が産まれた日の事…………
旅立った日の事…………
バキバキバキバキバキバキバキバキ…………!!!!
大量の木々がへし折れる轟音が突如鳴り響く!!
思い出に浸っていた意識を目の前に向け、降って来た白い壁を徐に見上げた。
真新しい雪の様な透き通る程の白。
その白は、美しい花弁の連なりの様に規則正しく並び、僕の前に城壁の様に聳え立っている。
ドラゴンだ。
神話から現れた様な巨大な純白のドラゴンが其処に居た。
見上げた先にある黄金色の双眸は、矮小な人間の全てを見透かす様な深淵の知性を称え、僕を見ている。
僕もその美しい瞳を見つめ返し、絶対な存在に対する恐怖と共に、大きな安心もしていた。
『ああ、此れなら一思いに殺して貰えるだろう』
と……………………
今回の作戦で、最も恐れていたのは、ゴブリンやコボルトなんかの小さな魔獣に寄ってたかって、生きたまま齧られ続けて殺される事だった。
死ぬ事は覚悟していたけど、長時間、恐怖と苦痛を味わいながら死にたく無い。
だから、出来るだけ大森林の深部に入って、僕が痛みすら感じないくらい一瞬で殺してくれる魔獣に出会いたかったのだ。
普通は短い人間の人生の中でドラゴンに出会う事など先ず有り得ない。
『伝説の勇者』や『伝説の英雄』、『伝説の賢者』などの物語に出てくるくらいだ。
人生の最後にドラゴンに出会えたのは幸運だ。
純白のドラゴンの顔がゆっくりと僕に近付いて来る。
此れから、あの大きな顎で噛み砕かれるのだろう。
もちろん、怖い。
でも、覚悟をしていた筈だ。
この10年、ずっと覚悟をしていた筈だ。
なら、最後は笑って死のう。
僕は出来るだけ柔らかく笑顔を作る。
僕はちゃんと笑えているだろうか。
不意にやって来た、締め付けられる様な感触に身体がビクッとする。
いつの間にか、ドラゴンの大きな前足に掴まれていた。
持ち上げられた僕の目には、もうドラゴンの瞳以外は何も見えない。
最後の最後迄、笑顔でいよう!!
もう一度、強くそう思って必死に笑顔を作った。
ブワッッッッサ!!
羽ばたく様な大きな音が聞こえた!!
急激に身体に押し潰す様な力がのし掛かって来る!!
全身が押し潰されて行く感覚がだんだんと強くなり…………
僕は意識を失った…………
▪️▪️▪️▪️
目が覚めると、其処は未だ森の中だった。
「グッ……痛い………」
全身が強く打ち付けられた様に痛む。
痛みはあるけど、起き上がってみた感じ骨折はしていないようだ。
打ち身の様な痛みと、あちこちに擦り傷はあるが大怪我はしていない。
もしかしたら、何日も気を失っていたのか凄くお腹が空いていて喉が渇いている。
背負っていた荷物は無くなっていたが、幸い、身に着けていた水筒が有ったので、近くの木に寄りかかって腰を下ろしてから水を飲みつつ頭上を見上げる。
「…………此処は何処だろう…………
あの純白のドラゴンに出会った場所とは全然違う…………」
レードウィーン大森林に入ってからずっと生い茂る樹々と樹の根が絡み合った森を進んでいた。
しかし、この辺りの木々は、今までと全く違い、どれも非常に太く大きく背が高い。
そして、ある程度の間隔を空けて木々が伸びていた。
一本一本の大きさは別として、森と云うよりも林と言った方が良い様な雰囲気だ。
大きな木々のせいで直接太陽は見えないが、今は正午くらいの様だ。
僕は其処で、もう一度目を閉じた…………
このまま、目覚めません様にと…………
眠っている間に魔獣が一思いに食べてくれます様にと願いながら…………
目が覚めた。
残念ながら、未だ生きている。
冷静に考えてみれば当然かもしれない。
魔境レードウィーン大森林に入ってからも全く魔獣に出会わなかったのだ。
恐らく、あの純白のドラゴンを恐れて魔獣達が棲家を移ったのだろう。
此処で待っていても仕方がない。
僕は更に北へと向かって進む事にした。
空腹を水で誤魔化しながら、一日中歩き続けた。
太陽が夕陽のオレンジに染まり始めた頃、僕は何と森を抜けてしまった…………
其処は、何処までも何処までも続く、夕陽に照らされ金色に輝く草原だった…………
遥か彼方には、雲も突き抜ける程の高い山脈が見える…………
僕は、人類未到の魔境と云われるレードウィーン大森林を抜け切ってしまったのだと、その時は思った…………
森を抜けた翌日、とうとう水筒の水が切れてしまった。
飢えと渇きがどんどんと限界を迎えようとする。
意識を奪われる様に草原へと倒れ込み眠った。
そして、翌朝気付いた。
此処は魔境レードウィーン大森林の深部などではないと。
何故なら、北だけでなく、南にも東にも西にも、遥か彼方に天を突く様な大山脈が見えるのだ。
昨日は森の陰で見えていなかったが、朝日の方角を確認して、そちらにも、其れどころか周囲が全て山脈だと気付いてしまった。
普段の僕なら、この状況を確認する事を第一に考えただろう。
でも、僕は飢えと渇きで既に限界だった。
状況に驚いて不審に思っただけで、結局は深く考えず、ただただ北を目指して歩き出した…………
そして、見つけてしまったのだ…………
草原の彼方に、ポツンと佇む小さな小屋を…………
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僕は一心不乱にカルボナーラを啜った!!
今まで食べたどんな豪華な食事より圧倒的に美味しかった!!
美味しかった。
死ぬ覚悟は出来ていた筈だった。
でも、美味しかった。
食べる事が出来るのが嬉しくて仕方が無かった。
いつの間にか僕は泣いていた。
死にたく無いと思ってしまった。
飢えと渇きが辛く苦しく、其れが癒やされた事で死にたく無いと思ってしまった…………
生まれて初めて、皿もスプーンもフォークも舐め取ってしまった僕は、直ぐ横にある手紙に気が付いた。
表には、『この小屋に訪れた者へ』と書かれ、裏には『賢者 ウィーセマー』と書いてある。
封蝋の紋はドラゴンを象った見た事の無い家のモノだった。
恐る恐る中の手紙を読んだ…………
ーーーこの小屋に訪れた者へーーー
私は賢者 ウィーセマー。
魔導帝国ルベスタリアに生を受けた三賢者の一人だ。
この土地は元々その魔導帝国ルベスタリアの帝都が墜落して出来た地だ。
私はその帝都の墜落の唯一の生き残りだ。
私が不老不死の法を生み出してしまった為に、大厄災戦争となってしまい、私が不老不死の法を独占してしまった為に、私一人が生き残ってしまった。
私はせめてもの罪滅ぼしとして、この荒れ果てた土地を緑と命の溢れる土地へと蘇らせたが、もう疲れた。
3,000年を超える孤独に私はもう耐えられなくなってしまった。
この小屋を訪れた者よ、私はこの、私の最も得意料理だったカルボナーラに不老不死の法を移し、眠りにつこうと思う。
このカルボナーラを食せば、私の不老不死の法を受け継ぐ事となるだろう。
しかし、決して安易な気持ちでこのカルボナーラを食してはいけない。
私の自慢のカルボナーラだ。
思わず食べてしまいそうな程、美味そうだろう。
しかし、決して安易な気持ちでこのカルボナーラを食してはいけない。
私を超える程の魔導の知識と技術無くしては、不老不死の法を他に移す事が出来ないからだ。
私自身、1,000年以上研究し、酔っ払った勢いで適当に調合して偶然、不老不死の法を移すポーションを作り出す事が出来たのだ。
安易な気持ちでこのカルボナーラを食べてしまい不老不死となってしまったら、死ぬ事の出来ない呪いとなってしまうかもしれない。
故に、決して安易な気持ちでこのカルボナーラを食してはいけない。
この小屋を訪れた者よ、其方が魔導の深淵を覗き、不老不死の法を移す手段を手に入れた暁には、このカルボナーラを食し、不老不死の永き永き生を満喫してくれる事を願う。
ーーー 賢者 ウィーセマー ーーー
「………………………は?」
僕は、もう一度、じっくりと手紙を読んだ。
そして、もう一度、じっくりじっくりと手紙を読んだ。
念のため、もう一度、じっくりじっくりじっくり手紙を読んだ。
そして…………
「……食べちゃダメなら、なんで美味そうに作るんだよぉぉぉぉぉぉぉ………!!!!」
叫ばずにはいられなかった…………