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せみのおんがえし  作者: 忠野つまみ
8/8

5日目

短めです。

「しゅん君は将来なりたいものはあるんですか?」


 僕たちは海へ向かう市民バスに乗っている。修学旅行でクラスの中心人物たちが座るような席に僕たちは座っている。まあ、他に乗客がいないので修学旅行感は全くないのだが。

 ちなみに僕は遠足の時は毎回先生の後ろだった。カラオケといえば大体後ろや中間層が歌ってくれるものだが、誰もいないときは前の住人が無理やり先生に押し付けられる。


 カラオケなんて行ったことがなかった僕は知ってるよねと言って渡されたうろ覚えの歌を棒読みで歌った。あの時の空気の恐ろしさと言ったらない。渡した先生が「二番は僕が歌おうかな」とか言ってマイクを取り上げるほどだった。


「考え事ですか?」

「ああ、ごめん。なんか遠足のこと思い出してた」

「と言うとしゅん君のなりたいものはバスガイドですか?」

「……漫画家になりたかったんだ」


 僕は漫画家になりたかった。

 現実では話しかけてすら来ないような美少女たちが漫画では僕に声をかけてくれて、それだけじゃなく恋仲になったりもして。夢を与えてくれるものを現実に押しつぶされそうになっていた僕が好きにならないわけがなかった。


 僕はとにかく必死で努力した。漫画一冊を丸々模写した。オリジナルも何話も書いた。しかし、それらが世に出ることはなかった。僕は夢を眺めるのが好きなだけで、人に夢を見せるなんて考えたこともなかった。

 漫画家がどういうものかを考えたことがなかったのだ。


 それに誰かに批判されるのも怖かった。考えた末にやった遠足での歌が無言の批判を受けたように、どれだけ頑張っても必ず批判される。そんな世界に足を踏み入れるの度胸が僕にはなかった。


 そうして僕は漫画を描くのをやめた。


「机の下に置いてありましたね。面白かったですよ」

「え? あれ読んだの?」

「しゅん君のことなら何でも知りたいですから。努力の塊を見逃すわけがありませんよ」

「……そっか」


 僕は恥ずかしくて顔をそらした。人に見せるのも素直に褒められるのも初めてだった。


「でも何で急に将来?」

「ただ気になっただけですよ」

「そっか。ニーナはなりたいものとかないの?」

「私はしゅん君が見れれば何でもいいですよ」

「あざとすぎると駄目だね」

「それはしゅん君にも言えることです」


 この後は他愛もない話をしながら海へ向かった。




***




「なんですか? これ」

「ラムネ。とりあえず飲んでみ?」

「わかりました。……っ! なっ、なんですか!? これ!」

「ラムネだって」

「のどが、焼けるように痛いです!」

「だって実際に焼いてるもん」

「なんてもの飲ませるんですか!」

「冗談だよ、冗談」

「もう嫌いです」

「ごめんって」


 海岸の端にある岩場で二人で海を眺めている。本当は入って遊びたかったのだが、僕が人生最大の失態を犯してしまった。水着を家に忘れてしまったのだ。あの時の絶望感と言ったらなかった。


 だから残念なことに水着回は今回ではない。昨日の僕を恨んでも恨み切れない。それに現金がないから買うこともできないのだ。


「入れないのは残念ですけど仕方ないですよね」


 ニーナの残念顔が僕の心を抉った。そして居たたまれない気持ちになった僕は逃げるようにして飲み物を買いに行ったのだ。そして今に至る。


「それにしても海って近くで見るとすごいですね。終わりが見えないです」

「どの海も繋がってるからね。確かに終わりはないよ」


 ――やばい。絶望的に会話がつまらない。海って入る以外に何すればいいんだ。

 追いかけっこか? 1分も持たないな。ならなんだろう。水の掛け合いか? あれをおもしろいとは思えない。

 なら城を作るか? これだ! これなら時間もかかるし、会話も弾む。


「あのさ、これから――」

「急なんですけど、先に帰ってもらってもいいですか?」

「え?」


 ――え? 先に、帰る?


「ちょっ、ちょっと待って!? 急に何で?」

「やらないといけないことがあるんです」


 ――やらないといけないこと? 突然? そんな事普通はないだろう。携帯電話を持っているわけじゃないから急な用事というわけではない。だとすれば答えはただ一つ。きっとこの時間がつまらないからだ。


「今から水着買ってくるからさ。だからちょっと待っててよ」

「しゅん君今お金持ってないでしょ?」

「それは、その、なんとかして」

「そんなことしなくていいです! とにかく、私はやることがあるので、帰ってくださいね」


 そう言ってニーナは岩場を飛び降りる。帽子を押さえて飛ぶ姿はCDジャケットのようだ。これを売り出したらきっとミリオンは余裕だろう。そうだ、今度カラオケにも行きたいな。


「待って!」


 慌てて僕も岩場を降りる。

 こんな別れ方は嫌だ。どうしてこんな急に起こってしまうんだ。


「ぐぇ」


 うまく着地できずに前のめりになって顔から崩れ落ちた。口の中に砂が広がる。岩の影のおかげでそこまで暑くはない。


 ――そんなことよりニーナは!?


 急いで顔をあげる。しかし、そこにはもうニーナの姿はなかった。


 涙があふれてくる。昨日はあんなに幸せだったのに。人生の絶頂だった。もう終わってもいいとさえ思えた。きっとここにニーナがいたら「大丈夫ですよ」と慰めてくれるだろう。

 しかし、ここにニーナはいない。


 でも、ここで待っていればもしかしたら帰ってくるかもしれない。


 僕は岩場に登って待つことにした。ニーナは「先に帰って」と言っていたが、こればっかりは従うことができなかった。もう二度と会えなくなってしまう気がしたから。




***




 あれから5時間がたった。ニーナは帰ってこなかった。もう夕日が海に飲まれようとしている。今日の天気も快晴で夕日が映える。ニーナに似合ういい夕焼けだ。


 でも、ニーナはここにいない。


 僕はカバンから飲み物を取り出す。するとカバンの隅に紙切れが入っているのを見つけた。昨日は入っていなかったはずだ。




                楽しんでね



 紙切れにはただ一言書かれているだけだった。涙が目からこぼれ落ちる。ニーナからの手紙が濡れてはいけないから僕は顔を上に向けた。


 ――楽しんでねってなんだよ。ニーナがいなかったら僕にそんなことできないよ。


 これ以上待ってもきっとニーナは戻ってこないので、帰ることにした。

 駅のホームで待ってるかとも期待したが、そんなことはなかった。


 バスの窓に寄りかかっているときも、電車に揺られているときも、家まで歩いているときも、僕は一人だった。





 次の日も一日中ニーナを探し回ったが、会うことはできなかった。


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