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せみのおんがえし  作者: 忠野つまみ
7/8

4日目(下)

お待たせしました。体調がよくなったので、連載を再開します。

 今まで生きてきた中で最大級のピンチだった。高校受験の日に筆記用具を忘れたときもここまで焦らなかった。下半身まで汗でびっちょりだ。


 音が聞こえてこないが、大丈夫だろうか。事故を起こしてないか確認をしたいが、そんなことはできない。もしも見たときにちょうど良いタイミングだったら目も当てられない。多分目に当てられる気がする。


 ――僕が見つけたものは簡易トイレだった。

 昔からおなかが弱かった僕のために母さんが入れてくれていたらしい。外泊すると言ったら珍しく行き先を聞かれた。素直に答えておいてよかった。


 音がしないのは値段の高い簡易トイレだからだろうか。それとも、簡易トイレはどれも高い遮音性を持っているのだろうか。あとで使ってみよう。


「もう、大丈夫です」


 木から澄ました顔だけを出したニーナに声をかけられた。澄ましたというより済ませたと言ったほうがいいだろうか。なんだか目つきが鋭くなった気がする。これ以上はやめておこう。


「一時はどうなることかと思ったけど、なんとかなってよかったよ」

「風香さんに感謝ですね」


 僕が用意したとは微塵も考えていないようだ。間違っていないから別にいいのだが。


「ところで、その、聞こえました?」

「ん? いや、何も聞こえなかったよ」

「……しゅん君はもうちょっと紳士なふるまいを意識したほうがいいですよ」

「小鳥のようなかわいらしい歌声だったよ、みたいな?」

「……後でお説教ですね」


 ニーナはため息をついて、首を横に振りながら額に手をやった。

 風と木々が奏でる音色の方が正解だったのか。


 ――紳士とやらは難しいな。




***




「「ごちそうさまでした」」


 僕らは湖に着いてからすぐにBBQの準備をした。以前やった時は自分で焼くことができなかったので、実質今回が初めてのBBQだった。


 買い物担当は僕だったので、無論、野菜はほとんど買わなかった。それを知った時のニーナの呆れ顔は、額縁に飾ってしまいたいと思うほどに美しい表情だった。


 本当は串にさして食べたかったが、手間がかかるのでそのまま置いて普通に食べた。

 最初はおいしかったが、徐々に飽きてきたことが顔に出ていたのか、「責任をもって全部食べてくださいね?」と圧をかけられた。

 既婚の男性が妻には逆らえない、という話をよく聞くが、その理由がよく分かった。


 それにしても、湖に映る夕焼けは最高だった。観覧車に乗っているときもそうだったが、ニーナには夕日が良く似合う。いつもは冷静で身長のわりに大人っぽい印象を受けるが、夕日に照らされるニーナは情熱的で、少し子どもっぽい雰囲気を持っている。

 その変化がまるでニーナの内面を表現しているようで、そのために夕焼けが存在しているのではないかとさえ思えてしまう。


 これをそのまま本人に伝えたら「湖全く関係ないじゃないですか」と少し照れながら苦笑していた。


 非常事態もあったが、なんとか湖まで辿り着いて夜を迎えることができた。


「……あれがベガであれがアルタイル。この三つをつなぐと夏の大三角形っていうでっかい三角形になるんだ」

「言われてみればそう見えますね。でもそれがわかると何かあるんですか?」

「何か? そりゃあれだよ。……わかんない」

「なんでちょっと見栄張っちゃったんですか」

「……すみませんでした」


 テントの横にレジャーシートを敷いて、そこに横たわりながら星を眺める。森と湖のおかげで少し涼しい。これで蛍がいれば完璧だったのだが、そこまでうまくはいかなかった。


「なんだか眠くなってきましたね」


 今の時刻は21時。眠くなるにはまだ少し早い時間だ。

 連日の外出に続いて、今日は山登りだ。決して話がつまらないからではなく、疲労からくる眠気であってほしい。


「じゃあ、今日はもう寝ようか。明日も山登りしてからの海だからね。疲れは取っておかないと」

「ですね。じゃあ、テントに行きましょうか」


 ニーナが寝ている僕に手を差し出す。ニーナの言葉から一緒に寝ることを想像して変な気分になる。若い男女が周りに誰もいないテントで二人きり、何も起きないはずがなく……というやつだ。


 僕は覚悟を決めてニーナの手を取った。ニーナは嬉しそうに僕の手を引いてテントへ向かう。星が照らす地面を一歩進むたびに星の温かさと幸せを感じる。テントまではたったの数歩だったが、今までで最も長い道のりだった。


 テントに入ると僕たちはすぐに寝袋の準備を始めた。僕のは赤でニーナのは白。やはり、ニーナには白が良く似合う。

 準備するニーナの後ろ姿を見ていると心臓の鼓動が早くなってきた。このままじゃこれを狙って来た変態になってしまうじゃないか。僕はこの興奮を気取られないようにそそくさと寝袋に入って目を瞑った。


 それは失敗だった。ニーナに背を向けて寝てしまったため、後ろでどんなことが起きているかわからないからだ。これでは興奮は収まらない。でも、変な目で見ていると思われたくない。


 どうするのが正解なんだ。


「おやすみなさい」

「えっ、ああ、おやすみ」


 全ては杞憂に終わった。振り返るとこっちに背を向けて寝ていた。振り返ったら目が合うなんてことを期待したのだが、そんな甘いことはなかった。


 ……寝よう。


 ニーナと一緒に寝れる喜びを虚しさに塗り替えられた僕は俯せで顔を隠すように寝た。




***




「……くん? 起きてますか?」

「…………んん。起きて、ないよ」

「じゃあ、起きてください。その、着てみたのですが、どうですか?」


 ここはどこで誰がどうですかって? というか今は何時だろう。とりあえず声のする方に目を遣る。あまり眩しくないからまだ朝ではないのだろう。その仄かな光にニーナが照らされているようで、影ができている。


 ――あれはネグリジェっていうんだっけ?

 黒色のワンピースっぽい服装がぼんやりと見える。ああ、とにかく何か言わなきゃ。


「……似合ってるよ」

「まだ寝てますね。起きてくださいっ」

「いてっ」


 額への強めの刺激で意識がしっかりして来た。


 ――黒の、ネグリジェ? それってまさか!


「どうして、それを?」

「昨日の勝負です。負けたらこれを着るってルールだったじゃないですか」

「そうだったけど、どこでそれを?」

「しゅん君がトイレに行くと嘘をついてランジェリーショップに入っていくところ、見てましたから」


 かっこつけ勝負をする前にそんなダサいところを見られていたのか。よく勝てたな、僕。


「なので、着てみました。どう、ですか?」

「似合ってるよ」

「さっきと同じじゃないですか」

「見惚れて言葉が思いつかないんだよ」

「……あんまりじろじろ見ないでください」


 月に照らされるニーナはそれはもう美しかった。身長からくる幼さとネグリジェからくる妖艶さがうまい具合に合わさって、男心を刺激してくる。体の前で二の腕を掴んで恥じらいでいるような姿勢が刺激を上乗せしている。


「かわいすぎるから見ないなんてできないよ」

「かっこつけすぎです。それじゃまた減点ですよ」

「じゃあ、その、良かったら一緒に、寝ない?」

「えっ? あっ、はい。喜んで……?」


 勢いで誘ってしまったのだが、なんと、了承されてしまった。

 「失礼します」と僕の寝袋にニーナが入ってくる。大きめの寝袋だから小柄なニーナが入ってもまだ少し余裕がある。余裕があると言っても大量のスペースがあるわけではない。普通に体は密着してるし、吐息も感じる。


 少し熱を持ったニーナの肌はとても柔らかい。これが俗に言うマシュマロ肌か。ぷにぷにでさらさらでずっと触っていたい。

 ……いけない。これでは下心丸出しじゃないか。これでニーナに捨てられたら僕はもう立ち直れない。


「いい、ですよ?」

「え?」

「その、しゅん君がそういうこと考えてるのは知ってましたし、私も、その、考えないわけではないですから」




 ――この日僕は初めて”愛”に触れた。






***




 みーんみんみんみんみんみんみー


 朝チュンならぬ朝ミンである。とても温かい気分だ。いや、実際は暑いのだが。

 ともかく僕は昨日”愛”を知った。暖かくて、優しくて、柔らかくて、そして幸せだった。


 さすがに狭かったからあの後は別々の寝袋で寝た。まあ、くっついて寝ていたからあまり変わりはなかった。


 恩返しにしては貰いすぎているような気がする。そんなことを言ったら、「”愛”に貰いすぎなんてないんですよ」と笑われた。


 それはともかくとして、今日の予定は変更だな。さすがに疲れは取れなかった。本当ならこの後、山を下りて、電車で海に行く予定だった。

 もともとハードスケジュール過ぎたのだ。そんなに焦っていく必要はない。だっていつでも行けるから。


「おはよう、ニーナ」

「……」


 今が何時かはわからないが、僕が自然に目を覚ます時間といえばもう9時は過ぎているだろう。何をするにしても、まずは起きなくては。


「ニーナ?」

「……」

「ニーナ!」


 返事をしてくれない。そもそも早起きのニーナが僕よりも起きるのが遅いわけがない。心なしか息遣いも荒く感じる。


 ――なんで!? とにかくなんとかしないと!


 ここから山を下りるまでに大体一時間かかる。その間安静な状態を保ちながら運ぶことは難しい。それに葉で遮られるとは言っても日光の下を歩くのはあまりよくないだろう。だからと言ってこのまま黙って待っていても状況はよくならない。


 ――だめだ。もうヘリを呼ぶしかない。


「焦りすぎ、ですよ」

「ニーナ!」

「私なら、大丈夫ですから。テントを片付けて下山する準備をしましょう」

「でも体調が……」

「しゅん君も昨日怪我を我慢していたんですから、私にも我慢をさせてください」


 万全なようには見えないが、ニーナが言うならきっと大丈夫だろう。それにここで譲らなければ喧嘩になってしまいそうだ。ニーナは意外と頑固なところがあるからな。


 僕はニーナを信じて普通に下山することにした。


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