3日目(上)
19時にもう1話投稿します。
「今日はちゃんと起きれたんですね」
「まあね」
例のごとく窓から顔をのぞかせるニーナに、僕は自慢げに答える。
今はまだ8時だ。夏休み中にこんな早くに起きるなんて小学生以来だと思う。正直あと3時間は寝ていたい。
「じゃあ下で待ってますから、早く着替えてきてくださいね」
「ここで着替え見ててもいいんだよ?」
「……ばか」
その罵倒、くせになりそうとか言ったら絶対に怒られるだろう。ほおが緩んでいる僕を見てため息をついてからニーナはジャンプして下へ降りて行った。
――そっちからなのね。
***
「今日はどこ行くの?」
「お洋服を買いに。あとは水着とか、登山用の服とか……」
水着に登山着……だと……。
僕はこれから海にも山にも行けるのか。最高じゃないか!
「渋谷って言うとしゅん君嫌がると思ったのでとりあえずノマクロに行きましょう」
僕は都会が怖い。誰もが持ってる感情だろう。あの件以降、今まで以上に怖かった。
でも、ニーナと一緒ならきっと行ける。
「せっかくならかわいい水着選ぼうよ」
「下心が見え見えですよ? しゅん君はいつからそんなにスケベになっちゃったんですか」
僕の勇気は遠回しすぎて下心として処理されてしまった。だが、あきれるニーナを見ることができたので良しとしよう。
昨日と同じく電車で東京まで出る。昨日と違うのはニーナが車内でおとなしかったことだ。
今はちょこんと隣に座っている。昨日のことを根に持っているのか「絶対に寝ません!」と宣戦布告された。今日はいろんなニーナが見れて幸せだ。
***
「なんだか東京のほうが暑くないですか?」
「ビルが多いから熱が逃げないらしいよ」
「そうなんですか」
今日は雲一つない快晴だ。太陽がこれでもかと熱を浴びせてくる。
ふと今のやり取りが面白みのない会話な気がして不安になる。果たして楽しませてあげられてるだろうか。
「そんなに気を張らなくてもいいですよ? それにお互いに楽しむのがデートですから。どちらかが楽しませなきゃいけないとかないんですよ」
「なるほど」
「なるほどって、あははっ、まじめに聞きすぎですよ」
はじけた笑顔だ! まじめに対応すれば面白いのか。それなら僕にもできるだろう。
「じゃあ行こうか」
「まじめにすればいいってわけじゃないですよ?」
「……いや、別に……そんなことしてないし」
「そうですね。じゃあ行きましょうか」
今日はずっとニーナに上をいかれている。からかえたのは朝の一回だけだ。何とかして照れるニーナを見なければ。
ニーナに「くだらない」と叱られるようなことを考えながら手をつないで歩く。さすが夏休みの都会。どこも人でいっぱいだ。ここも子供連れの親子が多い。
ちなみに今日もニーナの服装は白のワンピースだ。何回見てもカワイイので問題はないが、ちょうど違う姿も見たいと思っていたところだ。
やはりニーナは察しがいい。僕の考えてることを見透かされてるようだ。
「ゔぁー-ん」
そろそろ着きそうなところで子どもの泣き声が聞こえた。昨日調子に乗って痛い目を見たので正直に言うと関わりたくない。しかし、ここでかっこつけられればチャラになるのでは?
「しゅん君、無理しないでくださいね?」
「わかってる、今度は誰も傷つかない。僕も、ニーナも」
まだ話を聞いてはいないが状況は大体わかった。
どうやら子どもが風船を離してしまい、木に引っかかってしまったようだ。百円ショップで売っているようなものではなく、絵が付いた割と高いやつだ。親らしき人は少し離れてスマホをいじっている。
気障な妄想を中学生の頃から常に続けてきた僕にとって、こんな問題の一つや二つ、朝飯前だ。僕はへたくそなウインクをしてから子どもに声をかけた。
「風船飛んで行っちゃったの?」
「ぼくのぅ、ぼくのがぁ……」
「お兄ちゃんがとってあげるからこれがピピってなるまで目をぎゅってしてくれるかな?」
そう言って僕はスマホを子どもに渡す。子どもの親はこちらを一瞥したが、すぐにスマホに目をやった。何か言われるだろうと気を張っていたのだが、杞憂だったようだ。
普通、杞憂に終わることはないのだろうが。
「おめめぎゅってしたらぼくのとれる?」
「そう。取れるよ。だからぎゅってして待っててね」
「うんっ」
タイマーは60秒。あらかじめ用意しておいた千円札をポケットから出して走り出す。この辺りは大学に行くときに通るからよく知っている。
少しは知って左に曲がり、大量の風船を抱えたお姉さんから風船を買う。
――しまった! どの柄か忘れた! そもそもこんなに種類があったのか。
感心している場合ではない。パンのようなキャラクターものではなかったことだけは確かだがそれ以外は思い出せない。こうなったら独断と偏見で選ぼう。すまない少年。
星などのシンプルなものよりももっと複雑なもののほうが好きそうだったような気がする。だとするとユニコーンやイルカ、カブトムシだろうか。
ならばカブトムシにしよう。もちろんなんとなくだ。
ここまでおよそ40秒。おつりは後でもらうと告げて少年のもとへ向かう。
意外と余裕があったようだ。帰りは走らずに済んだ。
ピピピピッ ピピピピッ
着くと同時ぐらいにアラームが鳴った。少年が目を開けるのに合わせて風船を差し出す。
「ほらー、取ってきたぞー」
「……ぼくのとちがう!」
――なんだって? 三択を外したのか。僕はつくづくついてないな。ええい、ままよ。どうにでもなれ。
「ぼくはみどりだもん!」
「すごいじゃん! じゃあこれは魔法の風船だ!」
「まほう?」
「そうだよ。色が変わる不思議な風船だ。世界に一つしかない魔法の風船。君にあげるよ」
「ほんと!?」
すまない少年。嘘だ。でも良い嘘が付けて良かった。このまま話を続けよう。
「いいよ。このカブトムシさんは元気あるからすぐに飛んで行っちゃうんだ。だから離しちゃだめだよ?」
「うん!」
後ろを見ると嬉しそうにニーナが手を振っていた。ニーナもうまくやってくれたようだ。
――そう、あのへたくそなウインクには意図があったのだ。
*** 2分前 ***
「わかってる、今度は誰も傷つかない。僕も、ニーナも」
――しゅん君はかっこつけたつもりでしょうけど、私は知っています。苦しんでいる人を見捨てられないんですよね? そういうところが私は好きですよ?
ニーナはおしとやかな笑顔で駿を送り出す。この笑顔を見れなかったと駿が知ったら悶絶するだろう。もっとも、見れていたとしても悶絶するのだが。
この時、ニーナの気持ちを知る由もない駿はへたくそなウインクを送った。ウインクといっても遠くから見れば強めの瞬きをしているようにしか見えない。
しかし、ニーナはそれを意図のあるウインクと認識して風船へと歩き出す。
誰も見ていないのを確認してから木に足をかける。
駿のウインクを「風船を飛ばしてくれ」といういとだと認識したニーナは、すぐに動き出した。
彼女が木を歩いているところを誰かに見られてはいけない。そう理解しているニーナは慣れた様子で頂上付近までたどり着き、風船を枝から外して空へ放った。
ここまでわずか20秒であった。
***
枝に引っかかった風船を見られて「ぼくのじゃない!」と言われるのを防ぐためにニーナに合図を送ったのだが、どうやらうまく伝わったようだ。
もともとの僕の作戦は単純に新しいものを買って渡すというものだったが、結果的に良い方向に転んだようだ。
事態が丸く収まったところで、ようやく母親が近づいてきた。
「すみませ―ん。お代は払いますから」
こんな適当な親がいるのか。僕たちがいなくなった後に怒鳴って、せっかく泣き止んだ少年をまた泣かせてしまいそうだ。できれば防ぎたい。
「いえ、お金は結構です。ちょうど風船を誰かに買ってあげたかったんです。」
「……はぁ」
「お金の代わりに一つお願いしてもいいでしょうか?」
「は、はい。なんでしょうか」
「この後お子さんを叱らないで上げてもらえませんか?」
「……わかりました。ありがとうございました」
不安だが、僕のできるだけをしたのは確かだ。あとは祈るしかない。
「かっこよかったですよ」
「!」
「ふふっ、そんなにびっくりしなくてもいいじゃないですか」
僕の顔が一気に熱くなる。一段落ついて考えてみると、これは初めての共同作業じゃないか。ケーキ入刀ならぬ風船譲渡。あんまりうまくない。
「ずっと黙ってどうしたんですか?」
「あっ、いや、何でもないよ」
「そう、ですか? じゃあ行きましょう。かわいい服、選んでくださいね?」
「……今日は何かずるいよ」
スカートの裾を持ってお願いをしてくる。断れる動物はどこにもいない。
というか、今以上に似合う服なんてあるのか? まあ、何着ても似合うならハードルは低いだろう。
「かっこいいしゅん君も好きですが、照れてるしゅん君も好きです」
――今日はニーナに勝てる気がしないな。