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9・花の希望

「レオカディオ四位の許可って……何なのでしょう」

 カリナに追い出されるようにセシリオが帰って行った後。ようやく落ち着いてきたエウフェミアは、どうしても解けない問題を抱えきれなくなって言葉にした。テーブルに打ち付けた腕を、無意識にさする。

 側仕えの身体がぴくりとそれに反応した。

 ウィルフレドの妹ということなら、ただの側仕え以上にカリナはこの婚約の事情を知っているのではないかと思った。

 エウフェミアの自意識過剰でなければ、セシリオは確かにあの時彼女に男女の関係を迫っていた。自分が仕える相手の婚約者に対して、それは倫理的にあまりに外れている。

「エウフェミア様……」

 固い声でカリナが呼びかけてくる。何か心が軽くなる言葉をくれるのだろうか。そんな期待を持って側仕えを見ると、彼女はこう言ったのである。

「本人に聞かれるのが一番かと存じます」

「え?」

「すぐに約束を取り付けます」

 カリナはスカートのポケットから白いカードと万年筆を出した。万年筆などエウフェミアでさえ持っていない。さらさらとカードに何かを書き記すと、二つに折って真ん中をひねった。普通の紙であれば破れるところだが、紙は側仕えの思うがままに形を変えた。

 そしてカリナはツカツカと窓辺に早足で近づくと窓を開け、カードを投げる。次の瞬間、それは白い蝶になり羽ばたいて消えて行った。

「ああ見えて……馬車よりずっと速いんですよ」

 エウフェミアは思わぬところで、蝶々の飛ぶ速度の優秀さを知ることになった。



 翌日の午後、エウフェミアは再びアルフォンソの傷だらけの屋敷にいた。

 カリナの飛ばした白い蝶々は、父の帰宅前には灰色の蛾として舞い戻ってきた。目の前でカリナが蛾の真ん中をひねった時は、エウフェミアの心臓はつぶれるかと思った。しかしそれは元の灰色のカードへと戻る。セシリオが作った魔法のカードだそうだ。


 応接室にはエウフェミアとアルフォンソ、そして控えているカリナ。当事者のセシリオはいない。執事──ではなくウィルフレドは今日は執事役に徹しているのか、出迎えと案内をした後に去って行った。

 この屋敷のメイドがお茶の準備を終えて出ていく。

「カリナも出て行っていいぞ」とアルフォンソが言ったが、彼女はそのまま黙って近くに控えている。大丈夫なのだろうかと、エウフェミアの方が心配になった。

「まあいい……エウフェミア嬢、うちの馬鹿が怪我をさせたそうだな……ひどい怪我なのか?」

 声が申し訳なさそうだった。先日のまったく残念そうではない声を覚えているので、エウフェミアは彼の心の表れなのだろうと感じた。

「いえ……大したことでは……」

「いいえ大したことでございます」

 鋭い声がエウフェミアの後方から飛ぶ。冷ややかすぎる声は、彼女の背筋を凍らせた。

「カリナ……」と、ため息交じりのアルフォンソの声が呼ぶ。

「どうしてセシリオ様を、エウフェミア様にけしかけたのですか。私はちゃんと報告をお送りしたはずです。調査もされたはずです。“その点”において、エウフェミア様の心配はいらないと」

 抑えてはいるものの、言葉には怒りがあった。

「ああ、分かった分かった。悪かった、カリナ。忙しすぎて、許可の取り消しを忘れていた」

 どこか子供のように声を大きくしてアルフォンソがそう言い放ち、困ったように自分の首をさする動きを見せた。側仕えにはっきりと謝る主というものを目の当たりにして、エウフェミアは驚きに瞬く。

「私にではなく、エウフェミア様におっしゃってください」

「すまなかった……エウフェミア嬢。謝罪を受け入れてほしい」

 本当に参ったという顔で、アルフォンソは婚約者に謝罪した。


 セシリオは、アルフォンソに近づく女性たちの「毒見役」だという。

 結婚話はエウフェミアの前にも、山のようにあったのだと。しかしそのすべてが潰えていたし、潰えた理由の半分はセシリオの「毒見」によるものだった。どうせ政略結婚なのだから、いい男と遊ぶくらい許されても──許可という罠にはまった女性たちを、アルフォンソは切り捨ててきた。側仕えのカリナを贈るのも今回が初めてではない。令嬢の性質や行動を知るには、側仕えを入れるのが一番だという。


「ずっと……試されていたのですね」

 説明を受けたエウフェミアは、小さくそう呟いた。

 同じ国民同士で争い合った五年の内戦期間は、こんなにも人に不信感を植え付けるものなのか。悲しい現実に、エウフェミアは切なさを隠し切れなかった。

「男だろうが女だろうが、自分の頭で考えない人間が苦手でな……」

 おなかの前で指を組んで、アルフォンソが天を仰ぐ。

 その言葉は、彼の周囲にいる人たちを見るとよく分かるものだった。カリナでさえ、主に自分の意見を告げることをためらわない。いくらウィルフレドの妹とは言え、立場が違うというのに。それを受け入れられる男だからこそ、自分の審美眼に外れた者は側に置きたくないのだろう。

 エウフェミアは、自分はどうだろうかと考えた。

 花の重要さも知らず、世間の厳しさもようやく少し分かり始めた程度の小娘に過ぎない自分に対して、アルフォンソはまったく残念に思わない声で前回別れた。声を取り繕う価値を、まだ彼女に見出していなかったのだと、いまにして思えばよく分かった。


「あの……」と、エウフェミアは顔を上げた。バツの悪そうなアルフォンソの顔を見た。

「アルフォンソ様は大変ご多忙で、恐れながらわたくしに割く時間もきっと惜しいとお考えかと思います」

「エウフェミア嬢?」

 想定外のことを言われたような、怪訝な表情を向けられる。

「実は昨夜、父と話をしました……カリナを交えて」

 赤味がかった茶の瞳が、エウフェミアとカリナを行き来した。カリナは黙ったまま真顔で視線を受け流していた。

「それで……アルフォンソ様が完璧な妻と美しい花をご入用ということでしたら……花だけは差し上げられますと、答えるようにと」

 あんなに婚約を喜んだ父ではあったが、娘にはあまりに負担の多い相手だと理解してくれた。不思議なことに、カリナもそれに賛同した。

「相応の金額で花や苗を買い上げられるよう、私が間に入らせていただきます」

 本当は立場の関係から父も無償でと言っていたが、カリナがそれを止めたのである。そしてそのお金を有効活用するのがいいと助言され、父と娘で納得した。

 要するに婚約という関係を、ディローザの苗を売ることで終わらせようという結論になったのだ。

「しかしそれでは……貴女は婚約の破棄をされた娘として、大変評判が悪くなる」

 少し早口でアルフォンソが、彼女の心を揺らす。確かに噂が広まりつつある中での婚約破棄は外聞が悪く、その後の結婚に差し障るだろう。エウフェミアは小さく微笑んで、カリナの方を見た。彼女が小さく頷くのが見えた。

「それなのですが……」と、カリナに後押しされて恥ずかしく思いながら口を開く。これまでどんな思いを口にするより、胸が高鳴っているのが分かる。

「わたくし……花師の養成学校が再開したら通おうかと思っております」


「は?」


 目が転げ落ちんばかりとはこういうことか。アルフォンソの顔は見たこともないものだ。それくらい自分が突拍子もないことを言ったのが分かる。

「花師になれば……わたくしでも結婚せずとも生きていけるのではないでしょうか」

 エウフェミアの人生で、一番大それたことを口にした瞬間だった。


 この決断は、ティアラと出会ったことも大きかった。天然花師として女性が花師をしているのを見た。能力があれば女性でも花師ができる。

 貴族の娘とは言え、嫁ぎ先が見つからないままでは跡継ぎの弟の重荷になってしまうだろう。しかし専属の花師としてならば、家の役にも立てる。よそに働きに出ることは難しいかもしれないが、実家ならば大きな不安もない。

 父もとても渋い顔をして提案を長い間沈黙して考えた後、「熟考した後、もう一度話し合おう」と結論を先延ばしにした。しかし頭ごなしに反対することはなかった。

 少なくともエウフェミアは、この婚約にすがらなくても生きていく道筋を、ひとつ見出すことが出来たのである。だからこそこうして、アルフォンソの前に座ることができた。

 自分の頭で考えた答えがあるということは、寄る辺のない心の強い支えとなるのだと、エウフェミアは初めて知った。


「そうきたか……」

 アルフォンソは、彼女の花師宣言に唸っている。まったく予想もできなかったのだろう。エウフェミア自身でさえ、昨日まで考えたこともなかった。それでもただディローザの濁流に翻弄される人生では、遠くなく呑み込まれてしまうだろう。泳いで渡り切るためにも、彼女はディローザに希望を見出した。



『花とは命。花とは希望。花とは愛。御身への祈りであるディローザが、とこしえに咲き誇りますように』

 毎日父の花に捧げる祈りの言葉を思い出し、エウフェミアは自分の歩む道を決めようとしていた。

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