6・蜂の絵
「驚くほど報告通りの娘だったな」
「そのように報告いたしましたので」
馬車の中には二人。王宮に向かう馬車の中でアルフォンソとウィルフレドは、それぞれの表情でさきほどまで観察したエウフェミアについて語っていた。
二人ともテールコートに着替え、胸にはディローザを飾っている。アルフォンソの赤い花は、エウフェミアと交換したものである。
馬車の護衛は二騎。どちらも平民だが、軽い魔法も使う器用な中近距離の剣士と、良い武器を見つけると「主をお守りするために」と人を口実のように使って欲しがる武器馬鹿だ。しかし腕は滅法立つので重宝はしている。
ウィルフレドの報告のエウフェミアは、「性質は無毒。花に関しては一級。ただし依存傾向あり」というものだった。ディローザを預かる女主人としての評価はいい方だろう。依存に関しても方向性を間違えなければさほど問題はないとアルフォンソは考えた。現時点で「邪魔な妻」の要素は低い。
「しかしディローザの方向から、妻を探してくるとはな」
「急務でもありましたので」
ウィルフレドは花師のティアラにメイドの恰好をさせて、花の会の中で美しいディローザ持ちを探させた。「いい花師が見つかるだけではないか」と疑問を呈したが、「このご時世、よい花師は高位貴族に高給で引き抜かれております」ともっともな答えが返される。
花についての暗い取引の噂も後を絶たない。
それもこれも品質の高い赤のディローザは、男の見栄と命を守るものだからだ。この国の貴族の男たちは、何よりそれを己の身で知っている。成人の儀式をすませたものならば絶対に。
内戦の終戦近くから、十六歳の成人の儀式の延期を求める貴族の嘆願書が、ひっきりなしに貴族庁に届き続けた。花の被害が非常に多かったせいだろう。やむを得ず貴族庁は、ディローザなしの成人の儀式を期限つきで認めた。それは年の行った貴族たちの不評を買い、「花無し」という呼び名の屈辱の世代となった。
「命がひとつあるのとふたつあるのは大違いだからな」
ただのディローザに命を増やす力はない。魔力を満たした温室の中で、家を守る女性と花師で命の花を育て上げるのである。それがこの国を支える命の形である。
この花にとって不遇の時代だからこそ、エウフェミアは必要とされた。その価値の高さはおそらくあと五年ほどだろうとアルフォンソは読んでいる。その五年を価値があると取るかないと取るかは人によるだろう。アルフォンソはあると取った。
「……エウフェミア嬢にご不満な点がございますか?」
ウィルフレドの問いに、うーむと小さく唸る。
「あると言えばある」
アルフォンソは揺れる馬車の中、手袋をした自分の手を一度大きく開いて拳に握ってこう言った。
「うっかりへし折りそうだ」
エウフェミアは外側も中身もどうにも頑丈そうに見えない。海千山千の上位貴族の妻や、カリナやティアラなどの中身が頑丈そうな女ばかり見ているせいで、どうにも心配になってしまう。
ウィルフレドは真顔のまま、一度まばたきをしてこう答えた。
「どうせへし折るならセシリオでお願いいたします」
※
「やあ、レオカディオ四位」
「これはバルラガン三位……ご機嫌麗しいようで何よりです」
いやな奴に会った──アルフォンソは自分の顔の空白部分にその文字を書かないように極力気を付けながら、胸のディローザの下に手を置いて礼をとった。
平地にある広大な白亜の王宮は、まだ元の美しさをすべて取り戻してはいない。しかし最優先で修繕が行われており、組まれた足場には多くの作業者の姿がある。馬車は気ぜわしさを隠しきれず、貴人の乗降の動きも足早だ。ここから先は護衛も入れない。
そんな王宮の外階段で、二人の貴族は出会っていた。アルフォンソは大股で、先を行く相手はゆっくりと。そんな速度差で距離が縮まってしまった。
「そう畏まらなくてもいいのですよ、四位。たったひとつの位の差など、あなたはすぐに埋めてしまわれるでしょうから」
「ご期待に沿えるよう邁進いたします」と、アルフォンソはさらっと受けて立つ。傍から見たら、二人の間にさぞや激しい火花が立っていることだろう。
ファウスティノ・デル・バルラガン。内戦前も後も三位。油絵具で描いたような黒髪に細い金縁眼鏡の奥にある深緑の瞳。その瞳の中に知性と野生を渦巻かせている男は、まさに内戦の落とし子と言っていい。弱冠二十歳だが、アルフォンソがいま一番厄介に思っている「エスカランテの黒蝶」だ。
ファウスティノは、内戦の真っただ中で成人を迎えた。そして成人した途端──兄と父を斬り捨て、自領の兵士をほとんど引き連れて東軍に寝返った。戦局を大きく揺るがす事件で、そこから一気に西軍が劣勢に傾いたと言っていい。
最初から家族と違う道を選んだアルフォンソ。途中で家族を捨てたファウスティノ。後者の昇位がなかったのは、途中からの参戦であることと、内戦の混乱のさなかに外国へ逃がしていた姉妹の助命をもって褒賞に代えたからだ。女の家族だけでも味方に残したこの男を、アルフォンソはうまくやったと思っている。もし彼に姉妹がいれば、そうしただろう。まともな姉妹ならば、だが。
「そういえば……ご婚約なさったそうで。おめでたいことですね」
エントランスを歩く。上位を追い抜くわけにもいかないため、彼はファウスティノの歩速に合わせるしかない。ひらひらと踊るテールコートの尻尾。
「白いディローザの誓い」の部屋を通る。先を行くファウスティノが花の彫られた石板に右手を乗せると、それが白く輝く。王宮の奥に入る時、必ず通らなければならない魔法の門である。アルフォンソもまた右手を乗せた。ぱちりと白い魔力が弾けるのが分かる。魔法による武器封印だ。
ここからは廊下が左右に分かれる。行き先が違えと願ったが、残念ながら同じ方向だった。
「……お耳が早い」
仕方なく肯定の返事をする。めでたい話ではあるのだが、それを誰に言われるかは大事だとアルフォンソは思った。
「貴方と縁を結びたい者たちが、ため息をついておりましたよ」
「この身はひとつしかございませんので……バルラガン三位も独身ですから、さぞや多くの花に涙を流させることでしょう」
「花……そうですね……花はよいものですね。特にディローザは」
ふふふとファウスティノが小さく笑う。その胸の赤い花は大層美しいようだが、本物か魔法使いによるものかは彼には判別ができない。
ファウスティノの足が止まる。アルフォンソも止めざるを得ない。
振り返った男は、アルフォンソの胸の花を見て笑みを浮かべた。
「今日のレオカディオ四位の花は……特別美しく羨ましい限りです」
さっさと歩けという言葉を呑み込んで、アルフォンソも殊更不敵に微笑み返した。
「お褒めに与り光栄ですな」
バチバチバチバチッ。
火花はそんな音だったか。
「エウフェミア嬢を調べているのはどれくらいだ」
ようやくファウスティノがいなくなり、大っぴらに深いため息を落とすと、すぐ後方に控えるウィルフレドに小声で問いかける。
「……三家くらいと聞いております」
その数字はさほど大きくない。しかしこれから増えると予測される。
「用心してやれ」
「カリナに重々申し付けております……それより」
「何だ」
「彼女を選ばれた理由を、ご用意しておかれた方がよろしいかと」
相手は第九位。わざわざ選ぶ必要性はない相手だと疑問を持たれ、下手に探られると厄介だとウィルフレドは提案してくる。
それにアルフォンソは笑った。声が出そうになってその大きな手で口を押さえる。
「簡単なことだ」
考えるまでもない、と思った。
「恋に狂った男は、女性の階位など気にしない……そうだろう?」
にやりと笑ってしまう口を隠しながら、アルフォンソは言った。
「ではその方向で」
独身街道を走り続ける男は、真顔でつまらない答えを返したのだった。




