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5・花の馬鹿

「その花……」

 赤い前髪の間から見える、ぎょろりとした琥珀色の獣のような瞳。

 温室から生えているだけだった首から下が、ずるりと抜け出してきた。

 服を保護するための長袖のエプロンは泥で汚れている。背の高いティアラと呼ばれた女性は、そんな作業真っ最中の恰好のまま、エウフェミアに近づいてくる。

 どうしたらいいのか分からずに突っ立っていた彼女に向かって、エプロンの袖から生えるやせた指が伸びる。花師の爪は、泥とディローザの葉や茎が入り混じった暗い緑。その色を落とすのはとても大変だと、エウフェミアは知っている。


「ティアラ……おさわりはなしだ」

 あと少しでその手がエウフェミアの胸の花にかかろうとした時、間に大きな手が割り込む。アルフォンソの制止に、恨みがましい顔になったが、邪魔と言いたげにその手をよけてティアラは頭を低くして、間近から客のディローザを見つめる。

「うちの花師は花馬鹿で、花以外のことに興味がない。勝手に触れさせないようには気を付けるが、気が済むまで好きにさせてやってくれ」

 アルフォンソはそう言うが、声に不快感はない。むしろ嬉しそうでさえある。この状況は、彼にとって良いことのようだ。

 そう言われたらエウフェミアも、黙って突っ立ったままでいるしかできない。目の前にある手入れの行き届いていない赤毛の頭が、花をよく見ようと角度を変えるのを見ているだけだ。

「……本物だろう?」と、アルフォンソは言った。

「うん……本物」と、ティアラは答えた。

 そして、続けて彼女は真顔でこう続けたのだ。

「いますぐこの人と結婚して」


「無理だ、花馬鹿」


  ※


「驚いただろう」

 再び応接室に案内されたエウフェミアは、新しいお茶を前にしながらアルフォンソにそう問いかけられて、何と返事をしたらいいのかよく分からなかった。

 花師は確かに貴族に大事にされる。しかしあくまでも花師は平民だ。貴族に対しての言葉遣いや態度は相応のものを求められる。少なくともそう教育されるはずだ。

「あれは……天然花師でな」

「天然花師、ですか?」

「そうだ……花師の養成学校を卒業していない」

 アルフォンソの説明に、彼女は心当たりがあった。「花師の子なのですね」と返すと、「そういうものだ」と頷かれた。


 花師として国に認定されるためには、養成学校の試験に合格しなければならない。そうでなければ誰でも勝手に花師を名乗り始め、技術もない偽花師が横行するからである。試験の中には礼儀作法も入っており、そこで貴族の下で働くための必要な知識や教養を学ぶ。

 しかし五年ほど続いた内戦は、花師の学校にも大きく影響を与えていた。エウフェミアが通っていた修養学校より早く閉鎖され、新しい花師が生まれなくなった。主人の巻き添えで死んでしまう花師がいる中、光を浴びたのが花師の子供らである。親からの知識や技術を伝授されている彼らは、内戦後の花師不足を支える大事な力となっているらしい。そう遠くなく養成学校も再開するらしいが、いまはまだ天然花師の力が必要だという。


 それでも主が望めば、雇われているのだから言うことを聞かせられるだろう。だがアルフォンソは、「あれの腕を買っている」と、無理に矯正する気がないことを明らかにした。

 それを大らかと思うか、貴族らしくないと思うかは見る人によるのかもしれない。エウフェミアにとっては大らかでありがたいというところだった。

 人に何かを強制しないということは、自分にも強制されないのではないか、という甘い期待を抱けるからだ。しかし彼の「腕を買う」と言う言葉は、能力主義とも受け取れる。能力が高いからこそ、少々の欠点には目をつぶる、と。

 となると、花の世話という点で婚約に至った彼女からすれば、その腕をいかんなく発揮しなければならないということでもある。あの花師と協力して。

 それはかなり大きな重圧でもある。エウフェミアの花の知識は、母からと花師からの指導で覚えたものに過ぎず、彼の要求に本当に応えられるかどうかは分からないからである。


「ところであの……本物、とは何でしょうか?」

 花師の事情をある程度聞き終わって納得した頃、エウフェミアは自分の胸のディローゼに手を寄せながらそう問いかけた。先ほど温室の前で、アルフォンソとティアラが彼女の花を指して、そんな会話をしていたからである。

 アルフォンソは自身の左胸の赤い花を親指で指して「これをどう思う?」と聞き返してきた。

「美しいと思います」と、素直な感想を答えるしかない。同時に、温室を開けて見た時のディローザとの違和感も思い出す。

「この花を閉じてもらってもいいか?」

 アルフォンソは自身の花を取り、彼女へと差し出してくる。いつも彼女が帰宅した父の花にするのと、同じようにしてほしいと言うのだ。戸惑いながら両手で花を受け取る。

「……花とは命。花とは希望。花とは愛。御身への祈りであるディローザが、安らかにお休みいただけますように」

 いつもと違う環境での花閉ざしに緊張しながら、エウフェミアは祈りを口にした。

 しかし。

「あっ」

 ディローザの花はつぼみに戻ることなく、その花を散らした。ひらりはらりと、彼女の赤いデイ・ドレスの膝に、床に散り落ちる。

「それは、今朝温室から切ったばかりの花だ」

 アルフォンソの言葉に、彼女は自分の表情が曇るのが分かった。

 一輪のディローザは大体五回ほど花を閉ざすことができ、また翌日、祈りで花を開かせて胸につけることができる。

 だがこの家のディローザは、たった一日で散ってしまった。

「魔力をね……」と、セシリオは自分の手を振って見せる。

「切ったディローザに魔力をね、無理やり込めると、とっても綺麗に見せることができるんですよー。その代わり、全然長持ちしませんけど」

 魔法使いを抱えている貴族の隠し技だと聞かされる。より美しいディローザを胸に飾り、それで威厳を保つのだと。特にいまのように、内戦で失われたディローザの品質を取り戻しきれていない時はなおのこと。

「でもそれでは……花の数がいくらあっても……」

 花は一株に一輪しか咲かないようにしている。そうでなければ花の大きさや美しさが保てないからだ。毎日毎日花を切ると、すぐに花がなくなってしまう。

「だから先日の花の夜会で、ティアラを会場に行かせた。美しく“本物”のディローザをつけている未婚女性を探せ、と」

「あの方も花の会に?」

 まさかああ見えて、彼女もまたディローザをつけられる身分なのかと驚いたが、ウィルフレドが「はい、メイドに変装させて」と補足したので納得した。

「ティアラにも早く結婚しろとせっつかれてましたしね」とセシリオ。

「あの花馬鹿は、花のために俺に結婚しろと言ってただけだ」

 アルフォンソとセシリオのやりとりの中、ウィルフレドがふっと扉の方を見る。

「アルフォンソ様……馬車の音がします。約束はございませんので、何か急ぎの用でしょう。失礼いたします」

 ウィルフレドは、そう言ってエウフェミアにも詫びて応接室を出て行った。


 しばらくして戻ってきた時の彼は、再び執事の黒い衣装に変わっていた。そのままアルフォンソの側により何かを耳打ちする。

「そうか……すまない、エウフェミア嬢。せっかく来てもらったが、急な呼び出しで出仕しなければならなくなった」

 ジャケットのボタンを閉じながら立ち上がる彼に、すまなそうな気配はない。

「いえ、こちらこそ……お忙しいのに花を見せていただき……あ」

 彼の胸のディローザが散ってしまったことを思い出し、エウフェミアは自分の胸の花を外した。またあの温室の花を切らせるのは忍びなかった。

「よろしければ、こちらを……私はもう帰るだけですから」

 赤い花を差し出すと、アルフォンソは少し驚いた顔になった。そしてふふと笑った。

「婚約者なら花の交換は許されるな、と言ってもこちらに返せる花は……セシリオ、お前の花を寄越せ。どうせお前は行かないだろう」

「それは、僕と彼女の花の交換になりますよ?」

「一度俺がつければ俺の花だ」

「世の中って理不尽ですよねー」

 男の間の軽いやりとりが落ち着いた後、改めてアルフォンソの胸に飾られた花が外され、エウフェミアに差し出される。

「美しい花を感謝する」

 そう言って目を細めたアルフォンソの胸に、ついさっきまで自分がつけていたディローザが飾られているのを見たエウフェミアは、恥ずかしくなって「はい」か「いいえ」しか言えなくなってしまったのだった。



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