18・蜂の火花
「バルラガン三位、カリナは駄目です」
「私が恋焦がれている女性を呼び捨てにしないでもらえますかな?」
「会ったこともないでしょう」
「あるに決まっていますよ。最近では、妹を花師の学校に迎えに行った時に。女騎士のような凛々しい姿を見ています……それ以前にも勿論、ね」
火花が、散る。
独身フロアでそれぞれ顔に笑みをたたえ、それぞれ妹と婚約者を横にしたまま、周囲に聞き耳を立てられないように抑えた声でやりとりを繰り返す。
お互い目だけは笑顔を裏切っている。アルフォンソは拒絶の色を隠しもしなかったし、ファウスティノは挑戦的な色を閃かせていた。
「まだカリナは、貴族の一員になっていません」
「ええ知っていますよ……レオカディオ四位が便利に使うために貴族にしていないのですよね?」
にこり、と強い圧の笑みを投げつけられ、アルフォンソは苛立ちが跳ね上がり、そして限界を突破した。すると逆に頭がすーっと冷えてくる。わざわざアルフォンソの尻尾を踏みつけにきて、この男は何がしたいのか、と。
これが愚かな貴族の戯言であれば、気持ちよく怒り狂った後に丸めて投げ捨てればいいが、ファウスティノはそうではない。腹が立つことに愚かな小物ではないのだ。
「そうですね……カリナはとても大事な女性です。そんな女性の行く末には、慎重にもなります」
ふぅと息を吐きながら、さっきまでよりも速度を落として答える。すると腕が微かに引っ張られた。エウフェミアが心配そうに見上げている。
「わたくしも……カリナのことは……とても大事に思っています」
ざわつく会場にかき消されてしまいそうな、小さな声。そんな小さな援護射撃に、アルフォンソの肩の力がもう少し抜けた。
「エウフェミア嬢」と呼びかけたのは、ファウスティノだ。
「エウフェミア嬢……あなたの大事というのは、側仕えや護衛として大事ということでしょう?」
「バルラ……」
「ち、違います」
失礼な物言いを止めようとしたが、それより先にエウフェミアが頑張ったような声を出した。そんな彼女の邪魔はせずに、アルフォンソは見守ることにした。
「カ、カリナはとても素敵な女性です。私には勿体ないほどです。私は……カリナに幸せになってほしいと思っています」
「では」
ファウスティノは、言葉を挟んだ。自分こそがカリナを幸せにできる自信があるかのように、エウフェミアの話の後を継ごうとした。
「けれど……」
だがアルフォンソの婚約者は、化粧だけではない頬を紅潮させ、ファウスティノとほぼ同時にそう言うのだ。
「けれど……カリナがバルラガン三位を慕っているのか、ちゃんと聞いてみないと……分かりませんよ、ね?」
首を傾げながら問いかけるエウフェミア。
その瞬間、彼女以外の三人の空気が一瞬止まった。ロベルティナはいまにも上がりそうな口角を止められない口になり、アルフォンソは自重もせずに噴き出した。
質問を投げかけられたファウスティノは、
「え、あ……まあ……確かに、そうですね」
と、毒気を抜かれた顔で、ごほんと咳払いをする。
どんなにファウスティノの頭が柔らかかろうと、やはり発言の端々には男社会の常識が顔を出す。それはアルフォンソも同じだ。
彼らは自分が選んだ女性であれば、相手を「幸せにできる」と当たり前のように思っている。だから女性の幸せを考えている顔をして、当の女性に話を聞かないことが多々あり、それが失敗につながることがある。アルフォンソも失敗した。
エウフェミアもアルフォンソの相手をして学習したのだろう。幸せにしてやろう、という気持ちで向かってこられても、幸せになれないこともあるのだと。
だからカリナの気持ちも聞かないといけないと、エウフェミアは言っているのである。三位だろうが四位だろうが、幸せは勝手にやってこないのだから。
「ふふふふふ、エウフェミア様はとても良いことをおっしゃるのね」
ロベルティナもついに我慢できなくなったのだろう。珍しく兄の腑抜けた声を聞いて、たまらないように笑う。
そして隣の兄を見上げるのだ。
「お兄様は、カリナさんとまだほとんどお話しされてないのですから、まずはお話の機会をいただいてはいかが? レオカディオ四位は、きちんと説明したら理解してくださる方なのでしょう? きっとお許しいただけるわ」
社交のやり手だと、アルフォンソはロベルティナを見た。これで拒否すれば、アルフォンソは頭ごなしに拒否するばかりの分からず屋扱いになってしまう。
「そうだねロベルティナ……レオカディオ四位、如何でしょうか。カリナ嬢と話をする機会をいただけませんか? 彼女が嫌だということでしたら、勿論無理強いはしませんので」
三位に下手に出られると、アルフォンソは居心地が悪い。そしていま彼は、三対の目に注目され、返事を期待されている。おかげで輪をかけて居心地が悪い。
「分かりました……ただしカリナが会うことを拒んだ場合は、ご容赦ください」
ここまで譲歩させればいいだろう、と息を吐いて答える。カリナが三位の妻になりたがるとも思えなかった。
「勿論です……ただ、彼女はとても頭のよい女性ですから、レオカディオ四位の立場を考えて忖度することもあるでしょう。ですので、できればエウフェミア嬢から、このことをカリナ嬢に伝えていただけませんか?」
アルフォンソとカリナが話し合いをすれば、ほぼ確実に断られると思っているのだろう。すっかり立ち直ったファウスティノは、一縷の望みを彼の隣の婚約者に託した。
エウフェミアがそっとアルフォンソを見上げてきた。緑の瞳が「よいですか?」と聞いている。
婚約者への愛と度量を試されている気がして──アルフォンソは断れそうになかった。
エウフェミアとの初めてのダンスは、息を合わせるところからだった。
彼女は決して下手というわけではないが、歩幅や動き出しやリズムが少しアルフォンソとずれる。それを微調整しながら合わせていく。
踊れるという話を聞いていたので、事前に練習をしたことがなかった。そういうところにも、自分の怠慢が見えてアルフォンソは苦く笑った。あれほど彼女は屋敷に来ているというに、何をやっているのかと。
ようやく息が合い出した頃、「いきなり面倒ごとに巻き込んですまなかったな」と告げる。エウフェミアは「カリナのことですもの……面倒ではないですよ?」と答える。
確かにカリナのことだ。アルフォンソもそこを面倒ごととは思っていない。問題は、面倒の塊ことファウスティノである。
「でも……」と、エウフェミアが頬を染める。
「カリナを見初める方がいて……わたくしは嬉しいのです。カリナは本当に素敵な人ですもの」
彼女がカリナをとても信頼して、好意を寄せているのが分かる。カリナもアルフォンソの目論見を破壊してまで、エウフェミアの味方につこうとしたことがあった。
きっとそれはカリナが側仕えでなくても、同じ貴族の子女同士であったとしても同じだっただろう。
「バルラガン三位でなければ……もっと良かったんだがな」
「あら」と、エウフェミアが彼の愚痴に小さく微笑む。
「では、どなたならアルフォンソ様は良い、と思われますか?」
素朴な疑問、という風に問いかけられて、アルフォンソはうっと答えに詰まった。最初に頭に浮かんだセシリオの顔に即座に×をつけて、知り合いの顔を片っ端から浮かべたが、どれもピンとこなかったのである。
俺はカリナの父親か?
そう自分に問いかけたくなった。
「どなたでも駄目そうだ」
観念してそう答えると、エウフェミアはその言い方にふふっと笑う。
「わたくしも、カリナが幸せになるのはとても嬉しいのに、きっとどなたと結婚しても……寂しくなってしまうと思います」
あー。
アルフォンソは、曲が終わりそうな気配に気づいた。
「エウフェミア嬢……このままもう一曲踊ろう」
あー、俺の婚約者が可愛い。
こんな気持ちで違う女性と踊るなんてもったいなさ過ぎる。同じ女性と続けて踊ることが許される婚約者で心底良かった。そうアルフォンソは心から思い、全力で幸せを享受したのだった。