17・蜂の叫び
「よーし……いつでもかかってこい」
殴り合いでもするがごとく、気合の入った言葉をアルフォンソは口にするが、ここは花の会の独身フロアである。
社交の場は数あれど、花の会は年二回。
その名の通り、花を身に着けられる者であればみな参加できる、ディローザに感謝をささげる集まりだ。王宮を開放して行われる、この国の礎となる花の祭り。
ほぼ全国の貴族が集まると言っても過言ではないこの祭りだが、内戦前とは勝手が変わっている。特に領地を持っている貴族の参加は、一家の中でも少数に限定された。
西軍の残党は、地方領地が手薄になるこの時を見逃すはずがないからだ。
事実、内戦終結後に初めて行われた花の会の裏では、複数の領地で事件が起きていた。いずれも大事件になる前に各守備隊により取り押さえられてはいたが。
アルフォンソも今朝までは領地にいた。警戒指示を出すためである。そのまま列車に飛び乗って、その日の夜には花の会。機関車様様だった。
エウフェミアは落ち着かないように、アルフォンソの腕に手をかけている。白いシフォン生地の下に透けて見える桃色のドレスは、彼女の可憐さを引き立てている。
見立てはカリナだ。冒険してもいいぞと言っておいたが、返答は「素材で冒険させていただきました」というもの。いい値段だった。
女性の衣装には、それぞれに似合う方向性というものがある。それは彼も分かっている。けれどいつも手堅い勝負ばかりしていると、それが骨身にしみついてしまう。自身の殻を破りたいという冒険なら、アルフォンソはいつだって歓迎だと思っていた。
エウフェミアが、ティアラの仕事着にズボンを提案してきたことを思い出す。ロベルティナの発案ということも隠さなかった。
「エウフェミア嬢はいいのか?」と聞いたら、「男の子みたいになってしまうと思いますので」と断られた。女性向けのズボンといえば、騎士服か乗馬服くらいのものだ。そういった服装は、自分に似合わないと思っているようだ。
カリナにズボンを貸しましょうかと言われて困っていたエウフェミア嬢は、大変可愛らしかったが。
彼女の勧めでティアラに少年用のズボンとサスペンダーを与えたところ、面白いことが起きた。
目をひんむいて、雷に撃たれたような顔になって茫然と突っ立った後、ティアラは突然庭を走り回り、座り、立ち、座り、立ち、走り、そしてアルフォンソにこう言ったのである。
「どうしてもっと早くこれ、くれなかったの!」
紛れもない文句だった。あまりの理不尽さに、アルフォンソは天を仰ぎながら大きく笑ったほどだ。それからティアラは、もうスカートを履かなくなった。
花の会の独身フロアで、アルフォンソはエウフェミアと二人でいた。ウィルフレドは今日は警戒担当で留守番だ。セシリオは来ているが、情報収集という名の元に、女性たちの間を飛び交っているだろう。
「あら……バルラガン三位がいらっしゃったわ」
女性たちの囁きが大きくなったのに気づき、アルフォンソは視線を入り口に向けた。
独身フロアに入ってきたのは、ファウスティノとロベルティナの兄妹。後ろにいるのは部下にエスコートさせた姉だろう。姉の方は、もう婚約が決まっているという情報だ。
かなり艶やかな姉妹である。
妹は濃い緑の葉とディローザの刺繍が美しいドレス。刺繍のディローザは小さく、胸に輝く大輪のディローザを引き立てている。姉の方は身体に沿ったワインカラーのドレスだ。どちらも女性としての美しさや力強さを、存分に輝きに変換している。
思わず口笛を吹きそうになって、紳士らしくないと自重した。彼の腕にかかる、エウフェミアの手の感触が、アルフォンソの理性を引き戻したおかげだ。婚約者の力は偉大である。
そんな彼女の髪に顔を近づけて囁く。
「さて、可愛い俺の婚約者殿……拒まないでくれると助かる」
「えっ?」
アルフォンソはエウフェミアの腰に腕を回し引き寄せた。腕を貸しているだけとは違う、強い密着。彼女の身体がカチンと固まったのが分かった。
次の時、バルラガン兄妹の視線が、ほぼ同時にこちらを捉える。
「これはこれは……レオカディオ四位」
優雅に近づいてくる兄妹。商売道具の笑顔と通り一遍の挨拶を交わす。さっさとどこかに行けという気持ちを隠し切れないまま。当然、その希望通りに行かないことくらい最初から分かっていた。
「エウフェミア様……お会いできて嬉しいわ。素敵なドレスね」
「ロベルティナ様も、とても、よくお似合い、です」
エウフェミアが緊張しているのは、目の前の兄妹の圧力につぶされそうなのか、アルフォンソが強く腰を抱いているからなのか。腰に回した指を微かに動かすと、ぴっと彼女の身体が上下する。
俺の方だな、とアルフォンソは満足に頷いた。
「大変可愛らしい婚約者の方ですね、レオカディオ四位。熱愛の噂は貴公が流したお得意の情報戦術かと思いましたが……珍しくそうではなかったようです」
「見ての通りエウフェミア嬢との仲は大変良好です。互いの間に髪の一筋すら挟みたくないほどですね……バルラガン三位もそろそろ婚約者を決められてはいかがですか?」
「ええ、私もそうするつもりです……期限もありますからね」
ファウスティノの言う期限まで、あと一年足らず。元第三王子こと、新王が西の国の王女と結婚する日である。一人目の妃として。
内戦で結婚が遅れたのは貴族だけではない。東軍の旗頭であった第三王子も、それどころではなかった。
今回の内戦では国内だけでなく、西の国との外交も大きく効いた。西の領地の隣にある地続きの国が、西軍の退路を断ったからである。この時の外交の綱渡りを思い出すだけで、アルフォンソでさえいやな汗をかく。
内戦に乗じて攻めて入られれば、この国の領土の形は大きく変わっていたかもしれない。そのため、口に出しては言えないような手も使った。西の国と海峡を挟んで向かいにある国を焚きつけて、海峡に緊張状態を作り出し、こちらに構いきれない状況を作ったのである。本当に綱渡りの外交だった。
内戦を外交上助けた西の国との友好関係を深めるため、王女との婚姻が最優先となった。王の四つある宮の、西の宮の主人となる。四方の貴族から妃を娶る王の、西の宮がふさがったということは、この御代では西の領地からの妃は娶らないという意味である。西の領地の発言力はとてつもなく小さくなるだろう。これはやむを得ない。
かといって、東の領地の発言力が強くなりすぎるのも問題だ。だから第三王子は最初に隣国の王女を娶り、次に東の領地の娘を娶る、という形で力の均衡を取ろうとしている。それぞれ半年ずつずらして、四つの宮が埋まっていくよう決定された。
王の最初の婚姻が終わると、側近たちの婚姻が始まる。
アルフォンソもその中の一人だ。ファウスティノもそのつもりなのだろう。そうすることにより、次世代の年齢を近くすることができる。アルフォンソの子もまた、どこかの宮の王子の側近となるべく育つのだ。
だからみな、花の会で急いで好物件の相手を探している。ファウスティノは元西軍ということで忌避する者もいるだろうが、腐っても鰻の稚魚、もとい腐っても三位だ。
「妹の結婚相手も探さないといけませんが、妹はなかなか理想が高いので困っているのです」
「まあお兄様。お兄様を見ているのですから、理想は高くなっても仕方がありませんわ」
ロベルティナは、アルフォンソとエウフェミアを見てにっこりと笑う。
これは肉食獣だなとアルフォンソは思った。西の妃が通例通りであるならば、一番の候補だったろうにと微笑み返す。
「階位にこだわりすぎなくてもよいのではないですかな? いい男と階位は必ずしも一致するとは限りませんので」と、アルフォンソは暗にロベルティナの相手を自分から下に誘導しようとした。
勿論こんな手が通用するとは思っていない。しかし、何がきっかけになるか分からないのが人間というものだ。
言葉には力がある。何気ない一言で誰かの人生が変わる瞬間だってある。アルフォンソだってそうだったのだから。
脳裏に新王や自分の部下やエウフェミアが過る。
記憶と共に自然と浮かんだ笑み。
その笑みが消え去る時が来る。
「そうですね。私も階位にはこだわらず素晴らしい方を探し……そして見つけたのですが、多少障害がありまして」
アルフォンソを見ながら、ゆっくりとファウスティノが言葉を紡ぐ。
ほぉ、と彼は目の前の男を見つめ返した。
思わせぶりで、何か企んでいるのが伝わってくる。無意識にアルフォンソは婚約者の腰を抱く手に力を込めた。ぴっとまたエウフェミアの身体が縦に揺れる。
「バルラガン三位の心を射止めた幸運な美女とは、どちらにおられるのでしょう」
わざと大げさに独身フロアを見回した。万が一でも、隣に抱いているエウフェミアの名を挙げようものなら、それは宣戦布告だぞという力を言葉に込める。
しかし返答は意外なものだった。
「いえ……彼女はここには入れないのです」
動きを止める。いま、この男は何と言ったのか、と。
『ここには入れない』
いない、ではなく、入れない。
ディローザをつけられる女性で、独身フロアに入れないのは既婚者だけだ。ということは相手は既婚者かと思いかけて、もうひとつの可能性を捨てきれないでいた。
もうひとつの可能性──それは、相手が平民ということ。
「彼女は事情があってディローザがつけられないのです。なので名もまだ貴族のものではありません。しかしその血は確かに貴族の者です」
待て、とアルフォンソは顔を顰めた。
「名は……」
待て。
「名は……カリナ嬢。兄の名はウィルフレド・イ・デラフエンテ五位」
待てーーーーーっ!!
アルフォンソの叫びは、心の中で激しく反響したのだった。




