15・花の形
「さて……それではロベルティナ様の議題に戻りましょう」
エウフェミアにとっては難解な男性の友情について学んだ後、ウィルフレドが議題を進行し始める。
本当に婚約の話をしているかと思えるほど冷静に、ロベルティナとの婚約についての利点と欠点を述べ始める──エウフェミアもいる前で。
聞けば聞くほど、アルフォンソとロベルティナの結婚には利点が多い。彼女はどこか他人事のような気持ちで、ウィルフレドの解説を聞いていた。
心配していないわけではない。不安がないわけでもない。けれど彼らは、エウフェミアのいないところでこの話をしなかった。彼女も当事者であり、アルフォンソの内側の人間だと認められた気がした。
「……以上の点を踏まえまして、対応策の提案をいたします」
ウィルフレドは指を立てた。
人差し指。
「ひとつめ、現状通り、アルフォンソ様とエウフェミア様の婚約を継続し、ロベルティナ様のことはお断りをする」
中指。
「ふたつめ、アルフォンソ様とエウフェミア様の婚約はそのままに、私かセシリオがロベルティナ様の婚約相手になる」
エウフェミアはびっくりして声が出そうになり、思わず自分の口を押さえた。二人の階位は五位だと聞いていた。三位の令嬢にとっては格下にはなるが、届かない話ではないのだろう。だがアルフォンソを狙っているロベルティナからすると、いくら優秀でも不満は大きいだろう。
そして──ウィルフレドのびっくりは、そこで終わりではなかった。
彼は三本目の親指を立てる。
「みっつめ、アルフォンソ様とロベルティナ様が婚約し……私がエウフェミア様と婚約する」
口を押さえたままでよかったと、エウフェミアは心底思った。
アルフォンソもアルフォンソの周囲も、本当に何を言い出すか分からない。驚きは一体いつ尽きるのか。エウフェミアは目を白黒させるしかなかった。
「しつもーん。どうして最後のやつに、僕の名前はないんですかー?」
セシリオが元気よく手を挙げる。
「私が許さないからです」
カリナが冷ややかな真顔で答えた。
「エウフェミア嬢との婚約は……本当に退屈しないな」
「私は……驚くことばかりです」
エウフェミアを家まで送る馬車の中には、アルフォンソもいた。なかなか二人で話ができないからと乗り込んできた。勿論カリナも同席はしているが。
「現時点で、向こうから公式に婚約について申し込まれたわけではない。だが前もって対策は立てておくべきだ、ということでエウフェミア嬢を交えて話をしたんだが……何というか」
向かいの席に座るアルフォンソの言葉の歯切れが悪い。
「感情的にならずに……話し合いに参加してくれたのは……本当に感謝する」
何か言いにくいことでもあるのだろうかと思っていたら、彼は落ち着かない声でそう言った。
ウィルフレドの三つの提案の内、ひとつはすみやかに消去された。
アルフォンソが「これ以上、俺からエウフェミア嬢を引き離そうとするな」という一言で。
本当に良いのかと彼を見ると、「もう少し熱い視線を頼む」と言われてしまい、どうやったらいいか分からずに彼女は困ってしまった。
「普通、婚約者の前でする話ではありませんからね」
カリナの横槍は鋭い。
「エウフェミア嬢のことは……もう身内だと思っている。君が嫌だと言わない限り、必要なことはきちんと話をする」
アルフォンソの視線と言葉は、温度が高い。これこそ熱い視線というものなのだろう。
まっすぐに強い目力を向けられると、慣れていないエウフェミアの身体は、馬車の揺れ以外の揺らぎに包まれる。
「駄目です」とカリナ。
「何が駄目だ」
「間が飛びすぎです」
「どこの間だ」
「身内の前に、ありますよね?」
「何がだ」
「アルフォンソ様にとって、“身内”とは最上の表現でしょうが、それはうら若い女性にはまったく通じません」
「言葉の意味を説明しろということか」
目の前の丁々発止のやりとりに、エウフェミアはどちらを見ればいいのか分からない。
しかし、これまでの付き合いで彼女は何となく分かってきた。
カリナは何にでもは口を挟まないが、一度挟むと強いということを。
「アルフォンソ様には……圧倒的に愛の言葉が足りておりません」
「う……ぐ……」
婚約者の喉に何か詰まった音がする。
エウフェミアは、横のカリナを見た。何だかアルフォンソが気の毒に思えてきた。愛情の強要はよくないことだし、うわべの言葉がほしいわけでもない。
だから彼女はこう言った。
「カリナ……私もアルフォンソ様に愛の言葉が足りてないから……おあいこよね?」
「……っ」
今度はカリナの喉に何か詰まった音がした。
馬車はエウフェミアの家の玄関前に止まったが、先に下りたのはカリナだけだった。ご丁寧に馬車の扉まで閉めて、先に家の中に入ってしまう。
「ごゆっくりどうぞ」という言葉を残して。
「エウフェミア嬢……」と呼びかけられ、「は、はい」と上ずった声の返事をしてしまう。どうやってアルフォンソの口を閉ざそうかと考えるが、こういう場数はまったく踏んでおらず、どうしたらいいか分からない。むしろロベルティナの話をしていた方が、よほど落ち着いて会話できていただろう。
「エウフェミア嬢……俺は心にもない愛の言葉なら簡単に口にできる」
「な、何となく……分かります」
落ち着かないあまり、肯定の返事をしてしまった。けれど彼は、それに楽しそうに笑う。
「そうか、分かるか」
「必要だから、ですよね?」
「そうだ。俺は必要な言葉はできるだけ高く売る。俺の言葉は売り物だからな」
ゆっくりゆっくりと、言葉をすり合わせる。
「だがな……」と、アルフォンソは売り物の声を潜める。
「俺は言葉を……身内には売らん。エウフェミア嬢が欲しいのなら……好きなだけ持っていくといい」
ごほんと、アルフォンソが咳払いをする。その口が大きく開きそうになるところで、エウフェミアは彼の顔に手を差し伸べた。驚く顔が、自分の手の向こうに見える。
無理はしなくていい、という気持ちを伝えようとしたら、思わず手が出てしまった。そんなエウフェミアの手は、二人の間に伸びている。直接アルフォンソの口をふさぐほどの近さにはないが。
「レオカディオ四位、わたくしは……あっ」
伸ばした手が、握られる。指の先まで血が駆け巡り体温が上がった気がした。
「アルフォンソだ」
「?」
「レオカディオ四位、ではなく、アルフォンソだ」
「あ、アルフォンソ、様」
呼び方を変えると、ああと彼は嬉しそうに頷く。けれど握った手は放してくれない。
「エウフェミア……」
嬢、が抜かれた名前で呼ばれる。
「エウフェミア……初対面の印象より、今の君は遥かに良い。どんどん良くなる。俺の想像以上だ。これから君が俺を嫌ったり、自分自身を不必要に貶めたりしない限り、俺は君に妻になってほしいと願い続ける。この婚約を邪魔する者に対し、納得や説得ができない場合は必要な手段を以て対抗する……エウフェミアは、これが“愛の言葉”に聞こえるか?」
アルフォンソの本気の言葉は、エウフェミアを微笑ませた。なんて彼らしい言葉だろうと思ったのだ。
手放しの愛ではない。条件つきの愛。
だからこそエウフェミアは、婚約が継続する限り進めるだけ進もうと思えた。
「はい……とても嬉しいです」
まだ一緒に行ける。