13・花の瞬き
カリナは護衛になると、花師の講義中も許可を取って室内の端に控えるようになった。
服装は側仕えの時のお仕着せのスカートではなく、軍服に似たズボン姿だ。ただし上着の裾がスカートのように長くなっており、カリナの長い足の前面以外を隠している。女性騎士に倣った衣装らしい。
短めの剣が腰にある彼女の姿は、エウフェミアにとっては新鮮極まりなかった。初めて見た時は、あまりの感動に「よく見てもよいかしら?」と聞いてしまったほど。
「カリナに出来ないことはないのではなくて?」
「無理なこともたくさんございます」
「そうなの? たとえば?」
「……エウフェミア様のお耳汚しになりますので」
カリナは答えてくれなかったが、後日別件で同席していた魔法使いのセシリオが、相も変わらず無責任な笑みを浮かべながら「カリナは色仕掛けはいやがるよねー」と言い逃げしていった。エウフェミアの背後で、カリナの怒りが静かに燃えているのが分かった。
エウフェミアは、何故自分に護衛が必要なのか婚約者に説明を受けた。
「面倒ごとに巻き込んですまない」
アルフォンソは、新聞に掲載されたことが原因だと話をしてくれた。
彼女はロベルティナ・デル・バルラガンに引っ張られて、記者の前に連れて行かれたことを思い出した。
最初に学校内で取材を申し込まれた時は、エウフェミアは丁重に断ったのだ。彼女がこの学校に通うことは、周囲に歓迎されないと分かっていたから。
しかし、「せっかくだし、お友達になった記念に」と、ロベルティナに強引に引っ張られた。
ロベルティナに悪意はなかったと思っていた。だがアルフォンソの説明を聞いていると、彼女の言葉は「悪意」ではなく「作意」なのだと理解できた。彼女の兄は、アルフォンソと仲のいい間柄ではないのだから。
「ロベルティナ様と、お付き合いを続けても良いでしょうか」
それを踏まえた上で、エウフェミアは婚約者に問いかけた。
「ああ、学校内や花の会でなら、いくらでも付き合うといい」
彼は少し驚いた顔をした後に、楽しそうな笑みを浮かべる。
その返事に、彼女もまた嬉しくなった。大らかな人で良かった、と。
エウフェミアはロベルティナと、心を許し合うような友人になったわけではない。まだ出会って日も浅く、強引な彼女にエウフェミアが振り回されている状態だ。
けれど。
ロベルティナは、女性であり貴族でありながら花師になろうとしている。貴族の階位や性格は違えども、エウフェミアと同じ道を選び取った人だ。
親しい友人にならなくても、ディローザについての話はできる。交流の扉を完全に閉ざしてしまうのが、彼女には勿体なく思えていた。
アルフォンソは、仲の悪い相手の妹と付き合い続けようとする彼女を、不快に思う人ではなかった。エウフェミアはそれが嬉しかったのだ。
「レオカディオ四位ってどういう御方なの?」
花師になるための授業は、平日の午後と決まっている。既に花師に近い仕事をしながら学校に通っている者も多く、午前中は雇用先のディローザの世話をすることが考慮に入っていた。
講義と実技があり、実技は学校内の庭で実際にディローザを育てる。
実技に必要な袖付きのエプロンをつけ、庭に移動している時に、ロベルティナが好奇心いっぱいの深緑の瞳を向けてくる。ティアラはもうとっくに庭に飛び出している。大好きな実技の時間が来るのを、いつも待ちきれない様子だ。
「レオカディオ四位は……大きい方ですね」
エウフェミアは彼のことを思い出しながら、ゆっくりと言葉を紡いだ。身体の大きさもそうだが、一度懐に入れてもらえたと分かったら、彼女にはその場所がとても大きく感じた。
「あれはダメだ、これはダメだ」という言葉を口に出さない。それは女であるエウフェミアにとっては、とても居心地のいいものだった。
九位とはいえ貴族として生まれ、してはいけないことが数多くある環境で育ち、修養学校でもそう教わった。けれどエウフェミアは、アルフォンソとの婚約をきっかけに、周囲を囲んでいる壁に小さいながらに穴を開けることができた。その穴から外を見ることができた。
アルフォンソは、わざわざ彼女の手を強く引いて外に連れ出すような男ではない。出たいと願えば出る方法を提示してくれる。協力はしてくれる。
外の世界は自由で危険だ。でもエウフェミアは、全身にぴりぴりとしたたくさんの刺激を浴びることができる。アルフォンソは危険なものは危険と言い、大丈夫なものは大丈夫と言う。
それは彼女にとって、代えがたい環境だった。
欠点はある。エウフェミアにもあるように、アルフォンソにも確かにある。
懐に入るまでがとにかく大変な人だ、ということ。笑みを浮かべもするし一見優しそうに見えるが、自分にとって意味のある人間かどうかを、ずっと選別し続けている。
彼の選別から外れたら、興味を失われるのかもしれない。けれどそれまでは、エウフェミアにとってこれほど力を借りられる人はいないと思っている。
好ましくもあり、頼もしくもあり、けれどここがしっかりした足場かどうか安心することはできない。
行ける内に行けるだけ行かなければ。
それがエウフェミアが考える、彼との婚約の形だった。それは彼に捨てられないためではなく、またいつか婚約がなくなったとしても、生きて行くために力を借りる──そんな不可思議な矛盾の中を、彼女は走ろうとしていた。
アルフォンソとの婚約以来、エウフェミアは毎日自分の中の世界を塗り替えている。信頼と成長と好意の波の中で。
「そうなのね……うーん」
婚約者のことをたくさん考えながらも、短く答えたエウフェミアにロベルティナが小さく唸る。何か悩んでいるようだ。
「レオカディオ四位が、どうかされたのですか?」
「そうね……お兄様とレオカディオ四位があまり親しくないのはご存知?」
「……」
「答えにくいということはご存知なのね」
殿方の縄張り争いにも困ったものだわと、ロベルティナは頬に手を当ててため息をつく。
「でも、実はお兄様はレオカディオ四位の手腕を褒めてらっしゃって……懇意にしたいようなの」
続けられたロベルティナの言葉の真意は、彼女には分からない。悪意はないが作意はある。エウフェミアが気を付けるのは、相手の言葉を丸のみしないこと。
「それでね、エウフェミア様にお尋ねしたいことがあるのですが……」
作意のロベルティナは、美しい笑みを浮かべながらこう言った。
「エウフェミア様は……婚約者が違う殿方に代わっても大丈夫な方?」
花師の学校の庭。午後の日差しは温かに降り注ぎ、講習用の小さな温室がたくさん並んでいる。それぞれの生徒が自分用の温室の前に行き、道具の準備をしている。
エウフェミアとロベルティナの温室は隣同士。
そこまで到着して、エウフェミアは横を向いた。
「……それが大丈夫な方は、いらっしゃるのでしょうか?」
ようやく、そう返事ができた。




