12・蜂の羽
「バルラガン三位が、ディローザにそれほど熱心だとは存じませんでした」
「いえいえ、ディローザを守り育てるのは、エスカランテを愛する者として当然ですから……レオカディオ四位も同じ思いのようで大変嬉しく思いますよ」
バチバチバチバチ。
午後の職務で、またしても顔を合わせたアルフォンソとファウスティノ。今回はアルフォンソの方が顔を合わせたいと思っていたので好都合だった。そのすました顔の金縁眼鏡に、文句のひとつも吐きかけてやりたかったからだ。
花師の学校が再開され、エウフェミアとティアラが入学した初日。アルフォンソは再びエウフェミアの家を訪れて、学校の様子を聞いたのだ。ティアラに聞いたところで、ロクな説明ができるとは思わなかったので。
そこで彼女に、顎の外れるような話を聞かされた。ファウスティノの妹が入学してきたというのだ。
こんなことが偶然起きるはずがない。アルフォンソが事前に学校に対して根回しを行っていたことを調べていたのだろう。その上で、わざとエウフェミアの入学にぶつけてきたのである。
一人であれば珍事だが、二人も揃えばもはや事件。おかげで新聞に写真つきで掲載されてしまった。内戦の終盤から写真つきの新聞が流行し始めたが、いまだ新聞はその手法を続けている。
写っているのは、ディローザを胸につけた二人の女性。顔立ちまではっきり分からない白黒写真ではあるものの、自分の婚約者の方が愛らしいとアルフォンソは思った。
しかし、問題はそこではない。
花師の学校再開。そのために新聞記者が来るのは当然のことだ。しかも今回は女性が多数入学している。それも十分ニュースにはなる。
だがアルフォンソは新聞社に、エウフェミアの件を掲載しないように手を打っていた。一般大衆まで、エウフェミアのことを知る必要はない。そう考えていたからである。
それが反故にされたということは、「もっと上」から許可が出たということになる。四位より上位で許可を出す人間など、たった一人だ。
「しかし、まさか三位の妹君を花師の学校へ入れられるとは、思いきりましたな」
「妹はディローザを愛しております。私も止めたのですが……どうしても行きたいと言い出しまして。困ったことに妹には甘いのですよ、私は」
全然困っている風に見えない男に、口の端をひきつらせながらそれでもアルフォンソは笑う。四位の肩書を持っている限り、笑うのも彼の仕事だった。
しかし釘を刺すのは忘れない。
「ただ……この時期に身内が写真つきで掲載されるのは……不用心だと存じますが?」
「そうでしょうか? 暗い話題が多かったのですから、私の妹の愛らしい姿が国民を笑顔にするのは良いことではないですか?」
にっこり。
金縁眼鏡は、アルフォンソの釘を麦糠の中に突っ込んだのだった
「あの野郎……」
アルフォンソは、自宅でまで笑顔でいる必要はない。存分に顔をひん曲げながら、書斎の机を叩く。
「妹を見事に釣り餌にしましたね」
「餌なら一人でやれ。エウフェミア嬢まで巻き込むな……まったく」
内戦が終わって一年。しかし面倒ごとが全部終わったわけではない。外国に逃げた勢力は、我らこそ正当な政府であると叫び続けているし、国内でもあちらこちらでモグラ叩きが続いている。
見た目は同じ国民のため、潜伏している敵を見つけるのも大変だ。
そんな最中に、ディローザをつけた花師の女生徒が新聞に掲載される。ファウスティノの妹、アルフォンソの婚約者という解説もご丁寧につけてある。
西軍の人間からしてみれば、末代まで呪いたい敵の身内だ。アルフォンソもファウスティノも、元々は西部に領地を持つ人間なのだから。
なのに東軍についた。二人が最初から最後まで西軍にいれば、内戦の決着は違う形で終結したかもしれない。歴史を「たられば」で語ってはならないが、負けた方はいつまでもそのたらればを引きずる。
ただの敵より裏切者の方が余計に憎まれる。そういうものだ。アルフォンソからすれば「俺は最初からこっちだ」というところなのだが。
アルフォンソの父は、最初から息子が敵側になることは分かっていたはずだ。そうでなければ父親は、彼を第三王子の側近になど最初からしない。父親は頑固だが馬鹿ではない。息子を第三王子につけることで、レオカディオ家全滅を防ぐ保険にしたと、彼は思っている。それにより領地は元のまま、アルフォンソに受け継がれた。
西軍の旗頭は第二王子。継承権からいけば西軍の方が上であり、それが彼らの正当性の拠り所だ。
二人の王子の母が違うのも、問題をこじれさせた。片や西部の二位貴族、片や東部の二位貴族。王は必ず東西南北の地域から、一人ずつ妻を娶ることになっていた。
そのため四方領地はそれぞれ結束が固い。領地はそこから動かせないため、一人だけ違うことをすると、周辺領地から確実に締め上げられる。アルフォンソが好きになれない、古臭く淀んだ世界だった。
だが生まれた順番だけの問題だったならば、きっと内戦は起きなかった。
第二王子の不幸は、第三王子が傑物だったこと。
この国の王子として生まれた者は、幼少のみぎりからそれぞれひとつ国の発展に寄与する事業の旗頭になる。第一王子は国の礎である農業生産の向上、第二王子は工業の向上、そして第三王子は商業の向上。
そのおかげでアルフォンソは、第三王子とともに世界を見た。第三、という肩書のおかげで王子は他の兄弟より自由度が高かった。それも幸いして、彼らは学校に入学する年まで商船に飛び乗っては海を渡った。ウィルフレドも一緒だ。
そこで新しい知識、人脈を築き上げた。
当時の第三王子のあだ名は「留学王子」というものだった。国内にいることが少なく、その当時はほとんどの貴族が、第三王子が内戦の火種となる存在だとは考えてもいなかった。
学校へ入学して、留学王子は国内に腰を据えた。だが王子は学校生活を営みながら、国のために一日も無駄にしなかった。アルフォンソも、ウィルフレドもそうだった。毎日が多忙すぎて、まともに学校行事の記憶がないほど。
学業と並行して、輸入した機械による繊維工場の建設、同時に鉄道の普及に尽力した。国庫を圧迫しないよう、作った人脈による「民」の力を存分に利用した。自分の母親の出身である東部とその港を実験地として、都までの鉄道を開通させた。
王子は母の実家を贔屓したわけではない。「そこが一番簡単に無理が利いた」だけである。実際、まだ学生だった第三王子の鉄道計画に手を挙げたのは、東部の貴族だけだった。
しかし鉄道が開通するや、国内は熱狂に包まれた。交通革命である。人と物の流通が劇的に変わり、蒸気機関車に乗って東部の港町へ旅することが大流行となった。
第三王子やアルフォンソは、これはただの通過点に過ぎないと思っていた。平行して南東部へ線路を引くべく準備していたが、ここで待ったをかけてきたのが西部の貴族たちである。要約すると「東部ばかりが利益を得るのはずるい」ということ。更に第三王子が手掛けているものが「工業」である第二王子の領分を侵している、という難癖までつけてきた。
第三王子は構いませんよと笑って、次の鉄道をアルフォンソの領地へと通した。当時五位の領地に。勿論その途中には二位や三位の領地もありはしたが。
どうせ工場を建てたら建てたで、東部ばかりずるいと言われるのだから、工場もアルフォンソのところに建てようと、第三王子は楽しそうに笑っていた。
そうして瞬く間に第三王子は、この国の時代の象徴となったのである。
国民を分かりやすく富ませ、生活の利便性を上げ、結果として税収を上げた。アルフォンソやウィルフレドは、王子と共にそれをやり遂げてきた。
そんな最中、第一王子が病弱のため廃嫡となることが決定した。すみやかに次の王太子が決まるかと思いきや、王も倒れて意識が戻らなくなる。
そうなれば当然起きる。起きてしまうのだ。華々しい成果を挙げた第三王子を御輿に乗せ勢いづく東部勢力を、西部勢力が黙って見ているはずがなかった。
そして──第三王子襲撃事件が起き、内戦が始まった。
内戦は終わったが西部方面の荒廃は、まだ問題が山積みである。アルフォンソの領地に敷かれていた鉄道も一時は破壊され使えなくなっていた。しかし二か月前に完全復旧し、領地とのやりとりが一気に楽になった。鉄道で領地まで片道四時間。このおかげでほぼ毎日、領地と情報伝達の細かいやりとりが可能になった。鉄道がなければ彼は、人手不足のためにかなり長い期間、領地に張り付いていなければならなかっただろう。
第三王子の鉄道計画が、今日のことを予想していたのかは分からない。しかし結果的にアルフォンソは、多忙と引き換えではあるものの国政に携わり続け、己の影響力を中央に残し続けることができた。
だからこうして、日々ファウスティノと王宮にて火花を散らすことができるのである。
領地の本屋敷で咲いていたディローザは、いまは一輪もない。部下や使用人はいるが、待っている家族もいない。
彼にとって新しい家族になるエウフェミアを、彼は必ず守るつもりでいたし、そのためにすべきことは全部したというのに、眼鏡三位の茶々で台無しだ。
「エウフェミア嬢の護衛を増やせ」とウィルフレドに指示を出す。
「男の護衛は何とかなりますが、問題は女の護衛です」
教養のある腕利きの女性は本当に少ない。いたとしても、高貴なご婦人たちの間で奪い合いの状態だ。
アルフォンソの手持ちの人材の中で、確かに一人、いるにはいる。
しかし。
「カリナを専属の護衛に切り替えます……代わりにこの屋敷のメイドを一人送ればカリナの負担も減るでしょう」
アルフォンソの迷いを、この右翼はよく分かっている。
「すまん……」
「お構いなく。妹も同じ返事をするでしょう」
カリナの有能さは本当に破格だ。有能すぎて困るほどに。そのせいで、ウィルフレドがいまだ妹をディローザをつけられる身分にしていないことも、彼はよくよく理解していた。
「必ず報いる」
未来の約束しかできない自分を、腹立たしく思うこともある。
「疑っておりません」
右翼は、いつもの真顔でそう答える。
たとえ金銀財宝を積まれても、決して手放せない兄妹だった。