11・花の学校
「ごきげんよう、エウフェミア様」
「うー、花ぁ、花ぁ」
エウフェミアはティアラと並んで席に着いていた。その反対隣に輝く黒髪の美しい少女が座る。瞳と同じ深い緑のワンピースは控えめだがとても質がいいのが分かる。しかし、ワンピースよりももっと気になるものがあった。
「ご、ごきげんよう……」
エウフェミアは戸惑いながら挨拶を返し、前を向いた。平民仕立てだがきっちりとした背広を着込んだ初老の男が室内に入ってきてこう言った。
「これより、花師になるための講義を行う」
ここは花師の養成学校。
内戦後、ようやく再開された学校に入学したエウフェミアは、周囲を花師になりたい女性たちに囲まれていた。
どうしてこんなことに──新しい環境に、彼女はまだ少しも慣れていなかった。
結論から言えば、アルフォンソとの婚約解消の提案は消滅した。
申し出をした翌日の夜にはアルフォンソは彼女の父と共に帰宅し、自宅の貴重なディローザの苗を持って詫びた。菓子と酒と本も一緒に。
誠心誠意とは、ああいうものを言うのだろうと、アルフォンソの態度を見て彼女は思った。家格を考えればいくらでも無理が利くというのに、彼は父とエウフェミアに本当に申し訳なさそうに詫びた。
そこまでならば、詫びを受け入れて終わりという話。しかし、彼女の予想を大きく外れたのはそこから先だった。
「俺はどうしてもエウフェミア嬢をあきらめきれない……だが、花師になりたいという願いも尊重したい」
声に気持ちが込められる人がいる。悪い意味で、エウフェミアはアルフォンソのそれを聞き分けたことがあった。しかしそれは、逆の方向にも作用する。
いま彼が口にしていることが、何もかも「本気」に聞こえたのだ。
「俺は……花師になった後でも、君に俺の妻になってほしいと願っている」
その本気の声が、夏の日差しのような熱が、エウフェミアにまっすぐに注がれるのを感じて、彼女の身体は安物のソファの上で上下に跳ねさせられた。
彼の本気の証拠は、ディローザの苗と本。本は──花師の養成学校に入るための指南書だった。
「ふつつかな苗ですまないが、受け取ってほしい」
己の命のように、彼はそれを差し出した。
四位のディローザの苗だ。いまは確かに美しさに陰りはあるが、本気で咲けばどれほどの輝きになるのか。エウフェミアは、自分の喉がごくりと鳴った音に驚いた。
アルフォンソの常識外れの本気には、父も圧倒されたらしく、声を出せないように呻いた後、隣の娘を見つめてきた。父の立場からは「はい」としか答えようがない。本当にそれでいいのかと、助けを求めているかのように見えた。
そして最後のダメ押しが、アルフォンソから告げられる。
「もう絶対に……君を試さないと誓う」
ここまで乞われて、どうして「いいえ」と答えられようか。
後でカリナが真顔で「八点ですね」と言っていた。修養学校では十点が満点だった。あれ以上、何を求めるというのだろうか。
それからほぼ毎日、午後にアルフォンソの屋敷から馬車が迎えに来るようになった。午前中のエウフェミアは、自宅のディローザの手入れがあるからだ。
そこで彼女はティアラと二人、花師の学校に入るための勉強をする。これはアルフォンソに仕事として依頼された。ティアラにも正式な資格を取らせたいが、花馬鹿ゆえに座学や礼儀作法を一切やりたがらない、と。
エウフェミアとしてもティアラが一緒に学校に行ってくれると、自分一人ではないという理由で心強くはあるのだが、彼女を動かすのは本当に一筋縄ではいかなかった。
「お前は、目の前にニンジンをぶら下げられないと、ほんっとうに花以外のことはしないな」と、アルフォンソが苦虫を嚙み潰した顔で唸る。
「合格したらお前の欲しいものを用意してやる、何が欲しいんだ」
ティアラは迷うことなくこう答えた。
「この子と、この子の苗!」
エウフェミアは袖を引っ張られていた。自分がニンジンになる日が来るとは、夢にも思っていなかった。
エウフェミアは、ここしばらくずっと自宅で苗を増やしている。いままでは自分の家の分だけあればよいと思い、余裕を持たせながらも数を調整してきた。
けれど父もエウフェミアも、あの詫び訪問以来、アルフォンソを好ましく思い始めていたのは確かで。結婚もしていないのにアルフォンソに苗を贈られたいま、よりよい苗ができたら贈り返そう。そう父と話をしていた。
だからアルフォンソが、「俺が用意できるものにしろ」と抗議している横から「大丈夫ですよ」と声をかけた。彼が驚きに目を瞠った顔で、一瞬止まる。エウフェミアはこの表情が、とても好ましく思えた。婚約者の驚く顔が好き、というのは心の中にしまっておくべき感情だとは分かっていたが。
「本当!?」と、食いつくようにとびかかってくるティアラの首ねっこを、アルフォンソが引きもどす。
「私も、一緒に学校に行けると心強いですし、父の了承も実は取れています……大丈夫ですよ」
何とも困った顔をしたアルフォンソにそう告げると、彼は深いため息の後で「助かる」と呟いた。この人は本当に、声が正直な人だと思った。
彼の大きな手に掴まれてじたばたしているティアラが「合格はいつ?」と騒ぐ。
「その前に勉強しろ」
暴れる赤毛の娘をソファに沈めた後、彼の赤味がかった茶の瞳がエウフェミアを見つめる。
「こいつを頼む」
「はい」
その後、エウフェミアの自宅にまた菓子と酒とディローザではない観賞用の花束が贈られてきた。
「自分で持ってくるべきですよね」
カリナは本当に自分の主に厳しい。
そして二人は花師の学校に入学した。二人ともアルフォンソの紹介で、という形になった。
紹介と言っても無料ではない。学校の運営資金の多くを占めるのが、この紹介料である。エウフェミアは遠慮しようとしたが、アルフォンソがどうしてもと譲らなかった。
「これくらいは婚約者の俺にさせてくれ。勿論、これには俺の打算もある」と、打算の部分を聞かせてくれた。もう試さないという約束以来、彼は必要なことはできるだけ話をしてくれるようになっていた。
紹介した貴族がその花師の後見人になる。庇護下に入ると言い換えてもいい。それが、学校内で彼女たちを守る盾となる。彼女たちにケンカを売るということは、アルフォンソにケンカを売るということになるという。
「婚約者である俺の同意の上、エウフェミア嬢が学校に通うということでもある。どうか俺に後見をさせてほしい」
説明に納得し、彼女はアルフォンソの庇護下に入ることとなった。女性がほとんどいないあの学校で、無用な諍いに巻き込まれたいわけではなかった。
しかしふたを開けてみれば、花師養成学校はエウフェミアたちを除いても、前代未聞の事態が起きていた。約四十人の生徒の内、実に三割が女性だったのである。
内戦で花師の夫を亡くした妻たちで構成される未亡人会が、複数の貴族で運営される慈善団体の後押しの元、生徒を送り出してきたのだ。
そのおかげでエウフェミアに対する、好奇と嘲笑の視線が薄まった。それは喜ぶべき出来事だ。
二十代から三十代の女性がほとんどの中、十代はエウフェミアとティアラ──そしてもう一人。
輝く黒髪と深緑の瞳の美しい女性。入学式の日、その女性はまっすぐにエウフェミアたちに近づいてきた。
「同じ年ごろの人がいて嬉しいわ。お友達になってくださる?」
物怖じしない、しかし上品さはそこなっていない彼女は、エウフェミアの手を取って「ね?」と微笑んだ。何故物怖じせずエウフェミアの手が取れるのか、不思議に思う必要はない。
「私はロベルティナ・デル・バルラガンよ。どうぞよろしくね」
その女性は、エウフェミアと同じだからだ。
胸の真ん中に──赤い花が輝いていた。
アルフォンソ「何故八点だ。一体何が足りない」
カリナ「愛の言葉がまったく足りておりません」




