第五伝: 光りの指す方へ
<アナトリス孤児院>
翌朝。一人帰路についたフェイトを待っていたのは、笑顔を浮かべるフィルだった。まだ孤児院の子供たちとエルノアは昨日の疲れからか眠りについているらしく、フェイトが帰るなりフィルは口元に人差し指を立てて静かにするように促す。
「待っていたよ、フェイト君」
「昨日はごめんなさい、ちょっと気まずくて……」
リビングの椅子に着くなりフェイトはテーブルの上に置かれていたお茶を一口啜った。いきなり本題を始めるかのように向かい側に座るフィルが口を開く。
「……君の事で、話がある」
「そうだろうと思ってました」
「フェイト君は、騎士になるつもりはないかい?
フィルは真剣な面持ちでフェイトの顔を見つめた。その視線に気おされ、フェイトは顔を俯かせる。
「俺は……ずっと騎士になりたかった。誰かを守れるような騎士に。でも、ここからいなくなったら孤児院の生活は厳しくなる。そんなこと、俺は見過ごせない」
そうか、とフィルは掛けていた眼鏡を外しながら再度フェイトの顔を見据えた。
「なら、僕らがここの孤児院を支援すると言ったら? 」
「……⁉ それは、どういう事ですか……? 」
「文字通りの意味だ。昨日の騒動があった以上、特務行動隊はこの周辺の治安を保つため警護に当たる必要がある。それに……経済的な支援が必要なら、僕が手配しよう。勿論、君が望む期間までね」
いきなり切り出されたフィルからの言葉に、思わずフェイトは言葉を呑む。そんな誰もが望むような好条件をいきなり提示されて、疑わない方がおかしい。何か裏があるのでは、とフェイトは訝しむような視線をフィルに向ける。
「あはは、いきなりこんな事言われて信用しろっていう方が無理か。なら、これを見てくれるかな」
フィルはその言葉と共に隣に置いてあったカバンから一枚の書類を取り出す。そこには"ヴァルメール都立士官学校特別推薦枠入学届"と記されており、入学推薦者の項目にフィルの名前が刻まれていた。
「君は首都ヴィシュティアにあるヴァルメール都立士官学校の推薦者に選ばれた。推薦したのはこの僕だ、フェイト君」
「ど、どうして……? 」
「それは君が守護騎士に選ばれたからだ。この世界を守るには、君の力が不可欠となる。だから、できるだけの支援はする。それだけの話さ」
それに、とフィルは続ける。
「この学校には推薦枠に選ばれた人間に対して最大級の支援を実施すると校則にあるんだ。君のような、素質のある人間を失うわけにはいかないからね」
「でも、俺は……」
その時、二階の階段から誰かが降りてくる足音が聞こえる。この孤児院の院長であるエルノアの足音で、今までの二人の会話を聞いていたのであろう、彼女の表情は寂しげな表情を浮かべていた。
「……行っといで、フェイト」
「お、おばさん……⁉ 」
「アンタが騎士になりたがってた事くらい知ってるよ。それにここの事は心配しないで。フィルさんがわざわざ申し出てくれたんだ、それに村の皆も」
「みんなが……」
フェイトはうつむく。エルノアや、ハルシャガ村の村人全員がフェイトの門出を祈っていることは今の彼女の言葉で理解できた。フェイトは今一度、拳を深く握りしめる。
『……フェイト。再び、決断の時は来た。その力を持て余すか、それともその力を世界の為に使うか。逃げてもいい。それは誰も攻めない。お前の選択だ。我も受け入れよう』
「ディルグリウス……」
『我から言えるのは一つだけだ。お前の心に従え』
ディルグリウスの言葉がフェイトの脳内に反芻した。この時を逃したら、もう夢をかなえる事は出来ないかもしれない。世界の滅亡の時を、この地で刻一刻と待つ事しかできないかもしれない。フェイトは、うつむいた顔を上げた。
「……フィルさん。散々貴方の誘いを断ってきましたが……俺、士官学校に行ってもいいですか? 」
フェイトの言葉を受け、フィルは一瞬驚いたような顔を見せた後、普段通りの笑みを浮かべる。そしてフェイトへ歩み寄り、右手を差し出した。
「もちろんだ、フェイト。ずっと待たせてしまったようだけど……これからよろしくね」
「……! 」
フェイトは壁に寄り掛かるエルノアへ振り向く。そんな希望に満ちた顔を見せられては、エルノアは頷くほかなかった。
「よろしく……お願いします、フィルさん」
力強くフェイトはフィルの差し出された右手を握り締め、固い握手を交わす。ここに新たな守護騎士が、新たに産声を上げた瞬間だった。
「よし、なら話は早い。この書類に君とエルノアさんのサインが欲しい。いいかな? 」
「任せて。ほら、フェイト」
「お、おう! 」
言われるがままエルノアが書類にサインする様子を見つめた後、手渡されたペンで自分の名前とサインを記入していく。これで晴れてフェイトはヴァルメール都立士官学校の推薦者として選ばれることとなった。期待と不安が押し寄せる感覚を胸の中に覚え、フェイトはエルノアとフィルの顔を交互に見やる。
「……おばさん。俺、またわがまま言っちゃったね」
「いいんだよ。むしろ今まで、あんたが支えてくれた。わがままの一つくらいどうってことない」
「お兄、ちゃん……? 」
突然聞こえた声にフェイトは振り向き、彼の視界に寝間着姿のユリスが映った。今の会話を聞いていたのだろう、彼女の表情は茫然としている。
「ユリス……」
「お兄ちゃん……どこかに行っちゃうの? 」
ユリスから投げ掛けられた言葉に思わずフェイトは口をつぐんだ。彼の表情が答えとなったのか、ユリスは悲しげな表情を浮かべる。
「嫌、だよ。お兄ちゃんがどこかに行っちゃうなんて……」
「……ユリス。聞いてくれ。お前が一番お姉ちゃんだから、話しておかなきゃいけない」
「嫌だって言ってるでしょ! 言い訳なんか聞きたくない! 」
「いいか、大事な話なんだ。聞いて――――」
「嫌だっ! お兄ちゃんの嘘つき! お兄ちゃんなんか大っ嫌い! 」
その言葉と共にユリスは寝間着のままフェイトとエルノアの間を駆け、一気に孤児院の外へと出ていった。フェイトはそんな彼女を追いかけようとするも、エルノアとフィルの顔を再度見やるために立ち止まる。
「行ってきなさい。彼女を説得できるのは、君しかいない」
「マックスとレニーには私から話しておくよ。行ってきな、フェイト」
二人の言葉にフェイトは頷き、そのまま孤児院を出る。玄関近くに彼女の姿はなく、フェイトに一瞬の焦りが生まれた。そのままフェイトは村へ向かう方向へ走り出し、息もつかぬ足取りでユリスを探し始める。
「ディルグリウス! あの子の匂いとかわかんないのか⁉ 」
『我を犬か何かと勘違いしていないか、お前は……? 』
まあいい、とディルグリウスは両目を閉じ、感覚を研ぎ澄ませた。しばらくすると彼はゆっくりと目を開き、フェイトに視線を落とす。
『村の外れに小川が流れている場所があるな? そこにいる』
「ほ、本当にわかるんだな……」
『彼女の鼓動を探ったまでよ。急げフェイト』
よし、と一呼吸入れてからフェイトは再び走り出し、まだ朝焼けが出来切っていない村の広場を駆けた。農作業をしている村人がフェイトに気づき、声をかけようとするも彼の表情に気圧され、そのまま驚いたような顔を見せる。
「やけに張り切ってるなあ……」
そんな言葉を横目に、フェイトはひたすら野原を走った。やがて川のせせらぎがフェイトの耳に入り、ユリスの姿を探し回るかのように周囲を見渡す。肩で呼吸をしながら草木を掻き分け、やがてほとりで座り込む一人の少女を目にした。
「ユリス……」
「……お兄ちゃん」
彼女の宝石の両目は赤く腫れあがっており、今まで泣きじゃくっていたことはフェイトにもすぐに理解できた。何も言わずフェイトは彼女の隣に座り込み、その場にあった石を拾い上げる。
「……ごめんな。兄ちゃん、お前たちに何も話してなかった。大嫌いって言われても、しょうがないよな」
「…………」
「でもな、兄ちゃんは行くよ。俺は、もうあの時みたくユリス達を危険な目に遭わせたくない」
「……でも、離れ離れになるのはつらいよ……」
ようやく口を開いたユリスは、再び涙を目に浮かべながらフェイトの横顔に視線を向けた。
「……兄ちゃんは、いつでもお前たちの傍にいる。助けてって言ったら、いつだって駆けつける。だから泣くなユリス。ここからヴィシュティアへはそんなに遠くない。いつだって会いにいってやる」
「うん……」
「絶対に帰ってくる。おばさんやマックス、レニー……それにユリスに会いに行くよ」
「うん……うん……! 」
感情が抑えきれなくなったのか、ユリスは再び涙を流しながらフェイトの胸に飛び込んでくる。そんな彼女をフェイトはただ受け入れ、優しく頭を撫でた。たとえ血が繋がっていなくとも、今の二人の姿は本当の兄妹のように見えた。そのままユリスを立ち上がらせ、フェイトは彼女の手を引きながらゆっくりとその場から歩き始める。
「帰ろう。朝飯も食ってないしな」
「……うん」
フェイトとユリスが歩いていく様子を、いつの間にか昇っていた太陽が見つめた。まるで、二人を見守るかのように。




