第二伝: 加速する運命
<ルフペリの森・入り口付近>
フェイトは失っていた意識を徐々に取り戻し、やけに温かい背中の上にいる事に気づく。恐る恐る顔を上げてみると、そこには青いサーコートの背面が視界に移り込んだ。自分が背負われている事に気付いたフェイトは慌ててその場から飛びのく。
「うわっ、うわわっ⁉ 」
「おおっと」
飛びのいたところでフェイトの身体は地面を転がり、そこら中に短い砂埃が立ち込めた。立ち上がろうとするも、両足に力が入らずフェイトは不安げな表情を浮かべる。そんな彼を見て銀縁の眼鏡を掛けた青年の騎士――フィランダー・カミエールは手を差し伸べた。
「まだ無理をしない方がいい。あの魔物と戦って傷を負ったんだ、立つのもやっとだろう」
「あ、貴方は……って、すみません。助けてくれたのに、お礼も言わずに……」
「いいんだ。人を守るのが僕の仕事だからね。改めて自己紹介させてもらうよ。僕はフィランダー・カミエール、気軽にフィルとでも呼んでくれ」
「は、はい。フィルさん……ん?あの……付かぬ事を聞きますが、もしかして八英雄のフィランダー・カミエールさんですか? 」
「あはは、そんな大層な人間じゃないけど。でも、君の言う通り。僕は八英雄・波濤の剣聖、フィランダー・カミエールだ」
思わずフェイトの身体が強張り、驚いたように目を見開く。瞬間フェイトは先ほど受けた傷さえもなりふり構わず、その場から立ち上がった。
「しっ、失礼しましたっ⁉ ま、まさかあのフィランダーさんがこんな田舎に来るだなんて思わなかったもので……! 」
「止してくれ、フェイト君。そんなに畏まることないよ、同じ人間なんだから」
「は、はあ……でも、どうしてこんなところに? 」
「……少し、調べたい事があってね」
フェイトの問いにフィルは僅かばかり表情を曇らせる。彼の答えにフェイトは自分のポケットに入っていた鉱石が脳裏をよぎるが、あえてそれは口に出さなかった。ようやく歩き出そうとするとフェイトの身体は再び膝をつき始め、深いため息を吐くことになる。
「無理をしないで。君の傷はまだ癒えた訳じゃないんだ」
「……でしたら、肩を貸してください。自分の足で歩きたい。帰ってきてチビ達に心配を掛けたくないんです」
「分かった。ほら、僕の腕につかまって」
肩を組む形でフェイトはフィルに身体を預け、止まった道を再度歩き始めた。近くの村に差し掛かるとボロボロのフェイトの姿に村人の視線が釘付けになった。驚いた声を上げながら二人の老夫婦がフェイトたちの下に駆け寄り、不安げな表情を見せる。
「フェイト⁉ さっきクラウスがこっちに来たけど……あんた何かあったのかい⁉ 」
「大丈夫だよおばさん……俺は何ともない。この騎士さんが俺を助けてくれたんだ」
「大丈夫そうには見えないぞ……。シャリア先生を呼んでくるか? 」
「すみませんお二方。お医者様がいるのでしたらアナトリス孤児院にまでお願いします」
「あ、アンタは……? 」
「彼を見つけた騎士です。怪我をしているのを偶然見かけ、彼を助けました。事態は一刻を争います、お願いします」
男性の方はしばらく考える素振りを見せながらフィルの顔を凝視した。何かが引っ掛かった表情を浮かべつつも男性はしぶしぶ頷き、フェイトに一言掛けてから後を立ち去った。
「どっかで見たことある顔だったな……あの騎士さん」
「もう、あんたの記憶は頼りにならないんだから止めてよ。それよりも後で孤児院にご飯持って来ましょう」
「そうだな、そうしよう」
そんな会話を繰り広げながら徐々に声が薄れていく光景を一瞥する。胸の内に二人への礼を言うとフェイトはフィルに肩を借りながら村を抜けた。そう歩き続ける事数分、見慣れた施設の景色が彼の視界を覆う。
「ここが孤児院です。この時間にはおばさんしかいないはずです……ちょっと呼んできますね」
「無理しないで。事情は僕から説明しておくから、今は休んでなさい」
フィルは木製の扉を空いた手で数回ノックすると、扉の向こうから足音が聞こえた。エルノアが扉を開けた音が周囲に響くと、彼女はまず傷ついたフェイトの姿を見て驚いたような表情を見せる。フィルの方へ顔を向け、猜疑心を孕んだ視線を彼に向けた。
「あんた……うちのフェイトに何かしたってのかい⁉ 」
「そういう風に思われるのもごもっともです、ご婦人。ですがそれは違う。狩りで怪我をした彼を偶然通りがかった僕が見つけ、ここまで運んできました。ひとまず応急処置はしていますが、医者の治療を施さないと重症化する恐れがある。まずは彼をベッドに寝かせたいんですが」
「本当だ……おば、さん……。この人は……俺を助けて、くれたんだ……」
「……分かった! すぐに二階へ運んで! フェイトの部屋があるから! 」
エルノアの言葉にフィルは頷き、足早に孤児院の階段を上がっていく。部屋の扉を足で開けるとフェイトの身体をベッドの上に寝かし、傷を覆っていた赤黒い包帯を取った。よし、とフィルは銀色の籠手を外すと右手をフェイトの傷口に向け、簡易的な回復魔法の詠唱を始める。
「止まれ・無根の血跡」
フィルの右掌から緑色の暖かい光がゆっくりとフェイトの傷口に流れていき、とめどなく流れ出ていた傷口を塞ぎ始めた。この世界、プロメセティアでは万人向けに魔法が使用できるように魔法具という魔導核を含んだ装飾品が多く出回っている。通常、フィルのような人間が魔法を駆使するのには魔導書の暗記であったり術式の構築などの正式な魔導暗記手順を踏まなければいけないが、この魔法具の発明により一般の人間への魔法の普及率が劇的に増加した。
「騎士さん、医者を呼んできた! 開けておくれ! 」
「はい! 」
部屋の扉を開けると不安げな表情を浮かべたエルノアと頭にバンダナを巻いた大柄な男性がそこには立っていた。男性――シャリアはフィルに目もくれず治療を待つ患者であるフェイトの下へ歩み寄る。血の付いた包帯と服をどかし、手にしていたカバンから聴診器を取り出して彼の心音を聞き始めた。その後、手首に触れると脈が正常である事を確認し、今度は既に塞がっている傷口に視線を移す。
「……傷は塞がっているな。貴方が治療を施したようだが」
「えぇ。まずは出血を止める事が先決だと思いましてね。それで、彼の容体は? 」
「一先ずは問題ない。傷が塞がっているが、血流が弱まっている。それと……魔法攻撃を受けた痕跡が見られるな。魔導中毒にならないよう、これから病院に戻って煎薬を作ってくる。それまでの間、彼を見ていてくれ」
「あぁ……良かった……」
「ありがとうございます。それで、治療費の方ですが……」
「必要ない。彼とは昔馴染みだ、それにいつも旨い肉をおすそ分けしてもらっているからな。今更金はとらんよ」
そういうとシャリアは短く息を吐きながらバンダナを外し、その場を後にした。フェイトの部屋にはエルノアとフィル、それに安心して意識を失っているフェイトだけが残される。
「……騎士さん。詳しいお話を聞かせておくれ。どうしてこの子がこんな目に遭ったのか……それに、あなたのような高名な方が来られた理由をね」
「僕も丁度そう思っていました。下でお話させてもらっても? 」
エルノアは頷き、フィルを孤児院のリビングへ招いた。既に湧かしてあったお湯の入ったポットを二つのマグカップに傾け、ハーブティーを椅子に座るフィルに差し出すと、エルノアは彼と向かい合う形で腰を落ち着ける。
「……さて。どこから話したものか……。まず、僕はフィランダー・カミエール。魔導連邦フレイピオス政府直属特殊任務遂行部隊・特務行動隊の第一部隊に所属しています」
「あたしはエルノア・ウォーノック。ここの孤児院の院長をしてる。お会いできて光栄だよ、波濤の剣聖さん」
「はは、僕には過ぎた名前です。さて、さっそく本題に移りましょうか」
フィルはマグカップを手に取り、芳醇な香りを立たせるお茶を一口含んだ。
「近年、記録に載っていない謎の魔物に襲われて死傷者を多く出している事件が各地で多発していることは、ご存知ですか? 」
「確か子供も殺されているって話だったね……」
「はい。その魔物の目撃情報が、この村の近辺で幾つも上がっていることから特務行動隊に偵察命令が下りました。僕がここに来たのはこの周辺の調査を行う為。そして、本題はここからです」
エルノアは息を呑む。
「フェイト君は、その謎の魔物に狩りの最中襲われた。本来ならその魔物と対峙すれば常人では耐えられない。それほど強大な相手なのですが……彼は臆するどころか攻撃に転じていました。そこで僕が助けに入り、今に至るというわけです」
「結果的に……やられちまったけどな……」
「フェイト⁉ あんた寝てなきゃダメでしょうが! 」
「いいんだって……それに、今のフィルさんの話が気になる……」
二階に上がる階段から物音が聞こえたかと思うと、脂汗を額に滲ませたフェイトが苦悶の表情を浮かべつつそこには立っていた。フィルに支えられながらリビングのソファに腰かけると、フェイトはフィルに視線を向ける。
「フィルさん……あなたに黙っていたことがあるんです……」
「黙っていたこと? 」
フェイトは自分が履いていたズボンのポケットに手を入れ、先ほど拾った七色の鉱石を取り出した。その石を見るなりフィルは目を見開き、視線をフェイトに向ける。
「……これをどこで? 」
「狩りをしてる最中に……拾いました……。見たこと、ない鉱石、だから……多少は生活費の足しに、なるかと思って……」
「……フェイト。よく聞いてくれ。その石は、本来であればこの世界の人間が触れたら体内の魔力が暴走していずれ死に至る。だが、君は平然としている……」
その後、フィルはエルノアの方へ振り向いた。彼の掛けていた銀縁の眼鏡が日光に当たり、微かに煌く。
「……エルノアさん。今から僕の話を落ち着いて聞いてください。信じられないかもしれませんが……」
「……覚悟は、出来てるつもりだけど」
「フェイト君は、選ばれました。この世界を守る使命を背負った、守護騎士に」