運命の鉢合わせ
地上でマーニャ達がバトラキールたちと鉢合わせていたころ……。
地階でもまた、運命の出会いが待っていたのだった。
―――地上に残されたマーニャ達が、バトラキールたちと遭遇する直前。
ちょうどその下……地下道を、魔王が通過していたところであった。
彼は魔法で造り出した灯火を指先に集めて、そこから発せられる僅かな光を頼りに暗闇を進んでいた。
飛行魔法は使用が出来ない状況だが、他の魔法は問題なく使える事に安堵しつつも、右も左もわからぬ地下迷宮に叩き落とされて魔王は先程から愚痴が止まらなかった。
「……ったく……。なんで飛行魔法が使えないんだよ……。それさえ使えれば……。俺が地上に戻った暁には、絶対……」
そう零す魔王であるが、しかし飛行魔法だけを制限している理由も知っており、その発言はどちらかと言えば出口の見えない行軍を強いられている事への怒り……そして、そのような境遇に至ってしまった自分への憤りによるものだった。
その時、彼が進んでいる遥か前方より、大質量の土石が落下し降り積もる様な大音響が鳴り響いてきた。
光も届かない曲がりくねった通路の先で起こった出来事にも拘らず、魔王が視認する前からそう確信出来たのは、先程自身の身を以て同じ轟音を耳にしていたからに他ならない。
魔王は疑う事無く、上方の通路から落とし穴に嵌り誰かが落ちて来たと察し、極力気配を消して音のした方向へと慎重に歩を進めた。
暫く進むと案の定、濛々と湧き上がる砂煙と少なくない土石の山が魔王の目にも確認出来た。
彼がユックリと土石の山より上方に視線を遣ると、遥か上空に見えている小さな光が閉じて行く処であった。
飛ぶ事が出来ない状況では、例え落とし穴が開きっぱなしだったとしてもどうしようもない事なのだが、魔王は消えて行くその光を名残惜しそうに見つめていた。
光が完全に失われたと同時に、土石の山から再び瓦礫の出す音が聞こえだした。
魔王が再度そちらへと目を遣ると、その瓦礫を掻き分けて中から人の影が這い出して来る所であった。
「……もうっ! 何で飛行魔法が使えないのよっ! 死ぬかと思ったじゃないっ!」
(……いや、普通は死んでるだろ……)
恐らくは女性だと思われる人影が発したその呟きを、魔王は心の中でそうツッコんでいた。
ブツブツと文句を言い埃まみれの身体を叩きながら瓦礫の山から出現したのは、綺麗な金髪に少し幼さが残る美しい面持をした女性だった。
だが魔王には、彼女がただの女性でないと言う事がすぐに察せられた。
決して安全とは言えない魔王城に訪れ、通路に仕掛けられたトラップに掛かり、そのまま地下通路まで落とされ、特にどこかを痛めた様子もなく動いているのだ。
この地下通路から上空の落とし穴まではかなりの高さがあり、魔王としては「この高さを落下してよく無事なものだ」と呆れ返る程であった。
もっともそれは、魔王の方とて同じことが言えるのだが。
そんな彼女の持つ頑強さは、到底一般人とは程遠い。
そして何より、彼女の身に纏う装備が魔王の警戒心を呼びここしていたのだ。
暗闇が多く支配する地下通路に措いて、彼女の身に付けている防具は淡い光を発してその存在感を浮き彫りにしていた。
当然、一般の装備にその様な効果を持つ物は無く、彼女の身に付ける胸鎧、籠手、脛当に特殊な効果が宿っている事は窺い知れたのだ。
「……っ!? だ、誰っ!?」
唖然としていた魔王に……正確には彼の指先に灯した光に気付いた少女が、腰にした剣の柄に手をやりながら警戒心も露わに問い質した。
様々な思案を巡らしていた状況で、いわば全くの油断している状態に詰問を受けて魔王は少なからず狼狽してしまった。
「お……俺は……」
思考が纏まらない魔王の言葉は躓き、尻すぼみに小さくなっていった。
目の前の女性が魔族でないならば侵入者で間違いはなく、そんな彼女にわざわざ自分が魔王である事を打ち明ける事は出来ず、さりとて即座に気の利いた台詞が彼の口から飛び出る様な事も無い。
結局は余計に不審がられる様な、くぐもった言葉を出すだけで精一杯だったのだ。
「……あんた……魔族ね?」
しかし魔王が答えるよりも先に、少女の方が質問を続けて来た。
魔王にとっては有難い事であり、もしも先ほどの沈黙が続いていたなら恐らく彼は自身の本性を話していたかもしれなかったのだ。
「あ……ああ……」
ただしここでも魔王は最適な返答が出来ずに、この様な曖昧模糊な言葉を発するに止まった。
だがそれと同時に、彼には何となく分かって来た事があるのだ。
恐らく彼が策を弄して言葉を投げ掛けなくとも、彼女は必要な事を「自ら」喋ってくれる。
彼女の語調と話し方から魔王はそう結論付け、この場は流れに任せる事と決めたのだった。
「ここで何をしているのっ!? もしかして、私を追ってここまで来たの!? それともこれは、只の遭遇戦かしらっ!?」
彼女の話し方には警戒心が酷く含まれており、僅かな切っ掛けでも腰の剣を引き抜きそうである。
ただ案の定、彼女の口にする言葉には聞くべき点が多く、それは魔王の想像と合致するものが含まれていた。
しかし彼女が「何者」であるかは明確に判断出来ず、今は情報収集に専念する事と決めたのだった。
「……俺も……その……上から落とされて来たんだよ……」
だから魔王は、自身の境遇を素直に話す事と決めた。
勿論、自分が魔王である事は最後まで知られてはならない秘密だ。
その事を隠しながら、現在自分が置かれている状況については話しても問題ないと判断したのだった。
だがその境遇を自分で改めて口にしてみれば、魔族でありながら魔王城のトラップに引っ掛かったと言う理由は何とも情けない話であり、彼は酷く恥ずかしい気分になっていた。
「……ぷっ」
僅かに無言の時が流れた後、彼女の口から何かを吹き出す様な音が漏れた。
「ぷっ……あはっ……あっははははっ!」
その途端、まるで堰を切った様に少女の口からは笑い声が溢れだし、周囲の壁に反響して辺り一帯に鳴り響いた。
魔王としては酷く侮辱された気分ではあったが、彼としても少女と同じ心境であり文句も何も言え無かったのだった。
「あ……あんた魔族なのよね!? な……なんで魔族が、じ……自分の本拠地で罠に……罠に掛かってるのよ……ぷふっ!」
魔王としても、何故自分が自身の城で罠に掛かって困り果てなければならないのかと言う不満と、その滑稽さを笑う気持ちがない交ぜとなっていた。
彼女の言う通り魔族が魔王城の罠に掛かるなど、多くの文献に目を通した魔王自身でさえ初耳であったのだ。
「し……仕方ないだろっ! 俺だってこの城は初めてだったんだからっ!」
余りの羞恥で頭に血の昇った魔王は、思わずそう口走っていた。
しかしその言葉は、半分が本当で半分は間違いである。
彼はこの城の主であり、魔王となってからは殆ど毎日「魔王の間」で執務を執り行っていた。
その意味で、彼がこの城を初めてだと言う言葉は間違っている。
だが魔王の言う、「この城」とは「魔王の間」よりも下層の事を指し、彼はその下層に殆ど足を踏み入れた事が無かった。
この城の殆どを形成する下層部分に今まで訪れた事が無いと言う意味では、この城の事が初めてだと言うのも強ち間違いではないのだ。
しかし無意識にそう言い放った事が、今回この場では功を奏す事となる。
「……ふ―――ん……。そうなんだ……」
何かを偽ろうとした言葉では無かっただけに、少女にも彼の言葉に嘘偽りを見つける事が出来ずそのままの意味で信じたのだ。
それに今の魔王は、とても「魔界の支配者」と言った姿には見えない。
丁度「魔王の装具」を身に付ける途中だったと言う事もあり、今の彼はごく普通のシャツとズボンを身に付けた姿であったのだ。
更に先程、瓦礫と共に落下した事もあり、彼の衣服はあちこちが擦り切れ薄汚れていた。
見るからにみすぼらしい姿の彼を見て、誰が彼を魔王だと思うだろうか。
当然、少女もそう思った様で、恐らく彼女には彼の事が魔界の一般人、何処かの村に住む青年魔族程度にしか映っていないだろう。
「それで……あんた、これからどうすんの?」
事実そう映ったようで、少女には今すぐ魔王をどうにかしようと言う気が起こらなかった様だった。
剣の柄に掛けていた手も離し、先程まで纏っていた緊張感も今は霧散して消え失せていたのだ。
「……俺は……上に……上に戻りたい」
その問いに対して魔王は、実に素直な返事をした。
だが、この言葉も実は言葉足らずであり魔王は上、つまり「魔王の間」へ戻りたいと言う意味で言ったのだ。
元々、彼の目的は「魔王の間」へと戻る事であり、その事をわざわざ補足する必要など無い。
少女と魔王が出会ってまだ数分と言う事もあり、双方で意思の疎通など測られている訳もなく、当然その真意が彼女に届く事は無かった。
「そりゃ……そうよね……。私も早く上に戻って、仲間達と合流しなきゃだし……」
当然彼女は魔王の言葉を、「上の階層」程度にしか捉えなかった様であった。
もっとも彼女にしてみれば、落とし穴で落とされた地下通路でまさか魔王と遭遇するなど考えもしなかっただろうし、その魔王が若い青年魔族でボロボロの恰好をしているなどそれこそ思いもよらない事なのだ。
そして魔王には、彼女の言葉で確信出来た事がある。
それは彼女が間違いなくこの魔界へと進行して来た、先日報告のあった勇者パーティの一員であると言う事だった。
微妙なニュアンスの違いはあれ、2人の目的は同じ。
であれば、協力するのもやぶさかではないという事だ。




