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第6夜 恥ずかしさ

 今夜も変わらず森の入り口へと向かい、石段で片膝を両手で抱えるように座っていた大上おおがみさんに声をかける。


「こんばんは」


「あぁ、こんばんは」


 大上さんは両手をほどいて立ち上がり、扇情的せんじょうてきな足を見せつけるように真っ直ぐ伸ばす。


「では、行こうか」


「はい」


 2人で森の中へと歩を進め、送り狼に狙われる(・・・・)時間が始まった。


 大上さんの住む館に招かれた翌日の今夜。俺はひとまず、おもてなしのお礼を口にする。


「昨日は館に招待していただき、ありがとうございます。とても楽しい時間でした」


「こちらこそ、生まれて初めてのことばかりで面白かったよ。また機会があれば誘わせてもらおう」


「はい、是非ともお願いします」


 お互いにとって有意義な時間となったことに満足した大上さんは、軽やかにターンをしてワンピースの裾をひるがえらせた。


 上機嫌な狼を横目に映しながら、俺は昨日の出来事を振り返る。


 いつまで送り狼としてあれるのかという不安を口にした大上さんに、あなたが俺に愛想を尽かすまではお願いするつもりですと安心させたこと。


 大上さんがいつも1人で見ている景色を、一緒に見たいと願ったこと。


 いつも送ってくれていることを、ありがとうございますと感謝したこと。


 …………あれ、昨日の俺は、ずいぶんと恥ずかしいことを連呼していたのではないだろうか。雰囲気にのまれて、素直な気持ちをさらけ出し過ぎていたように思える。


 そのことを自覚すると、急に頭の温度が高まっていくのを感じた。赤くなっているであろう顔を隠すために、左手で口の辺りを軽くおおう。


「どうしたんだい?」


 俺の挙動に気が付いた大上さんは、表情の読めないいつもの微笑で問いかけてきた。俺はとりあえず当たり障りの無い返事を口にする。


「いえ……、べつに何でもありません」


「そうかい。私はてっきり、昨日の言動を振り返って身悶えているのかと思ったのだが」


「……!」


 大上さんは俺の内心をピタリと当て、ふふふっと笑って言葉を続ける。


「キミが今このタイミングで顔を赤くする原因は、昨日のことぐらいしかないと予想したのさ。どうやら、当たっていたようだね」


「……これ以上痴態(ちたい)を重ねないために、早めに参りましたと言っておきますよ」


「キミを辱しめるような趣味は無いよ。けれどそうだね、これでは少しバランスが悪い気がする。お詫びの代わりに、私の恥ずかしい話を打ち明けるとしよう」


 大上さんは胸元に手を当て、わずかな間を開けて言葉を続ける。


「私は今まで、人間と長く交流を持ったことが無いんだ。だから、キミとどう接すればいいのか分からないと考える時がある。昨日館へと招いた時だって、何か粗相は無いかと気を揉んでいたのだよ」


「そう……でしたか。けれど残念ですね。それについては、昨日の時点で何となく察していましたよ」


「……おや。そんなことにも気付かず改めて口にしてしまうとは、本当に恥ずかしいばかりだ」


 恨みがましい視線を向けてくる大上さんに、俺はこの場を収めるための言葉を口にする。


「どちらも恥ずかしいことを見抜かれていたのですから、ここはおあいこといたしましょう」


「……あぁ、そうするとしよう」


 大上さんも提案に乗り、お互いに笑みを浮かべて場を誤魔化した。


 そんな気恥ずかしいやりとりに興じていたのが悪かったのだろうか。奇妙な雰囲気に意識を奪われていた俺は、地面のくぼみに足を取られてしまった。


「……!」


 勢いそのままに前側へと倒れ込み、とっさに左手を突き出して地面につく。


 送り狼の目の前で、転んでしまった。


 左手と左膝を地面につき、片膝立ちの姿勢で硬直する俺の背中に声がかけられる。


「おや。キミは今、転んでしまったのかい?」


 俺の半歩後ろに立つ大上さんは、禁忌を犯したのかと問いかけてきた。


 月明かりに映し出されるその影は、瞬く間に姿を変えて異形の狼へと変貌する。


 繊細な銀毛がハラリと宙を舞い、冷や汗を流す俺の頬をそっと撫でた。


 俺は決して振り返らず、思考を巡らせて言い訳を口にする。


「転んでません。恥ずかしさに耐えきれずしゃがみ込んだだけです」


 禁忌の質問に否と答えると、影は徐々に人の姿へと戻っていった。


「そうかい。それは失礼、疑ってしまって悪かったね」


 俺は靴の裏を土のくぼみに当て、ザリッと掘り起こして穴を深くする。


 そのまま立ち上がって素知らぬフリをして口を開いた。


「思い返すとやっぱり気恥ずかしさが襲ってきたので、穴があったら入りたいと思ったんですよ」


「実際に入ったところで状況は何も変わらないが、キミが望むなら私が自慢の爪で掘ってあげようじゃないか」


 大上さんは爪を立てるように手を軽く握り、犬掻きをするように両手をクルクルと動かした。


 セリフのかっこよさと動きの可愛さがギャップを生み、俺は思わず笑ってしまう。


「なんだか、骨を埋める犬のように見えますね」


「……む。確かに狼は犬の近縁種ではあるのだが、犬呼ばわりは聞き流せないな。人間に飼い慣らされて大人しくなった彼らと一緒にされては、厳しい野生で生き延びてきた狼の威厳をおとしめられた気分になるよ」


 こちらをギロッと睨む視線には、冗談やからかいといった感情が一切混ざっていない。どうやら犬扱いされるのは嫌らしい。


「すみません、以後気を付けます」


 俺はすぐさま謝罪し、事を平穏に流そうと試みる。


 すると大上さんは、ふっと息を吐いて表情を柔らかくした。


「今回は特別に許してあげよう。ただし次に同じようなことを言った場合は、穴に埋める骨はキミ自身のものだと思うがいい」


「ありがとうございます」


 寛大かんだいな心で俺の失言を水に流し、つややかな流し目をこちらに向ける。


「危うく、墓穴を掘ってしまうところだったね」


 慣用句としてなのか文字そのままの意味としてなのかと問うことすらはばかられたので、俺は何も口にしなかった。

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