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第5夜 お互いの気持ち

 大上おおがみさんに誘いを受けた翌晩、俺は古びた館の前に立っていた。


「少しばかり、懐かしさを感じます」


「キミが初めてここに来た時から、いくばくかの日にちが流れているからね」


 宿主の返答を聞きながら、俺は思い出の象徴に視線を向けた。


 木々が立ち並ぶ森の中に突如現れる館は、外装のいたる所が傷んでいる。窓ガラスの多くはひび割れており、全体を覆い囲うように伸びた植物のツルが荒廃感を演出していた。


 心霊スポットと言われてもなんら疑いようのない館の門の前に立つ大上さんは、敷地内に1歩を踏み込んでこちらに笑みを向けてくる。


「では、行こうか」


「はい」


 うながされるままに俺も足を踏み出し、送り狼にもてなされるというよく分からない時間が始まった。


 ギィィ……と蝶番ちょうつがいの軋む音を鳴らしながら大上さんが扉を開けて中に入り、俺も続いて玄関に入る。


「お邪魔します」


 室内の様子も外装と変わりなく、経年劣化の見本市となっていた。壁にかけられている絵画は黒く変色して何が描かれていたのかも分からず、絨毯じゅうたんや掛け軸はり切れてボロボロになっている。


 大上さんはそんな光景には脇目も振らず、2階、3階へと階段を上って行く。そしてとある部屋の前で立ち止まった。


「私は普段、この部屋にいることが多いんだ」


 そう言って扉が開かれる。大上さんに続いて中に入ると、薄暗い館に差し込む光が目に入った。


 大きな窓からガラス越しに月の光が降り注ぎ、木製の大きな椅子を静かに照らしている。荒れ果てた館の中でも、その場所だけは静謐せいひつな空気に満ちていた。


 大上さんはそちらへは向かわず、部屋の中央に置かれているテーブルへと足を向けた。


 テーブルの中央には三股の燭台しょくだいがポツンと鎮座ちんざしている。立てられた3本のロウソクは真新しい。大上さんは燭台しょくだいの近くに置いてあったマッチ箱からマッチ棒を1本取り出し、頭薬をシュッとって火を点ける。


「普段は使わないのだけれど……ね」


 そのままロウソクの芯にマッチ棒を近付け、順番に3つの炎を灯してゆく。最後にマッチ棒の火をフッと吹き消し、細い煙を登らせる木屑を灰皿にそっと乗せた。


「そちらに座るといい」


 テーブルの脇には2つの椅子が置かれており、その内の1つに座るよう促された。


 椅子を引いて腰を下ろすと、燭台しょくだいを挟んだ対面に大上さんも座る。


「お互いの顔くらいは見えるだろう。では改めて……、送り狼の館へようこそ。人間の作法には疎いのだが、できる範囲でもてなさせてもらうよ」


「なんだか、百物語でも始まりそうな雰囲気ですね」


「残念ながら、灯っているロウソクは97本足りないね」


 大上さんは顎に人差し指を当てて薄い笑みを作り、揺らめく炎を映した瞳で俺を流し見た。


 そしてテーブルの上で手を組み、今夜の本題を口にする。


「正直に言ってしまうとね、キミという個人に少しばかり興味が湧いたんだ。だからゆっくり話でもできないかと思って、腰を下ろせる館へと招かせてもらったのさ」


「俺なんて、どこにでもいる普通の男ですよ。妖怪達にとっては、ちょっとした高級食材のようですけど」


「それでも、今こうして私と話をしている人間はキミしかいない。キミは世界中で、キミ1人だ」


 大上さんは変わらない笑みで俺を見つめる。何気ない会話1つをも、噛み締めて楽しんでいるようだった。


 次いでテーブルの下に置いていた木製の箱を拾い上げ、ふたを開けて中から何かを取り出す。


「これは以前、偶然入手したオルゴールだ」


 取り出したオルゴールのハンドルを摘まみ、キリキリと回した後にテーブルへことりと置いた。


 シリンダーがゆっくりと回り始め、ピンが振動板を弾いて簡素な音を出す。


 1つ1つは寂しさをも感じさせる素朴な音でも、リズムよく様々な音階が連続して奏でられると立派な曲が出来上がる。10秒ちょっとで1周し、再び同じ音色を奏で始めた。


 瞳を閉じて音を聞き入っていた大上さんは、ちょうど2週目の演奏が過ぎた辺りでまぶたを開ける。


「なんの曲かは分からないのだけれど、この静かな音はとても気に入っているんだ。是非ともキミに、聞いてもらいたかったんだよ」


「俺も曲名は分からないですね……。けれど、自然と心が落ち着く素敵な曲だと思いますよ」


「気に入ってもらえたようでなによりだ」


 古びた館に鳴り響くオルゴールの音は、怖いくらいに雰囲気とマッチしていた。けれど恐怖よりも安らぎを感じているのは、目の前に大上さんがいるからだろうか。


 高い音色を聞きながら、3週目が過ぎた辺りで質問を投げる。


「俺に興味が湧いたと言っていましたけど、何か訊きたいことでもあるんですか?」


「特別これといったことは無いよ。ただ強いて言うならば、今後のことを訊いてみたかったのさ」


「今後のこと?」


「あぁ。キミは今、生活の流れで私を頼ってくれているだろう。けれど昨日も口にした通り、この日常がいつまでも続くものとは思えない。ならばいつか変わってしまう日が……、キミを送らなくなってしまう日が来るのだろうと思ってね」


 大上さんが口にしたのは、日常の変化をうれえる寂しさだった。


 送り狼はその特性上、夜道で人を送り届けることに存在意義を見出みいだしている。送り狼が人を送らないということは、自身の存在理由に否を唱えるということでもある。


 大上さんは毎日のように俺を送ってくれているが、裏を返せば俺以外に送る相手がいないということである。


 俺の日常に変化が起きて誰も送らなくなってしまう日が来るということは、大上さんが孤独に戻ってしまうということだ。


 そんな未来を想像して嘆きを口にした大上さんに、俺は真面目な気持ちで言葉を返す。


「あなたに送ってもらわなくなる日は、今しばらく訪れる予定がありません。遠い先の未来は分かりませんが、あなたが俺に愛想を尽かすまではお願いするつもりです」


「……そうかい。その言葉を聞いて少しは安心したよ」


 大上さんはふっと破顔させた後、喉の奥から楽しげな鳴き声を出す。


 オルゴールは、変わらずに音を奏で続けていた。





 その後は何気ない会話をしながら、大上さんなりのちょっと変わったおもてなしを受けた。人間と妖怪では生活から性質まで何もかもが違うため、俺に合わせて考えたのであろう気遣いに感謝の気持ちが込み上がる。


 ひとしきり笑みを交わしあった後、俺は1つのお願いを口にした。


「窓際に置いてある椅子は、いつもあなたが座っているという椅子ですよね。ちょっと座ってみてもらえませんか?」


「あぁ……、構わないよ」


 お願いの意図を察せずに少しだけ戸惑っていたが、特に異論も無いのか素直に応じる。


「これでいいかい?」


 大上さんは静かに腰を下ろし、椅子に背中を預けてこちらに視線を向ける。


 俺はその隣に立ち、窓の外へと視線を向けた。


「はい。……ここから見える景色を、あなたと一緒に見てみたかったんです」


 3階の窓辺からは、森の木々を上から見下ろすことができた。森の先にある山間の道まで広く見渡せる。


 大上さんも窓の外へと視線を向け、優しい眼差しで夜景を見据えて口を開く。


「この景色を誰かと共に見る日が来るだなんて、想像もしていなかったよ」


「一人占めしていただなんて、なかなか罪深いですね」


「それは申し訳ない。では、罪には何か罰が与えられたりするのだろうか。私はキミに、何をされてしまうのだろうね」


「では、10分ほどそのまま動かないでください」


「受け入れよう」


 窓側へと向けられた椅子に座る大上さんは、森のどこか遠くへと視線を向けたまま無防備に体を晒した。


 俺は背もたれの背後に立ち、両肩に両手を添えて適度に力を加える。


「……ん」


 初めてであろう体験をしている大上さんは、自然となまめかしい声を漏らした。


「これは噂に聞く、肩揉みというやつだね」


「はい。力加減はいかがですか?」


「あぁ……、気持ちよさで駄目になってしまうようだよ。とても恐ろしい罰だ」


 されるがままに肩を預ける大上さんに、俺は感謝の気持ちを口にする。


「いつも送っていただき、ありがとうございます」


「それが私とキミの……ん、契約だからね」


「いつも送ってもらってばかりで、何も返せていないことに気が付いたんです。なので、これくらいのことはさせてください」


「キミは妙なところで律儀だね」


 いくら送り狼の特性が人間を送り届けることと言っても、送りたくない人間の申し出は断ることも可能だ。妖怪にだって感情は存在するため、気持ちの合わない人間を何度も送り届けたりはしない。


 大上さんは送り狼としてではなく、個人の意思で送り届けてくれているのだ。


 その気持ちをありがたく思い、今できる範囲で安息を提供する。


「あなたと会えたから、俺はこうして生きているんです。俺にも何かできることがあったら、遠慮無く言ってください」


「今日のキミはずいぶんと優しいじゃないか」


「あなたには敵いませんよ」


「ふふっ……。たまには、こんな夜も素敵だね」


「ええ。今なら多少の恥ずかしいセリフも、ぽろっとまろび出てしまいそうです」


「おや、それはいけないな」


 大上さんは右目を閉じて口を開け、犬歯に右手の人差し指を当てて言葉を続ける。


「私の前でまろび出られてしまっては、キミを食べないといけなくなるじゃないか」


「……それは、本当は俺を食べたくないというセリフですか」


 真意を確かめる俺の質問に、大上さんは何も口にしなかった。

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