第3夜 守ってくれるもの
今夜も変わらず森の入り口へと向かい、瞳を閉じていた大上さんに声をかける。
「こんばんは」
「あぁ、こんばんは」
大上さんはゆっくりとこちらに首を傾げ、まぶたを開けて濡れた瞳に俺を映す。
「では、行こうか」
「はい」
2人で森の中へと歩を進め、送り狼に狙われる時間が始まった。
歩き初めて間もなく、大上さんは質問を投げてくる。
「キミは私を頼ってくれるけれど、可能なら今まで通りお守りに守られているほうが安全だろう。誰かに代わりを作ってもらうことはできないのかい?」
「少なくとも、俺の知人に作れる人はいません。こういったものに強いのは、亡くなったばあちゃんだけなんです」
「けれど、世界中でキミのお婆さんにしか作れないということもないだろう。有名な寺に訊き回れば、お守りを作ってくれる人もいると思うよ」
「かもしれません。けれど、お守りだって絶対的な効果を発揮し続けるとは限りませんし、また何かの拍子で失われてしまっては元も子もありません。それに……」
俺はそこで僅かに間を開けて、続く言葉に深みを持たせる。
「お守りがあると、あなたに会う口実が無くなってしまうじゃないですか」
「……ふふっ。それはとても、女を鳴かせる言葉だね」
大上さんは心を見透かす瞳で俺に微笑みかける。さすがに狙い過ぎたセリフだったろうか。
せめて言葉では主導権を握ろうと思ったのにと落胆していると、大上さんは思い付いたように再び質問を口にした。
「キミの家に張られている結界も、妖怪を遠ざけるのものなのかい?」
大上さんには家の玄関前まで送ってもらっているため、家全体を包み込む大きな結界については知られていた。その結界も亡き祖母が構築したものだ。
俺はその言葉に、僅かな訂正を加えて返答する。
「いいえ、少しだけ違います。あなたが玄関前まで来れているように、遠ざける力はありません。ただの壁のように、妖怪が通れなくなるだけに過ぎません」
「それはまた、何か理由があるのだろうか。どうせなら遠ざけてしまったほうが、安全圏が広がるというものだろう」
「あの結界には、もう1つ効果があるんです」
「ほう……」
わざとに結界の効力を下げている理由に興味を持った大上さんは、思案顔で俺の顔を覗き込む。
それに対して俺は、大上さんが相手だからこその秘密を口にする。
「確かに普段は、妖怪が結界を通り抜けることは叶いません。けれど、家人が認めた妖怪は通り抜けることができるんです」
一口に妖怪と言っても、その種類は数多い。中には人間と友好的な種族もいるし、害を成すとされている種族の中にも人間と親しく接する変わり者もいる。
無害な妖怪と人生を共にする人間は、決していないわけじゃない。
結界の秘密を知った大上さんは、口を開けて立派な犬歯をチラつかせた。
「簡単に妖怪を信じるのは危険だよ。もしかすると、こわーい狼がキミの家に入り込んでしまうかもしれないからね」
「その時はお茶とお菓子でも提供して、俺以外の食べ物で腹を満たしてもらいますよ」
大上さんはおどけた脅し文句にサラリと言葉を返されたことを驚いたのか、僅かに瞳を見開いていた。
そんな反応に満足したのが悪かったのだろうか。話の主導権を握れたと優越感に浸っていた俺は、地面の石に足を引っかけてしまった。
「……!」
勢いそのままに前側へと倒れ込み、とっさに左手を突き出して地面につく。
送り狼の目の前で、転んでしまった。
左手と左膝を地面につき、片膝立ちの姿勢で硬直する俺の背中に声がかけられる。
「おや。キミは今、転んでしまったのかい?」
俺の半歩後ろに立つ大上さんは、禁忌を犯したのかと問いかけてきた。
月明かりに映し出されるその影は、瞬く間に姿を変えて異形の狼へと変貌する。
頭にそびえ立つ2つの獣耳が、鬼の角のようだと思わせた。
俺は決して振り返らず、思考を巡らせて言い訳を口にする。
「転んでません。結界の補強に使えそうな石を見つけたので、拾おうとしただけです」
禁忌の質問に否と答えると、影は徐々に人の姿へと戻っていった。
「そうかい。それは失礼、疑ってしまって悪かったね」
俺は丸く平べったい石を掴み取り、土をはらって手のひらに乗せる。
そのまま立ち上がって素知らぬフリをして口を開いた。
「この丸い形が、力を均等に広げて隙の無い結界を維持するのに役立つんですよ」
「確かに結界の形にムラがあると、弱い部分から妖怪に踏み込まれてしまうかもしれないね」
大上さんは丸い石に視線を向ける。その形はちょうど、この狼が好きな満月の形と同じだった。
次いで俺の顔へと視線を向け、気持ちを探るような言葉を口にする。
「キミの心に踏み込める日は、いつか訪れたりするのだろか」
誰にも分からないことを安易に答えるわけにもいかないので、俺は何も口にしなかった。




