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第10夜 口にしたもの

 多くの妖怪から餌として狙われる俺は、毎夜家に帰るだけでも危険を伴う。なので身を守るための手段として、送り狼に護衛をお願いしていた。


 今夜も変わらず森の入り口へと向かい、石段の上で鼻歌を奏でていた大上おおがみさんに声をかける。


「こんばんは」


「あぁ、こんばんは」


 大上さんは鼻歌を中断し、楽しげな視線をこちらに流す。軽やかな足取りで石段を下りて俺の隣に並んだ。


「では、行こうか」


「はい」


 これはこれで危険性があると分かりつつも、俺には返事をする以外の選択肢が無い。2人で森の中へと歩を進め、送り狼に狙われる(・・・・)時間が始まった。


 世界には古来より多くの妖怪が存在している。しかし妖怪だからといって、むやみやたらと人間を襲うなんてことは無い。


 それは妖怪が人間からの報復を恐れているからではなく、ただ単に興味が無いだけだ。


 世界の表側で暮らす人間と、世界の裏側で暮らす妖怪。通常であれば、混じり関わること自体がほとんど無い。


 けれどどんな事象にも、例外は存在する。


 どうやら俺は、食べ物として妖怪に好かれる体質らしい。幼い頃には何度も、妖怪に襲われて大変な目にあった。祖母からお守りを貰っていなければ、今日まで生きていなかったかもしれない。


 しかし先日、崖から転がり落ちてしまった際にお守りを破損させてしまった。命の危機を感じ取った俺は、せめてもと虚勢を張りながら暗い森の中を歩いていた。


 そしてたどり着いた道の先で、俺は運命と巡り会う。


 森の中にひっそりとたたずんでいる古びた館には、世にも美しい女性が住んでいるという噂がある。俺はそれまで人影を見たことも無かったが、噂の主、大上さんが姿を現した。


 彼女は一見すると普通の女性にしか見えないが、その正体は送り狼という妖怪だ。


 妖怪ならば俺の身が危険だということは変わらないのではないかと思われるかもしれないが、彼女に限っては事情が変わってくる。


 送り狼は人間にとても友好的な存在で、夜道に付き添って護衛をする習性がある。とても強い力を持つ狼には、他の妖怪など寄り付きもしない。


 だからお守りを失って身を守るすべの無くなった俺は、大上さんに護衛を依頼した。


 けれどこの護衛には、1つの大きなリスクがある。


 共に歩いている時に転んでしまうと、たちまち本性を現して食べられてしまうのだ。頼もしいが決してつまずいてはいけない、死と隣り合わせの歩行となる。


 絶対に、転んでしまったと思われる訳にはいかない。そんな危険をはらみながら、俺は送り狼の隣で歩を進めていた。


「…………」


 上機嫌で歩く大上さんの横顔を見ながら、自身の置かれている現状を再確認する。他の妖怪に襲われることがないのは幸いだが、いつだって気を抜く訳にはいかない。


 すると、そんな視線に気が付いた大上さんが声をかけてきた。


「どうしたんだい。私の顔に何か付いているだろうか」


「そういう訳ではありません。ただちょっと、考え事をしていただけです」


「考え事?」


「ええ。今日は機嫌が良さそうなので、何か良いことでもあったのかなと推測していたんです。やはり俺は、ついに食べられてしまうんでしょうか」


「キミがどういった思考でそんな答えを出したのかは知らないが、私はキミが転んでしまわない限り襲ったりなどしないよ」


 気高く美しい狼を呼称する大上さんは、たとえ狩りやすい人間が真横にいても手をかけたりはしない。ならば、妖怪として上機嫌になっているのではないと推測できる。


 大上さんは俺の軽口をサラッと流して胸の内を口にする。


「べつに、これといった理由は無いよ。誤魔化さずに言うならば、この日常が楽しくなってきたのさ」


「この日常、ですか」


「ああ。以前は単身孤高に生きるのも悪くないと思っていたのだが、最近はキミと過ごす時間が楽しくて仕方がない。私の心にこれほどの影響を与えるだなんて、とても罪深いとは思わないかい」


 向けられた笑みに他意は感じない。小細工が嫌いだと元々知っていることも合わせて、かけられた言葉はそのままの気持ちなのだと分かる。


 素直に好意を向けられているところの俺は、その想いに答えるべく言葉を紡ぐ。


「それは申し訳ありません。では、罪には何か罰が与えられたりするんでしょうか。俺はあなたに、何をされてしまうのでしょう」


「なら、そこに座ってもらおうか」


 大上さんはついと横を向き、道端に鎮座している岩へと視線を向けた。高さは推定40センチほどで、腰かけるには丁度いい大きさだ。


 大人しく指示に従って岩に座ると、大上さんが背後に立って頭に手を添えてくる。


「先ほどから髪の毛が乱れが気になっていたんだ。私が整えてあげよう」


 添えられた手が流麗りゅうれいに動き、そっと髪を撫で下ろす。細くしなやかな指が視界の端をかすめ、首筋に触れるたびに心臓の鼓動が速くなる。


 くすぐったさに時々身をよじらせていると、大上さんが後頭部に声をかけてきた。


「キミが自覚しているかどうかは分からないが、最近は伸びっぱなしでボサボサになってきているじゃないか。身だしなみをおろそかにするのはいただけないな」


「少しくらい乱雑なほうが野性的でいいかな……などと考えていたんですけど、どうやら不評みたいですね」


「おや。何か、髪を伸ばす理由でもあるのかい?」


「伸ばす理由ではなく、切らない理由ですね。髪には古来より、神が宿ると言われています。洒落しゃれの迷信もいいところですが、少し思うところができたんです」


 俺は前髪を指で摘まみ、ねじもてあそんで言葉を続ける。


「オオカミを漢字で書くと"狼"ですが、一方で"大神"と書く文化もあります、農作物を荒らす害獣を狩ってくれていたことから、救いの神として崇められていたこともありますね」


「それはキミ達人間が都合のいい解釈をしたに過ぎないのだがね」


「それでも、思念には力が宿ります。だから俺は髪を切ってしまうのは、神を……、狼を切ってしまうことに繋がるのではないかと思ったんです」


「さすがに考えすぎだ。けれど、それほど私のことを切に考えてくれているのは素直に嬉しいよ」


 背後に立たれているため表情はうかがえないが、きっと嬉々とした顔をしているのだろうと思わせた。


 そのまま5分ほど身を預けていると、髪をいていた手が頭部から離れる。


「こんなものだろう」


「ありがとうございます」


 鏡が無いため状態の確認はできないが、大上さんが満足するほどの出来になったのなら何も問題は無い。


 お礼を言い、立ち上がろうとすると大上さんが正面に回り込んで右手を出してきた。


「理由を付けてキミに触れられる好機ではあったのだが、いつまでも立ち止まってはいられないからね。後ろ髪は引かれるけれど、先へ進むとしよう」


「髪は引けませんけれど、手は引けますからね。なら、俺も理由を付けてあなたに触れるとしましょう」


 俺も右手を出し、互いの手のひらが触れて握り合わされる。繊細で冷ややかな大上さんの手は、俺の手はドギマギして熱を帯びていたことを容易に自覚させた。平常心を必死に取り繕おうとしていたのがバレて恥ずかしい。


 だから……、そんな初々しさを悟られたと動揺したのが悪かったのだろうか。大上さんに手を引かれて立ち上がった俺は、地面の石に足を引っかけてしまった。


「……!」


 勢いそのままに体が前側へと傾き、大上さんを巻き込んで倒れ込む。とっさに左手を大上さんの後頭部に回し、地面に頭が激突してしまわないように庇う。


 送り狼の目の前で、転んでしまった。


 右手はそのまま握られており、左肘は地面についている。かかえるような体勢だ。


 俺の体の下には大上さんの体があり、わずかに驚いている表情の顔がとても近くにある。20センチも離れていないその空間では、互いの吐息が混じり溶けていた。


 まずいまずいまずい。送り狼の前で転んでしまったから言い訳を考えなければならないのだが、こうも近い距離で触れ合っていては思考がまったくまとまらない。


 俺は純然たる事実として、命の危機にさらされていた。このまま「転んでしまったのかい?」と訊かれてしまえば、否定できる言葉を返せない。


 命の危機さえも惑わす甘美な現状の打開策を考えつかぬまま、ついに大上さんの口がゆっくりと開かれる。


「おや。キミは今、私を押し倒したのかい?」


「……え」


 予想もしていなかった問いかけに、間抜けな声を出してしまった。


 大上さんは真っ直ぐに俺の目を見つめたまま、じっと静かに俺の返答を待つ。その表情は、柔らかに微笑んでいる。


 俺が転んでしまったという事実は明らかだ。けれどそれを、大上さんが否定しようとしている。


 送り狼が、自ら禁忌をねじ曲げようとした。


 通常ならばあり得ない。夜道を送りながら狙って(・・・)いた相手が隙を見せたのなら、すぐにでも食べてしまうのが送り狼だ。


 その道理を放棄してまで、俺に生きる道を与えてくれた。


 ……ならば俺には、その気持ちに応える義務がある。


「はい、そうです。あなたがとても魅力的なので、あふれ出る好意を抑えられませんでした」


「それはいけないな。物事には順序というものがある。欲情して行動する前に、必要なやりとりがあるだろう?」


 順序を踏めという言葉の意味は、事ここに至って間違えるはずもない。


 俺は、求められている必要なやりとりなるものを口にする。


「先日に少しだけ触れましたが、あなたにお願いすればどこまで送ってくれるのかを訊いたのを覚えていますか?」


「ああ、覚えているよ」


「それについてなんですが、俺は近い将来、旅に出ようと思っているんです。世界各地へと行きたいので、あなたに同行をお願いしようとしてました」


 さすがに世界各地へと同行してもらうとなると、夜道に家まで送り届けてもらうのとは訳が違う。だから、機嫌の良い時を見計らって相談を持ちかけるつもりだった。


 けれど、真っ直ぐに見つめてくる大上さんの瞳を見れば分かる。この狼は、始めからこちらの意図を見透かして言葉を待っていたんだ。小細工の嫌いな大上さんは、小賢しい思惑など敏感に察知するのだろう。


「なので、各地へと俺を送ってくださいと言うつもり……でした」


 だが、それだけでは駄目だ。この思惑には、俺の気持ちが語られていない。


 どうして、各地へと送ってくださいなどという言い回しをしてまで、大上さんに同行をお願いしようとしたのか。ただ安全に旅をしたいだけならば、どこかでお守りを入手すれば事足りる。


 けれどそうではなく、俺は大上さんに隣にいてほしいと思ったんだ。ずっと、いつまでも一緒にいてほしいと、こいねがったんだ。


 だからきちんと、素直な願いを打ち明けよう。


「でも、もう少しだけ欲を言わせてください」


 言葉は真っ直ぐに、過不足無く、絶対に伝わる言い方を選ぶ。


「あなたが好きです。どうか俺と、生涯を共に送ってください」


 なんて飾り気の無い告白だろうか。心にいつからか芽生えていた想いは、言いよどむこと無く伝えられた。


 しかしこれでいい。紛らわしい言い方をして、変に勘違いされるといった事態は避けたい。


 恋愛小説などでありがちな、言葉足らずの告白で勘違いさせて悲しませた後に劇的な告白をしてハッピーエンドを迎えるといった、遠回りの求愛なんて演出するつもりは無い。


 言葉を真正面から受け止めた大上さんは、瞳を閉じて笑みを浮かべる。


「ふふっ。まさか、ここまで正面切って愛の告白をしてくれるとは思っていなかったよ。すまないが、動揺を抑えるまで少し待ってほしい」


 頬はわずかに赤らんでおり、握り合っている右手はいつの間にか熱を帯びていた。狼狽にはほど遠いが、隠しきれないほどに照れている。


 大上さんは姿勢を整えるように身をよじり、瞳を開いて再び見つめ合う。


「もし、私が申し出を断ったらどうするつもりなんだい?」


「素直に身を引きます。あなたが否だと言ったら否なのでしょう。気高く美しい狼は、相手を試すような真似なんてしませんよね」


 大上さんは小細工なんてしない。気持ちを確かめるために、わざとに冷たい言動をしたりはしない。そう信頼できるほどに、俺は大上さんのことを分かっている。


 他にもまだ分かっていることがある。


 強気な声音で威風を魅せているが、本当はとても寂しがり屋だ。俺との繋がりが無くなってしまう可能性に思い至ると、すぐに孤独を心配してしまう。


 独りになりたくないと、いつも怯えていた。


 そんなところに愛おしさを感じたのだろうか。相手のことを狙って(・・・)いたのは、俺のほうだったのかもしれない。


 大上さんはふっと自重じちょう気味に吐息を漏らし、自身の言葉を振り返る。


「そうだね。すまない、先ほどの発言は忘れてくれ」


「忘れません。忘れられません。あなたとの思い出は、全て心に残しておきます」


「よくもまぁ、臆面おくめんもなく恥ずかしいことを言えるものだ。こちらまで恥ずかしくなってしまうよ。私の心をこれほど掻き乱すだなんて、とても罪深いとは思わないかい」


「それは申し訳ありません。では、罪には何か罰が与えられたりするのでしょうか。俺はあなたに、何をされてしまうのでしょう」


「それはもう、とてつもない罰だとも」


 わずかに潤んだ瞳が喜色きしょくに濡れ、艶やかな唇が熱く揺らめく。


「私に愛の告白をするなど、重罪もいいところだ。キミには、体罰を与えなければならないね」


 大上さんは俺の顔に左手を添え、ゆっくりと自身の顔を近付けた。


 迫った分だけ瞳が閉じられていき、呼応するように俺も瞳を閉じる。


 世界が暗闇に染まった、その直後…………、



 柔らかな、甘い口付けが交わされた。



 気持ちが重なり運命が重なる。契りを結ぶ人間と狼は、互いの口を口にした。

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