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第9夜 親子の姿

 今夜も変わらず森の入り口へと向かい、風に銀髪をなびかせていた大上おおがみさんに声をかける。


「こんばんは」


「あぁ、こんばんは」


 大上さんは乱れた銀髪を整えるように左手でそっと撫で付け、髪先を踊らせるようにピッと指で弾く。


「では、行こうか」


「はい」


 2人で森の中へと歩を進め、送り狼に狙われる(・・・・)時間が始まった。


 夜道を吹き抜ける風に銀髪を流す大上さんは、左手で前髪を軽く押さえて視線を流してくる。


「今夜は少しばかり風が強いね。嫌とまでは言わないけれど、せっかく整えた毛並みが崩れてしまうのは腹立たしいものだ」


「結構、身だしなみを気にするタイプなんですね」


「もちろんさ。気高く美しい狼を呼称するためには、見た目もおろそかにしてはいけないのだよ」


 大上さんはワンピースの裾を摘まみ上げ、バサッとはためかして威風を魅せる。チラと見えた白い足は、光輝いていたとさえ錯覚した。


 風の中で自分の美しさを表現しようとしている狼に、俺は素直な気持ちを口にする。


「多少髪が乱れた程度では、あなたの美しさは崩れませんよ。風を切る姿もまた一興です」


「キミにそんなことを言われてしまうと、私の美意識が揺らいでしまいそうになるね。褒められて嬉しい気持ちと、堕落していまいそうな不安感がせめぎあっているよ」


「さすがに程度によりけりですけどね。たまに乱れた姿を見せてくれると特別感もありますが、常に乱れていると尊厳に影が差してしまいそうです」


「その言葉を聞いて安心したよ。たまに見せるなどといった小細工を好まない私は、やはり常日頃つねひごろから高潔だけを心がけるとしよう」


 心持ちを再確認した大上さんは、銀髪を手櫛てぐしいて髪型を整えた。


 真正面から吹きつける風に時たま目を細めながら、俺は気になっていたことを問いかける。


「美的感覚は経験からつちかう他ありませんよね。あなたは何を参考にして、自身の美しさを養ったんですか?」


「深く考えたことはないけれど……、強いて言うなら、母の影響が強いだろうか」


「……母親がいるんですね」


 大上さんの返答を聞き、俺は少しばかり驚いてしまった。


 妖怪の生体は明らかになっていないことが多く、繁殖方法はその最たる例に当たる。一応、自己増殖や自然発現する個体もいると噂にはあるけれど、詳しいことは何も分かっていない。


 そんな中で送り狼本人から親の存在を明かされたのだ。貴重な情報に面食らってしまうくらい許してほしい。


 驚いている俺から視線を外した大上さんは、ついと月を見上げて言葉を紡ぐ。


「今思えば、月を好きになったのも母の影響なのだろう。月光に照らされながら狩りを行うその姿に、私はいつも見惚れていたよ」


 敬愛を込めた視線の先には、過去の思い出が映っていると想像させる。優しい眼差しの大上さんというのも、先ほどの情報と同様にとても貴重だ。


 瞳が語り明かす想いに、俺は少しでも近付こうと声を出す。


「素敵な母親だったんですね」


「ああ。とても良くしてくれたと感謝しているよ。気高く美しく、優しかった」


「一応確認しますが、亡くなってはいない……ですよね? 今はどちらにいるんですか?」


「さぁ……。しばらく顔も合わせていないから、どこにいるのかは分からないんだ」


「それは少し、寂しいですね」


「たまには会いたいとも思うけれど、そんな理由で探しに行くのは気高さとは程遠い。それに、今はキミを送り届けなければならないからね。探しに行っている余裕も無いよ」


 あくまで気高く美しい狼を貫き通さんとする大上さんに、頼ってばかりの俺は申し訳ない気持ちが込み上がってくる。


「俺のせい……ですね。すみません……」


「勘違いしてもらっては困る。別れの日はいつか必ず訪れるものだし、私はこのんでキミを送っているんだ。そこにキミが罪悪感を抱く余地など無いよ」


 俺の目を見つめて述べられたその言葉には、嘘偽りなど微塵みじんも感じない。いつだって正々堂々真っ向から気持ちをぶつけてくれる大上さんに、本気で大切に思われているのだと感じさせられた。


 ならば俺にできることは、謝罪ではなく感謝だ。


「では……あなたの母親に、ありがとうございますと心に浮かべておきます。あなたの母親がいたからこそ、あなたはここにいるんですから」


「……ふふっ、そうだね。きっと今頃、母も喜んでいるだろう」


「そうだと嬉しいです。何をしているのかは分かりませんけれど、いつかは会ってみたいと思いますよ」


「会うのは難しいけれど、今何をしているのかは手に取るように分かるよ」


「それは何ですか……?」


 俺が問いかけると、大上さんは夜空を見上げて誇らしげに笑みを浮かべる。


「夜道に困る人間を、送り届けているはずさ」


 信頼と親愛を乗せた言葉は、思い出と共に月まで届いた。


 そんな親子愛に心を和ませていたのが悪かったのだろうか。微笑ましい一面に傾倒けいとうしていた俺は、地面の石に足を引っかけてしまった。


「……!」


 勢いそのままに前側へと倒れ込み、とっさに左手を突き出して地面につく。


 送り狼の目の前で、転んでしまった。


 左手と左膝を地面につき、片膝立ちの姿勢で硬直する俺の背中に声がかけられる。


「おや。キミは今、転んでしまったのかい?」


 俺の半歩後ろに立つ大上さんは、禁忌を犯したのかと問いかけてきた。


 月明かりに映し出されるその影は、瞬く間に姿を変えて異形の狼へと変貌する。


 口から放たれたおぞましい吐息が、首筋をぞわりと撫で下ろした。


 俺は決して振り返らず、思考を巡らせて言い訳を口にする。


「転んでません。木から落ちてしまったと思われる雛鳥ひなどりを見つけたので、助けようとしゃがみ込んだだけです」


 禁忌の質問に否と答えると、影は徐々に人の姿へと戻っていった。


「そうかい。それは失礼、疑ってしまって悪かったね」


 俺はピィピィと鳴く雛鳥に手を伸ばし、木の枝葉で作られた巣ごと丁寧に掬い上げる。


 そのまま立ち上がって素知らぬフリをして口を開いた。


「巣と一緒に落ちたのでしょう。ケガは無さそうですが、困りましたね……」


 木の上に戻してあげたいところだが、巣を片手に持ちながらの木登りなどできるはずもない。


 どうしたものかと頭を悩ませていると、大上さんが右手を出してきた。


「私が元の位置に戻してこよう」


 そう言って俺から巣と雛鳥を受け取ると、包み込むように胸元で抱いて膝を曲げる。そして次の瞬間、ほぼ垂直に驚異的な跳躍をした。


 4メートルほどの高さを軽くひとっ飛びし、枝に乗って左手で幹を掴んでバランスを取る。そのまま辺りを見回し、とある枝に視線を向けた。


「あそこだね」


 何か目印になるようなものでも見つけたのか、確信を持ってその枝の股に巣を置く。次いで周囲から細い枝を何本か調達し、巣の土台を補強して安定させる。


「これでいいだろう」


 巣の状態に満足した大上さんは、トンと飛び下りて綺麗な姿勢で着地した。ワンピースをふわりとはためかせる姿は、舞い降りると表現したほうが正しいだろうか。


 結局なんの役にも立たなかった俺は、せめてもとお礼を口にする。


「ありがとうございます」


「キミにお礼を言われる道理は無いよ。言われるならば、あちらからでないとね」


 大上さんがついと顔を上に向けると、1羽の鳥がこちらに向かって飛んで来ていた。そして先ほど元の位置に戻した巣に降り、ピピッと鳴き声を出して雛鳥の様子を確認する。


「親鳥……ですよね」


「ああ」


 親鳥は雛鳥の身に何があったのかを知ってか知らずか、2、3度鳴いた後に巣の中に身を落ち着けた。


 その様子を眺めながら大上さんが推測を口にする。


「今夜は風が強いからね。巣の作りが甘かったところに吹き付けられて、落ちてしまったのだろう」


 語る横顔は、少しばかり眉根が寄せられていた。


 親鳥の不手際を責める気持ちは、自身が大切に育てられたからこそ抱く怒りだろうか。


 必ずしも親がしっかりしているとは限らない様子を目の当たりにして、大上さんは批難を口にする。


「子を危険にさらすだなんて、親の風上にも置けないな」


 などと言いながらも巣の補強までしてあげた優しい狼に、俺は何も口にしなかった。

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